愛を失う数時間前
後日譚

愛を取り戻す数時間前


 
 「――風香ちゃん」
「お姉さん!」
 
 懐かしい声に呼ばれた。誰だっけ?
 気にはなったが、今自分がいるまどろみが心地良く目を閉じたままでいた。
 
「フッカちゃん!」
 !
 だがその声だけは無視できなかった。
「(ゆっくん、駅でずっと待ってた? いけなくてごめん――あれ? でも会ったよね、どこで会ったっけ――)」
 喋っているつもりだったが、唸り声しか出ていなかった。
 ……ぅ、うっ、……っ、
 徐々に意識が濃くなって――同時に、痛みや喉の渇きに襲われた。

「フッカちゃんっ!」
 やはり、やや遠くで優斗の声がする。
 ぼんやりした視界で誰かが自分の腕を触っていた。風香は眉間を寄せ、現実を迎えた。
 ……――ああ、そうだ、私、死ぬところだったんだ。

「お姉さんっ、大丈夫?」
「……」
 うわ、と風香は心の中で声を上げた。
 ……お継母さんの娘たちがなんでいるの。……っていうか、ここどこ?
「丸二日寝てたんだよ!」
 
 ……病院か、
 視界がはっきりしてきた。
 風香は自分を囲んでいる面々を見上げた。背中に鈍い痛みがある。
 
「フッカちゃん、痛い? 点滴に痛み止め入ってるって看護師さんが言ってたけど」
 優斗の声だ。
「私の背中、どうにかなったの?」
 優斗に聞いたつもりが「打撲のひどいやつだって」と姉妹のひとりが教えてくれる。
「骨折してなくてよかったって、お医者さん言ってたよ」
 もうひとりの妹がすかさず付け足す。
「風香ちゃん、呼吸が苦しいとか吐き気がするとか、手足は痺れてない?」
 点滴スタンドに繋がれていない方の腕をさすっていたのは継母のようだ。
「いったいどうしてこんなことに」
 継母は涙声だった。
「風香、ちゃんと説明しなさい」
「……」
 風香は父の声を無視した。
 養ってもらっていた頃ならともかく、今は何の世話にもなっていない。機嫌を取る必要はない。

「あいつ、どうなったの」
 少し離れたところにいる優斗へ声を掛けた。優斗は素早くベッドの近くに来た。
「未知留は別の病院だよ」
「……怪我、ひどいの?」
「いや、そこまでじゃないって聞いてるよ」
「そっか」
 自分の反撃がたいした打撃を与えていなかったことにやや落胆し、そして安堵した。

「のんちゃんは、どうしてる?」
「それが、どさくさに紛れてあの場から逃げたみたいで。そしたら――」
「風香さん、そのことなんですけど」
 !
 少し離れたところから別の声が混じってきた。栗生だった。

「あ、栗生さんもここに?」
 風香は優斗に支えられて身を起こした。
 継母がすかさず電動ベッドを上げて、妹たちが避けた空間に栗生が入ってきた。
 風香は肩を竦めた。

「私、最後でやらかしてしまって。栗生さんはうまくいきましたか?」
「はい。俺の方は――そんなことより、俺、後悔しました。最後まで俺が一緒にいればって」
 風香は、手のひらを栗生に向けた。
「私たちの共闘は私が家を出るまでです。だから責任とか感じないでください」
 栗生の協力がなければ未知留に復讐できなかった。栗生には感謝しかない。
 
「……」
 栗生の横で、なぜか唇を小さく尖らせていた優斗がみるみる笑顔になった。
 それとは対照的に栗生の表情が寂しげに曇った。

「なにか問題が起きたんですか?」
 心配になり尋ねると、栗生は慌てたように首を横に振った。
「――あ、えっと、実は。事情を知らなかったので雨宮の妹をロッカーに案内するよう、警備員に頼んでしまって」
「……」
 なるほど。
 風香には、花音の行動の理由はもちろん――分かる。
 ……ポーチよね。
 唇の中で呟く。
 あのマンションへ行ったとしても鍵は偽物だが。

「――少しよろしいですか」
 太い声と足音が病室に入ってきた。
「刑事さんだよ」
 優斗が小声で教えてくれ、……ああ、と覚悟を持つ。
「ご主人からはすでに今回の経緯について説明を受けました。奥さんからもお聞かせいただけますか」
「はい」
 風香は落ち着いて頷いた。
 
 ――離婚を決めて家を出たこと、忘れ物をし戻ったら夫に気づかれ暴力を振るわれたこと、命の危険を感じて必死に抵抗したこと、義妹が投げつけてきたロウソクが家を燃やしたこと。
 刑事のひとりはメモを取り、もうひとりは風香の表情を追いながら聞いていた。
 
「事情はわかりました。ただご主人の言い分と食い違いがあります」
「……」
 風香は憮然とした。

「ご主人は、今回の件は行き過ぎた夫婦喧嘩だと仰っていました。原因は奥さんが妹さんを侮辱したことだと」
「侮辱? した覚えはありません」
 物は言いようだ。風香は不満を堪えた。
「あなたが負傷したことについても、暗くて見えない中で運悪く当たってしまっただけだと」
「彼らはロウソクを持って私を追いかけてきたんです。見えていないはずありません」
「ご主人は、そもそもロウソクを持っていたのは奥さんだと言っていますが」
「!」
 ……あの男、最後までよくも……。

「――あの」
 風香がわなわなと震えていると、優斗が耐えきれないという様子で会話に入ってきた。
「俺、証拠撮ってます」
 えっ?
 問い掛ける刑事より風香の方が驚きが強かった。

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