愛を失う数時間前

 
 雨宮からの返事はしばらく返ってこなかった。
 だから俺は悶々としたままだった。
 

雨宮:遅くなってごめん
美容室でカットしてて。
スマホ、鞄の中だったから

 あんな中途半端なメールを送っておいて、スマホを触らないなんてありえない……。
 だけど返信が遅かった理由を書かれて、俺は不満を呑み込んで本題に入った。
 
 
雨宮:僕がもう少し話してみるよ
それまでは知らないふりをしていて
ヒロ君にもプライドがあるから

 ……。 
 『プライド』と言われると理解もできて……、俺は、雨宮に頼ってしまった。

 
 それからはヒロのことばかり考えるようになった。
 我が家は正直、裕福とはいい難い。俺も奨学金で大学に行ったし。だからって弟に借金があって、それを一人で何とかしろなんて、俺の家族は誰も思わない。――なんで『兄ちゃん』に相談してくれないんだよ。
 歯痒い思いを抱えつつも、見守るしかなかった。

 
雨宮:ヒロくんの精神状態が
不安定になっていってる

雨宮:家では普通にしているはずだから
刺激しないであげて

 
 雨宮の報告はどんどん深刻になっていった。
 どうすれば救い出せるのだろうかと、俺は四六時中、ヒロのことを考えていた。

 そんな中、遠藤先輩に付いていった大きな商談の最中、俺は立ち上がってしまった。
 雨宮のメールを読んだ直後だった。
 
「すみません、先輩。俺、どうしても行かないと――」
「は?」
 俺は新人の分際で――、いや、遠藤先輩に目を掛けられてこの商談の席にいる立場で、遠藤先輩の指示も先方の了承も得ずに部屋を飛び出してしまった。でも……どうしようもなかったんだ。


雨宮:ヒロ君が
自殺しようとしてる、
ごめん、僕じゃ助けられない、場所は――――
 
 じっとしていられるわけがないじゃないか。
 俺は職務放棄という形で弟の元へ駆けつけた。
 
 結論から言うと、弟は無事だった。
 雨宮が教えてくれた橋の欄干に、ひとりで佇んでいた。
 
 俺はヒロとじっくり話した。
 親にもすべて打ち明けた。そして家族一丸となって解決させた。……もっと早く、こうしておけばよかった。
 そう思ったが結果論でしかないと、自分に言い聞かせた。

 ――よし、ここからまた仕事を頑張ろう。失った信頼を取り戻そう。
 俺は今まで以上に遠藤先輩に食らいつき、ようやく先輩が機嫌を直した頃だった。今度は妹、アキナに問題が起きた。


雨宮:アキナちゃんのバイト先に
知らない男が毎日現れるらしいんだ
 
 雨宮は、アキナの身に起きていることを教えてくれた。

雨宮:なにかあったら大変だよ
バイトは辞めてもらった方がいいかもね

 俺は雨宮に「知らせてくれてありがとう」と心から礼を言った。
 今度こそ、兄として俺が率先して妹を助けたい――!
 
 高校生の妹は親からの小遣いを辞退しコンビニでアルバイトをしていた。
 妹としては長く続けた分、仕事にも慣れバイト仲間にも恵まれ楽しくやっていた。辞めたくはないという。
 
「小遣いは兄ちゃんがやるから、バイトはいったん辞めよう」
「そういうことじゃないよ」
 妹は泣いていた。
「わかってるよ」
 可哀想だったが、妹の安全には変えられなかった。

 だが事は片付かなかった。
 ストーカーは妹のなにもかもを特定していて家や学校で待ち伏せされるようになった。コンビニで会えなくなったことで避けられたと気づき、愛情が憎悪に代わったらしい。
 警察にも相談した。だがあまり深刻に捉えてもらえず、妹をひとりにしないよう家族みんなで見守る日々が続いた。
 
 俺も妹を守るため、定時退社せざるを得なかった。
 睡眠不足が続き仕事でミスをすることも多くなり、処理できない仕事は積まれていった。遠藤先輩から頼まれた仕事もどんどん抜け落ちた。――その穴埋めをしたのが、雨宮だった。
 

「お兄ちゃん、私、ボクシング習うわ」
 アキナが唐突に言ってきた。
「びくびくしてるのって、性に合わない」
「そうか――、そうだな」
 
 アキナはジムに通うことになった。
 オーナーに事情を話すと、なんと送り迎えを引き受けてもらえることになった。

 俺は申し訳なさを感じながらもホッとした。――これでようやく“仕事に戻れる”。
 
 俺は遠藤先輩に心から詫び、家族の問題も包み隠さず打ち明けようと思った。
 その矢先だった。
 雨宮がマナトの問題を“持ってきた”。
 
 人を疑うのが苦手な俺でも、さすがに何かがおかしいと思い始めていた。
 なぜこうも、雨宮が俺に家族の話をしてくるタイミングは『遠藤先輩が関わっている時』なのだろうと。
< 51 / 61 >

この作品をシェア

pagetop