愛を失う数時間前
【ゆっくん、頼みたいことがあるんだ】
【なんでも言って】
【マンションをすぐに貸したいの。行政処分を何度も受けてるような不動産仲介業者の情報知らない?】
【社名を頻繁に変えるような?】
【うん】
【了解。すぐ折り返すね】
言葉の通り、優斗からはその日のうちにメールが入った。
数件の仲介業者のURL。その中でも『☆ここが一番あくどい↑』と注意書きがある会社を選んで、情報を取り出した。
既読を付けて少しすると優斗から電話が来た。
【何か手伝えることはある?】
優斗からのそれに、風香は【ううん、大丈夫】と返した。
仲介業者には、初めから対面ではなく鍵だけを郵送し『売れるかどうか見てきてほしい』と頼むつもりだった。
証書も実印も通帳もすべてなにも持ち出さず、シンクの扉を開けっぱなしにしてあの場所に置いてある。それを手に取った者がどう悪用しようとも風香の知ったことではない。
【えっと、近いうちに会えない?】
【……。】
優斗の誘いに声が喉に詰まったようになった。
【渡したいものがあって】
【……。】
【あ、そうだ! 食事したいからフッカちゃんのとこ、行ってもいい?】
……。
先回りをしたようなそれに、風香は弱い息を吐いた。
優斗の好意を利用して身勝手に動かしているくせに、この先には踏み込んでほしくなかった。
優斗が好きになってくれた子供の頃の自分には戻れない。優斗が願ってくれただろう幸せも、結局手に出来なかった。それどころか、結婚までした男から“愛されていなかった”女――。惨めすぎて、笑えない。
それに――
……未知留と別れたら、誰も知らない土地へ行くんだもの。
今も、この目に映るすべてのものに風香は傷ついていた。
街も店も、職場への慣れた道すらも、未知留の隣で見続けた風景が風香の心を抉っている。
なにもかも捨てて新しく始めてみたい――のだ。
【邪魔はしないよ。大人しく食べて、大人しく帰るから】
【……。】
優斗は言葉こそ遠慮気味だったが、あきらめる気はないようだった。
……そうだよね、ゆっくんの勝手、だよね、
優斗の行動を制限する資格なんて初めからない。
けれど未知留に怪しまれている今、優斗と積極的に会うのは気が進まなかった。
【……。】
少し考えて、腹を括った。
栗生とは密に連絡を取り合っている。安全な日を選べばいいだけのことだ。
【来る日と時間、私に合わせてもらってもいい? もしかしたら急に“お休み”してるかもしれないから】
優斗が「やった!」と電話口に叫んだ。たぶん、スマホを持っていない方の手はガッツポーズを作っているんだろう。……そんなことを想像して、風香は少し口元を揺らした。
+
復讐心を胸に、風香は毎日未知留を急かした。
――そろそろ日程決めてくれない? 準備もあるし。
――挽回させて。お願い。
――できればクリスマスの前か、後がいいんだけど。
――未知留の出世のために私、頑張るからね!
未知留は「そうだね」と相変わらず気味が悪いほど穏やかだった。
はぐらかされたまま、風香の深夜勤務の日がきた。
いつものように未知留にコーヒーを淹れてもらい、適当な話をし、玄関まで見送られた。だがその後、未知留は平然とファミレスへやって来た。