愛を失う数時間前【通常版】
……母親の再婚相手の子供が、私を“初恋”って? いったい、どういうこと?
「……とにかく」
――会ってみなければ。
深夜勤務の翌日は休日を取ることが決まっている。
今日は一日フリーになる。
風香は手紙の住所をスマホで撮って、慎重に写真集の中へ手紙の束を戻した。
出掛ける準備をしながらも、風香は花音の昼食に意識を取られた。
本当は花音の――いや、未知留のためになるようなことも、この先は何ひとつ頑張りたくなかった。けれど――、と風香は自尊心を宥める。
証拠をつかむまでは、怪しまれる行動は控えなければならない。
自分のために。
仕方なく、コンビニへ行き花音の弁当を買った。
黙って部屋の前に置く。
昨日までなら返事がなくても声だけは掛けた。
――のんちゃん、ごはん廊下に置いたからね
――のんちゃん、なにか必要だったら遠慮なく言ってね
――のんちゃん……
……私は、馬鹿だった。
何も知らずにこの兄妹に尽くしてきた。
この先は二度と騙されない。
風香は無言のまま家を出た。
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スマホのナビに住所をセットして、目的地へ着いた。
途中、未知留が通った中学校を横切った。ふたりが同級生というのも本当のようだ。
同じ造りの建売住宅が並ぶ中、表札に『三枝木』と書かれてある家を見つけた。
風香はマフラーの中にすっぽりと隠した唇で溜息をついた。覚悟して来たのに、足が震えていた。
……あの家にあの人(母)もいるのかな、それとも入院してるのかな、
インターフォンを押す勇気がなかなか出ず、右に歩き出す。見知らぬ住宅街を勘を頼りにひと回りし、再び目当ての家の前に来た。見上げる。
「……」
時計を確認した。
昼近かった。
――今日は、住所の家を特定できた、そのことだけで満足しようか。
そう割り切って歩き出すが心は迷っている。
――いや、インターフォンだけ鳴らしてから諦めようか。
立ち止まり踵を返す。
――どうしたらいいんだろう……。
目的があってここまできたくせに、足が前へ出なかった。自分を捨てた母親とは二度と会わないと決意した『幼い頃の風香』が、今も心を支配している。あの時の絶望が忘れられないのだ。
結局風香は、住宅街を五周した。
周辺にある新聞配達店もマンションも、変わった塀がある家も、『セールスお断り』と書かれた家の位置も、脇道から通りに出る場所も全部覚えてしまった。
「カオスだ……」
風香はとっくに痛みが出ている足を見下ろす。自分の無意味な行動にほとほと嫌気がさした。
「よし、決めた」
決意を口にして心を無にした。ずんずんと、目当ての家へ歩いていく。……考えるな。
自分自身に命令した。
ピーンポーン
音が鳴ってから、押してしまった、とパニックに陥った。
……逃げ出したい!
常識がそれをなんとか押しとどめている。
……どうか、誰もいませんように。
切実に願った。
「――はい」
中から声がした。若い、男の声だった。
ドアが開いた。
面倒そうに出てきた男は風香を認め、次の瞬間驚いたように口を開けた。風香もそれにつられて身を引いた。
「フッカちゃん?!」
「!」
その愛称で呼ばれた途端、さわさわさわ――――と風香の視界の端を草原が通り抜けた。
……私、この呼ばれ方に覚えがある……
そして――
「ゆっくん?」
風香の唇も目の前の男に呼び掛けていた。