愛を失う数時間前


 幸い、洋館を囲むように植えられた木々が気配を消してくれた。
 
 壁伝いに中庭へと足を向けた。フッカちゃんの姿はなかった。
 アーチ門と石像の奥にドアが見えた。
 ……そこから家の中へ戻ったのだろうか?

「……」
 すべての部屋の窓が中庭に向いている。
 ……隠れる場所はないか。
  
 俺は中庭への侵入をあきらめて、また壁伝いに外周を進んだ。
 裏手は生い茂る植物と建物が近く、ひび割れたコンクリートや段差があちこちにあった。
 それらに阻まれながら、音を立てないよう慎重に、ゆっくりと進んだ。

 北側には細長い部屋が規則的に並んでいた。
 中は薄暗く何もない。古い窓のほとんどは掛け金が外れている。
 俺は窓に手を掛けた。
 ……開かない、か。
 押しても引いても動かない。よく見ると窓の木枠が歪んでいた。
 ……ここからも入れないな、

 あきらめて先へと進む。
 バルコニーがついた広い部屋が見えてきた。
 ここはカーテンが閉まっていて中の様子は窺えなかった。
 リフォームしたらしく窓の鍵はクレセント錠だった。
 ……まあ、でも、大きな石を投げつけたらガラスは割れるかも、
 
 俺は、周辺を確認した。
 隣家は見えなかった。
 地図では行き止まりじゃなかったはずなのに、どこからも敷地の向こうへ出る道がないようだった。
 ……出入りは正面の門、一択か、
 いろいろとインプットしながら、また歩き出す。

 頭の中の間取り図ではそろそろ南側に出るよな、と考えながら、気を引き締め直して進む。
  
 キッチンの勝手口が見えてきた。
 ――であれば、その先がリビングのはずだ。
 
 ゆっくり進むと、小さく話し声が聞こえてきて、俺は咄嗟に腰を折った。
 窓に近づく。
 カフェカーテンは上部でまとめられ、部屋の中は丸見えだった。
 出窓には観葉植物や小物が並んでいる。その隙間からそっと中を覗いた。

「!」
 驚くことに、未知留が座るソファの横に、すでに女が座っていた。

 ……は?
 ……どういうことだ?
 フッカちゃんはこれ、――知ってたのか?
 
 
 そうして俺は、信じられないものを目にした。
 未知留は堂々と女を抱き始めたのだ。
 急いでスマホの動画を回したのは無意識だった。
 
 フッカちゃんが現場へ乗り込む前に行為が終われば言い逃れされる――と考えながらふと、疑問が沸いた。
 
 フッカちゃんが家を出てから、この家には誰も訪ねてきていない……はずだ。
 ……ということは、浮気相手はもともと家の中にいたということか?
 隠していた? ……そんなことが可能か?

 昔の建物だからだろうか、二人の声が外へ漏れている。
 もっとはっきり聞き取りたくて、少しずつ未知留たちとの距離を詰めていった。
 耳だけに集中して、ソファに近い窓際まで這って行った。
 
 そのときだ。
 
 ――――お兄ちゃん、
 女は確かに、未知留をそう呼んだ。

 ……?
 自分の耳で聞いた“それ”に思考を奪われ――時間差で確信に辿り着いた。
 一瞬にして鳥肌が立った。

 傾れ込んでくる記憶が、石を投げつけられるような感覚を連れてきた。

 ……ああ、――そういうこと、だったのか……
 
 友達だと信じていた未知留に『裏切られた』と思ったのは見当違いだった。そんな生易しいものじゃなかった……。
 なぜ突き詰めなかった?
 あんなに違和感があったのに。
 それは、無視され続けた七年間よりも前――、フッカちゃんと付き合ってると知らされるよりも前――、そうだ、俺が『フッカちゃんとは血が繋がってないから結婚できる』と強く主張した時……、『本当の兄妹なら恋愛感情なんて持つわけない』と吐き捨てた、あの時からだ。――未知留が急にキレた、あの時……。

「……」 
 ……あの頃から、未知留は……、
 もの凄いスピードで背中が闇へと引っ張られるような感覚に、おもわず地面に両手をついた。
 
 未知留の過去の言動が、今頃になって意味を帯びてくる。
 
  
 未知留があの頃から妹と関係を持っていたとしたら、フッカちゃんを恋人に選んだ理由はひとつしかない。――『俺が』、トリガーだった。
 

 ……なんでフッカちゃんを巻き込んだ……、
 ……俺が憎いなら、俺にぶつければよかっただろっ、
 
 「……くっ」
 溢れた涙をジャンパーの袖で拭った。
 憎悪の涙だった。
 
 フッカちゃんを絶対に未知留から自由にする。
 どんな犠牲を払っても。

 俺はこの世のすべてに、誓った。
 

 
(オムライス~優斗編~終わり)



【後編へつづく…】
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