愛を失う数時間前
番外編

24 俺の同期~栗生編~



 
 人には『役割』というものがある。

 例えば、俺。
 学校では場の空気を読んで、友人たちが衝突しないよう気を配る役。
 職場では上司が望む、従順で元気な新人社員の役。
 家では長男として両親を助け、かわいい弟や妹たちのために何かをあきらめる役。

 ――自己犠牲?
 いや、そんなつもりはなかった。
 だけど『犠牲になれる自分』は嫌いじゃなかった。
 
 そんな俺の横に、『役割』を無視した男が並んだ。
 雨宮未知留。
 販売促進部に配属された俺の、同期。
 
 物静かで所作がいちいちキレイで、目の動かし方がゆっくりで……、男の俺でも、ついまた視線を向けてしまう――そんな中毒性があった。
 入社式では当然、周りの女子社員もそわそわしていた。
 その分、男性社員はつまらなそうな顔つきになり――、あ、これは反感を買うパターンか……と危惧したが、俺の予想は大きく外れた。
 なぜなら雨宮は、既婚者だったからだ。
 しかも高校時代から付き合っている彼女と、社会人になるのを待って結婚したという純愛ストーリー付だった。好感度が上がらないわけがない。妻のために定時退社を願い出たのは賛否が別れたが、少なくとも俺は家庭を大事にする雨宮に悪い印象は持たなかった。

 俺は入社後、比較的すぐに先輩たちに気に入られた。
 なんでも言うことを聞くから重宝がられたんだろう。
 元々、家族的な社風が自分に合うと思って選んだ会社だ。フットワークの軽さが俺の武器だったし、期待されれば誰かのために――それが会社のためであれ、喜んで引き受けた。
 
 一方、雨宮は俺とは対照的にマイペースだった。先輩たちは雨宮の事情を気持ちよく受け入れたわけじゃなかったから、多少の扱いづらさみたいなものは見えていた。だが雨宮は気に留めていないようだった。

 雨宮とは新入社員で同期ということもあって、一緒にいくつかの社内イベントを準備した。その中で自然と打ち解けた。
 雨宮は聞き上手だった。
 俺はあっという間に雨宮に気を許した。

 いろんなことを話した。
 一時期は“これってもう、俺たちは親友では?”と勘違いするほど、雨宮を信頼していた。

 
 ――「今度の日曜日、暇?」
 六月に入るとすぐ、俺の誕生日がくる。
「この年で家でお祝いとかどうかと思うけど、恒例でさ。よかったら俺んち来ない? がちゃがちゃしてるけど」
 俺は我が家に雨宮を招待した。
 雨宮は静かに遠慮を口にした。
「家族の行事なんだよね。部外者が入ると気を遣うんじゃない?」
 『部外者』という冷たい響きにどきっとした。
 ――俺が、雨宮にそう言わせる態度を取った?
 そんな風に一瞬でも思ったら、自分が意地悪い人間になったようで息苦しくなった。だから余計、強引に誘ってしまったのかもしれない。

 それからは、休日になると雨宮を家に呼んだ。
 奥さんがサービス業で土日祝日はひとりで過ごすと聞き、だったらうちでご飯でも――、という流れになった。
 なにより俺の両親も弟妹たちも、清潔感があって礼儀正しく、しかもカッコイイ雨宮をすっかり気に入ってしまったのだ。

 雨宮はいつのまにか弟妹たちから悩みを相談されるまでになっていた。
「どっちが“兄ちゃん”か、わかんないなあ」
 弟妹たちと頻繁にメールのやりとりをしていると知り、正直寂しさを覚えた。
「年頃になると、家族には言えないことも出てくるものだよね」 
 その言葉にはっとした。
「……あ、なるほど。そうだよな」
 雨宮に弟妹たちを奪われたように感じるなんて、自分はなんて器が小さいんだ、と思った。ただでさえ雨宮には弟妹たちの悩みを聞いてもらう分、迷惑を掛けているのに。――この時の俺は、その判断のせいで後にどれほどのトラブルを引き寄せるか想像もしていなかった。弟妹たちの悩みは深刻で、他人がどうこうできるはずもなかったのに……、ただ優しい雨宮に甘え、雨宮を信じていた。 

 すぐ下の弟のヒロは、仲が良かった友達に裏切られネットビジネスで借金を作っていた。
 その下の妹のアキナは、バイト先でストーカーに悩まされていた。
 末の弟のマナトは、家族に金銭的な負担をかけたくなくてサッカー留学をあきらめていた。
 ……そういうことを弟妹たちは、雨宮に相談したのだ。

 
 振り返れば『始まり』は『あの日』だった。

 いつものように遠藤先輩に指名され、取引先へ付いていった。
 その途中で雨宮からメールが入ったのだ。

雨宮:迷ったんだけど、きみは彼のお兄さんだし
伝えておくべきだと思って
 
 送信者の確認だけするつもりが、意味深な文面が気になって画面を開いたまま凝視してしまった。
 次のメッセージはすぐに入った。

雨宮:ヒロ君が、おかしなところから借金をしていて
 
 は?
 俺は遠藤先輩が顧客と打ち合わせをしている横で、完全にスマホに意識を預けていた。遠藤先輩に「おい」と肘で呼ばれるまで、俺は画面を見ていた。雨宮のメールに続きがあると思ったからだ。
 
「あっ、申し訳ありません」
 慌ててスマホをポケットに戻した。だが当然身は入らなかった。

 その日は直帰していいことになっていて、いつものように遠藤先輩から「軽く飲んで帰ろう」と言われた。俺はその日初めて、遠藤先輩の誘いを断った。

 すぐに雨宮にメールした。
【さっきのどういうことか詳しく教えて】
 ……ヒロが借金? それすらもピンとこなかった。
 
 だが、いくら待っても既読が付かない。 
 焦りの中で会社に戻ると、雨宮は退社した後だった。
 ……ああ、そうだ、雨宮は残業NGだったっけ。

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