愛を失う数時間前
19 ありがとうを返す日
優斗に連絡を入れた。
【クリスマスイブの前日までなら、来てもらっても大丈夫だよ】
【今日でも?】
【今日でもいいけど、夕食時は混んでるからあんまり喋ったりできないと思うよ】
【じゃあ、その前?】
【そうだね。ランチとディナーの間なら……。ゆっくんが来るなら、少し早めに出勤するよ】
【ありがとう! じゃあ、明日は?】
――そんなやり取りを経て、優斗はカフェタイムに店へ来た。
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「いらっしゃいませ」
営業用の笑顔の隙間から「今日おごるね」と小声を落とす。
優斗を「えっ」と驚かせてしまったが、今日が優斗へ感謝を示せる最後のチャンスだった。
「甘いの好き?」
「えっと、うん、好き――だけど俺、ちゃんと自分で払うから」
風香は優斗のために頷いて、キッチンへ向かった。
この店のデザートメニューの中で一番高額なセットをオーダーする。
パニーニにケーキ三種、焼き菓子とアイスクリーム、そこに季節のフルーツが付く。飲み物はフレッシュジュースとコーヒー。コーヒーはポットで提供される。
風香がここで働き始めてから、数えるほどしか出なかったメニューだ。
「ゆっくん、おまたせ。食べきれなかったらお持ち帰りもできるからね」
クリスマスシーズン中ということもあり、皿の中にはサンタとトナカイがいる。
「わ、すげ……」
あまりのボリュームに優斗も引き気味だった。それを見て風香は自己満足に頬を揺らす。……これでゆっくんに協力してもらったことがチャラになるよね。……ならないか。
心の中でひとり突っ込みをしながら中身の説明をする。
「飲み物も遠慮しないでリクエストしてね」
「う、うん」
「ごゆっくり。――またあとで来るね」
心細い顔つきだった優斗は、風香が最後に掛けた言葉にぐんと顔を上げた。「待ってる」
「……」
記憶を取り戻したからか、優斗の素直さに苛立つことはなくなった。
なぜなら優斗は元々そういう人だった。
離れたところから優斗を見ると、その視線に気づいた優斗が手を振ってきた。
「風ちゃんのカレシ?」
肩越しに由真がにゅっと顔を出した。
「わっ、びっくりした。――って、カレシなわけないでしょう! 一応今は人妻ですから」
否定してすぐに優斗との『演技のキス』を思い出した。頬が熱くなった。
……厳密に言ったら、私も浮気したんだよね?
だが未知留に対しての罪悪感はまったく感じなかった。
「じゃあ、別れてからつきあうの?」
「つきあわないよっ」
「そうなの? でもあの人は完全に風ちゃんに惚れてるね」
由真は顎に手を当て、目を細めて優斗を見ている。
「いや……、そういうんじゃなくて、古い友人っていうか……」
唇の中でごにょごにょ言っていると由真が「挨拶してこよっ」と優斗の元へ行ってしまった。
「……わ、ちょっ」
――ちょっと待って、と声を張って引き留めたかったが、言葉をのんだ。
店内は空いていても、他の客もいる。自重した。
「……」
由真が優斗に話しかけ、優斗がそれに答えている。
初対面だが、ふたりとも人見知りをしないようでなかなか会話が終わらない。
その様子をただ遠目で見ていると、呼び鈴が鳴った。
「――はい、ただいま伺います」
マニュアル通りの接客用語とともに客の元へと向かう。
そうして任された仕事を終わらせてから、優斗のそばに行った。
「口に合う?」
「うん、美味しい」
「よかった」
「ファミレスのデザートって、こんなにレベル高いんだっけ」
優斗は本気で驚いている。
まるで人懐こい大型犬だな……、と、その屈託のない笑顔を見て、心の中で思う。
風香は口元に手を添え、声を落とす。
「由真ちゃんが言うには、他のファミレスより頭ひとつ抜けてるらしいよ」
体を傾けて耳打ちすると優斗が「あ、さっきの子?」と言いながら、勢いよく顔を上げた。
「!」
思いのほか距離が近すぎて、図らずも優斗としたキスが蘇ってきた。
――たぶん、優斗も思い出したのだろう。風香の唇に視線が止まり、はっとしたように目を泳がせた。
「……」
風香の心臓が騒ぎ出す。
けれどそれを悟られないように一歩引いた。いったん離れよう――と思ったら、優斗の声が追いかけてきた。
「あ、えっと、さ」
衝動的に呼び止めたのだろうか、優斗は振り向いた風香に小さく慌てた。
「……あ、うん。そうだ……あれを……」
優斗が自分のポケットに手を突っ込んだ。
差し出されたそれを反射的に受け取る。
「なに?」
ストラップだった。犬? 猫? 熊? 微妙に顔がくずれたキャラクターが付いている。
――!
目を凝らして、あ、と心の中で言った。
「これね、おもちゃかお菓子か、なにか買ったときにくじを引いて当たったやつだったと思う……」
説明する優斗を前に懐かしさが込み上げてくる。
「フッカちゃん、すごく気に入ってずっと持ってて」
ちゃんと思い出せる。
塩ビ素材の名もないキャラクターのおもちゃを、どういうわけか寝るときも離さないほど気に入っていた。
「フッカちゃんが滑り台で遊ぶとき俺に“持ってて”って……。俺、ポケットに入れてそのまま――」
すべての記憶を取り戻した風香には、それがいつ自分の手から優斗へ渡ったのかも思い出せた。
そうだ。あの日が、優斗と遊んだ最後の日になった。
夢中で遊び、疲れてそのまま。
相槌を打ちたいが優斗との絆をこれ以上深くしてはいけない気がして、風香は唇をしっかり結んだ。
「ホントは紐、勝手につけたんだ」
風香の表情を追っている優斗が「ここ……」と、紐がひっかけてある穴を指した。
ああ……、と風香は頷きそうになる。
確かにこのおもちゃには紐は付いていなかった。
「無くしたくなかったし、いつか会えたら渡そうと思ってて」
「もしかしてずっと持ち歩いてたの?」
……こんな子供だましの、なんのキャラクターでもないものを?
優斗は悪戯をみつけられた子供のように肩を竦めている。
「スマホに付けてた」
「うそでしょう。だって」
よく見たら――
「ぜんぜん、まったく、かわいくないじゃん」
「それ言っちゃう?」
優斗がたまらずに笑い出し、風香もつられて笑った。
「つうか俺、ずっと持ってるとか、キモチワルイよね」
優斗は自分の首筋をがしがしと掻いた。
「まあ、そうとも言うのかな」
否定するのも気が引けて肩をすくめた。
「――じゃあ、返してもらったってことで」
風香は手の中のそれをポケットに入れた。優斗の視線が名残惜しそうに動く。
「……」
……こんなの、あげても構わないけど。
風香は迷った。
「……」
けれど返すことはやめた。
優斗の未練にならないように。自分の覚悟が揺れてしまわないように。
「ゆっくり食べて行ってね」
風香は、その場を離れた。
ディナータイムに近づくにつれ店内は少しずつ活気が出てくる。
シフトの交代もあり風香も優斗に構っていられなくなってきた。
隙を見て、もぞもぞしている優斗に近寄った。
「ゆっくん、お会計は済んでるから自分のタイミングで店出ていいからね」
こそっと言う。
「……ありがとう。じゃあ、次は俺がおごるから!」
「……」
風香は唇を閉じたまま、否定でも肯定でもない笑顔を返した。――これが、精一杯だった。