愛を失う数時間前


 主治医が診察を終えても、“家族”は病室に戻ってこなかった。
 廊下では、父が「出直そう」と言っている声が聞こえたが、風香は知らんぷりしていた。
 
 遠慮気味に、優斗と栗生が病室に入ってきた。
「――お父さんたちには、俺から話そうか?」
 優斗がちらちらと廊下の方を気にしながら言った。その心遣いにばつが悪くなった。
「俺も証言します。風香さんは何も悪くないってこと」
「栗生さんまで……。まあ、あの、よくある親子喧嘩なので心配しないでください」
 ごまかすも、ふたりは深刻な表情を解かなかった。

「……」
 風香の本音から『子供時代』を想像せてしまったようだ。
 死を覚悟したあの一瞬、押し寄せてきた後悔のひとつが、なぜ親に文句のひとつも言わなかったか……だった。それをさっき実行しただけなのだ――と言ったら、余計に困らせることになるだろうか。

「……それより、ふたりはいつのまに知り合いに?」
 風香は強引に話題を変えた。
「なんだか息が合ってる気がするけど?」
 明るく言ってみる。
 優斗と栗生は急にぎくしゃくし出した。

「そうですね、風香さんが入院してから毎日会ってたので、自然と……」
「あっ。栗生さんがフッカちゃんに協力してくれてたって聞いてる。ちゃんとお礼は言っておいたよ」
「?」
 なぜ優斗が代わりに礼を言うのだろう? と疑問が沸いたが、間一髪で救い出してくれた優斗への感謝を、そういえばまだ伝えていないことに思い当たった。
 
「ゆっくん、助けに来てくれてありがとうね。来てくれなかったらあの兄妹と一緒に死んでただろうから」
 思い出しても、ぞっとする。
「それにしてもゆっくん、よく電源落とせたね」
 優斗が頭を掻いた。
「俺も準備してたから」
「?」
「工具セットとか護身用のスプレーとかいろいろと」
「そうなの?」
 驚きすぎて大きな声を出してしまった。
「まあ、それ使ったこと警察には黙ってたけどさ」
「……賢明な判断だね」
「たださ、俺もちゃんと協力したかった。言ってほしかった」
 優斗がちらっと、栗生を見た。
「……」
 それを言われると、風香は小さくなるしかなかった。「えっと……」
 風香は話す相手を栗生に変えた。
 
「栗生さんもありがとうございました。あなたがいなければ未知留に一泡吹かせることはできなかったです。――あの後どうなったか、教えてくれますか」
 栗生は、もちろんです、と言って、殺伐としたパーティの雰囲気や未知留の無様な様子、ただ突っ立っているだけの花音のこと、社員たちが侮蔑を隠さなかったこと――などを簡潔に、だが臨場感を持って話してくれた。


「サイコーじゃないですか!」
 風香は気分爽快だった。その場で見られなかったことが悔やまれるほどだ。

「俺もお礼を言わせてください。雨宮の策略の件、しっかり伝えることができました。風香さんに、やられっぱなしでいいのかよ、ってことを問い掛けてもらったおかげです――あっ、俺がそう受け取ったというか……」
「そんな風に変換してくださったなら逆にありがたいです」
 復讐のために他人を巻き込んだうしろめたさが、栗生の清々しい表情を見てわずかに薄れた。
 
「これからは空気を読んで我慢することより自分の損得を考えます」
 栗生は笑って言った。
「奇遇ですね。私も同じこと決意してました」
 風香も感情を飲み込むことを止めようと思っていた。そうやって生きてきた結果が、これだから。

「――あのっ」
 優斗が会話に割り込んできた。栗生と共に優斗を見た。
「栗生さんっ、フッカちゃんに伝えたいことはこれで全部ですか?」
「えっと、――まあ、はい」
「じゃあもう帰ってください」
「!」
 突然の要求に風香はぽかんとして優斗を見た。
 優斗は鼻先で息を吐いている。

「俺、すっごく大事な、大切なことをフッカちゃんに伝えなきゃいけなくて、そしてすぐに謝らないといけなくて。悪いんですけど、ふたりきりにしてもらいたいんです」
「……わかり、ました」
 優斗の強い語気に気圧されたのか栗生は頷き、数秒後にはっとしたように風香を見た。
「俺も、実はまだ言えてないことがありまして」
「は、はい」
「でも俺も、ふたりきりのときに伝えたいので、また、来ます」
 栗生から伝わってきた緊張感を受け取る間もなく、優斗が栗生の体をくるっと回転させた。
「あっ、では風香さん、またあとで、お大事に――」
 別れの挨拶もそこそこに、優斗が栗生を廊下へと押し出した。笑顔で手を振る優斗をベッドの上から眺めていると「やっと行った」と捨て台詞を吐きながら優斗が戻ってきた。

 優斗は難しい顔つきで風香に言った。
「あの人が悪い人じゃないのはわかる。未知留に罠にかけられたことも同情してる。未知留と同じ会社の人だから、フッカちゃんが協力者に選んだことも理解できる」
「うん?」
「あの人、フッカちゃんと毎日、何度もメールのやり取りをしたって俺にアピールしてきたけど、同じ目的があったから手を組んでただけだよね。短期間で濃い関係になったからってそれ、単なる吊り橋効果だからね。勘違いしちゃだめだよ」
「……」
 言わんとしていることはわかるが、命の危機に颯爽と現れた優斗の方がよっぽど――と言いかけて、止めた。
 
「フッカちゃん、なんで赤くなって……まさか」
 風香は顔の前で両手を払うようにした。
「違うからっ。っていうか、ゆっくんが私に言いたいことって、それ?」
 優斗はまだ続けたいようだったが、「私もそろそろ疲れてきたから」と半分本音を口すると、すぐに本題に入った。
「そうだね、ごめん……、謝りたいのは未知留のことだよ」
 そして重い口を開いた。

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