愛を失う数時間前
アキナがストーカー被害と向き合うことができた後――、俺はヒロに念を押したことがあった。
「自殺だけはダメだ、それだけは、兄ちゃんは許さないからな」
ヒロはぽかんとしていた。
「自殺? 俺が?」
「しようとしてたんだろう、追い詰められて」
「いや、『どうしよう……』とは思ったけど、死ぬことは考えなかったよ」
「ほんとか?」
「当たり前だろう。俺が死んだからって借金が消えるわけないし。てか、家族が払わされるじゃん。死ぬ意味ないし」
「……」
よかった、
俺は気が抜けた。
……なんだ……、初めから自殺を心配する必要はなかったってことか。……となると、雨宮のメールはなんだったんだ?
――その時の違和感が、俺に問いかけてきた。
「……」
俺は、今度こそ末の弟、マナト本人に真相を訊ねた。
雨宮が俺に伝えてきたように『家出をするつもり』でいるのかどうか。
答えは聞くまでもなかった。
マナトは「家出してどうするの」と逆に質問してきた。
……だよな。
俺は弟妹たちの性格をよく知っていた。
それなのに、毎回どういうわけか雨宮の言葉を真に受け、右往左往した。最悪な事態しか想像できなくなり、雨宮の深刻な言葉ばかりが常に頭を支配した。
本当に、どうかしていた。
アキナにもストーカー被害の経緯を詳しく聞いてみた。
普段の妹はオシャレよりゲーム派で、まだ恋愛に興味がなかった。そんな妹のどこを見てストーカーしようなんて思ったのだろうか。もちろん自分の妹だから、贔屓目で見れば可愛いところもある。だが正直、男にはあまり愛想は良くない。
「なんでストーカーされることになったのか思い出せるか?」
「わかんないよ、そんなの。ある日突然現れて、そこからつきまとわれたんだもん」
「ある日突然現れたって?」
アキナは苦々しい顔で、あ――、と思い出したように斜めに視線を上げた。
「けどへんなこと言ってた。“俺もきみと喋ってみたいと思ってた”って」
……“俺も”。
確かに、おかしい。その言葉では、まるでアキナが先にストーカーに隙を作ったような印象を受ける……。
「……なあ、それって雨宮が家に遊びに来る前か? 後か?」
俺は確かめたくなった。
妹は「うーん?」と考えてから、「後だね」と言い切った。
雨宮が妹のストーカーと繋がっているかどうか証拠はない。
弟たちのことがなければ俺だって、そんな馬鹿げたことあるはずない……と思ったはずだ。
だが今俺は限りなく――疑っている。だってそうだろう?
『偶然』ってこんなに重なるものか?
俺は気味が悪くなった。
雨宮未知留に関わるとロクなことがない――そう本能が言ってきた。
……思うことはあったが、余計なことを考えず仕事に打ち込もうと切り替えた。
せっかく、入りたくて入った会社だ。
だが時はすでに遅かった。
俺の“元気”は社内で空回りしていた。
代わりに俺とは正反対の雨宮が、俺のミスをそつなくカバーして株を上げていた。
雨宮は元々、言われたことは勤務時間内に終わらせ、残業する俺よりも数段仕事が早かった。そんな雨宮を遠藤先輩が気に入ったのは当然だし――、俺たちの立ち位置が逆転したのも、俺の努力不足だ――と、俺は潔く認めた。
それでも、納得できないことがあった。
雨宮が俺と言葉を交わさなくなったことだ。
無視するとか陰で何か言うとか、そういうんじゃない。
ただ、いてもいなくてもいい存在――『空気のように』接してくるのだ。
それは俺だけに限ったことではなく、あれだけ頻繁に連絡を取り合っていた俺の弟妹たちにも同じだった。メールを返さなくなり、家にも来なくなった。
家族は、雨宮と喧嘩でもしたのかと俺を責めた。……が、俺は何も言わなかった。そして雨宮にも問い詰めなかった。
もう、どうでもいい――と思った。
雨宮がなにか仕掛けたのだとしても、俺の失態は俺のせいだし、誰を恨むのも虚しい。
いや、違う。
――関わりたくない。
……というのが本音だった。
そんなあきらめの中にいたあの日、雨宮の奥さんが会社にやってきた。