敵国から嫁いできた悪役王女……のつもりだったのですが、めちゃくちゃ大事にされている上に、契約結婚になるようです。

 月が綺麗な夜のことだ。
 
 その日、クリスタは少し早めに寝る支度をして、孤児院に設置されているガゼボでケイトを待っていた。
 この孤児院は王妹の手が入っているので、割と贅沢なつくりをしており、広い庭園にガゼボがいくつか設置されているのだ。

 家族みんなで月見をすることもあるが、その日はクリスタがケイトを誘い、二人で月見をすることにしていた。
 院長に許可を取り、眠気を邪魔しないようにお茶ではなくお湯を茶器に入れ、こっそり隠しておいたクッキーを取り出し、ウキウキでこの場にやってきた。しかし、肝心のケイトがまだ来ておらず、仕方なく一人でガゼボの椅子に腰を落ち着けて月を見ていたのである。

「……君は」

 聞きなれない低めの声が聞こえて、クリスタはぴゃっと飛び上がる。
 驚いて声のしたほうを見ると、そこにいるのは、若い男性だった。
 ナチュラルブラウンの髪、すらりと伸びた体躯、キラキラと輝く新緑の色をした目。
 身なりはよく、身に着けているものが、華美ではないけれども高級な品であることは見て取れる。
 そして、白い肌は若干上気しており、うっとりとした様子でクリスタを見ている。

「こんばんは?」

 驚きながらも、クリスタはとりあえず挨拶をしてみた。
 この孤児院に、男はいない。課外活動でも、若い男性からは比較的隔離されているので、十代から三十代前半の男性を見るのは、八年ぶりのことだった。
 だから、クリスタには、彼が何歳なのかすら、いまいちよくわからない。
 彼女にとって、目の前に立つ人物は、完全に、違う世界で生きている生き物である。 

(……この人、どうしてここにいるのかしら。もしかしてこれって、危険な状況なのかしら)

 挨拶はしたものの、身動きをせずに動かないクリスタに、警戒していることが伝わったのか、男は「すまない」と慌てて付け足した。

「驚かせて、すまない。私は、その……この国の、貴族で」
「……?」
「き、君と、話をしてみたい。よかったら、そちらに行っても構わないだろうか」

 暗がりの中に立っているにもかかわらず、彼が顔を赤くして、なんだか照れている様子であることが見て取れる。

 クリスタは、うーんと首を傾げた。

(もし危ない目にあったら、多分ケイトが助けてくれるわよね)

 気絶させられて誘拐されてたとしも、多少怪我をしても、魔女ケイトが助けに来てくれることは間違いないだろう。
 即座に息の根を止められたら助けようがないかもしれないが、様子を見るに、男がそんな暴挙に出ることはなさそうだ。

「どうぞ」

 クリスタが頷いたので、男は彼女の傍までやってきて、ガゼボに設置されたベンチ、彼女の隣に座った。

 話を聞くと、どうやら男は、この国の王子らしい。
 もうすぐ国を継ぐ彼は、国王に引き継ぎの一環で、『王妹ヴェローチェの秘密の孤児院』の場所を教えてもらったのだとか。

 世にも美しい女性や、優秀な女性だけを集め、王侯貴族の侍女や下位貴族の妻となるべく、教育をほどこす孤児院。
 実際に、その孤児院出身の女性達は、受け入れた貴族や夫達から大変評判がよく、女性達も王妹の後ろ盾があるということで、出仕先や嫁ぎ先で、のびやかにその才能を花開かせている。

 そして問題は、その孤児院に立ち入ることを、国王や王子ですら許されていないということだ。
 孤児院の引き継ぎに関しては、男の妹の一人が国内の男と婚姻予定なので、婚姻後に、王妹から引き継ぐ予定としているらしい。

「ヴェローチェ叔母さんが、結婚前に引き継ぐのはだめだと言うんだ。君達が優秀で美しすぎるので、男に対してだけでなく、独身の女性にも毒になるからと」
「まあ。大お母さん……ヴェローチェ様も、未亡人でいらっしゃるから、今は独身なのに」
「ヴェローチェ叔母さんは、君達のことを本当の子どもだと思って育てているから、別枠なんだって」
「ふふ」

 ヴェローチェの気持ちが嬉しくて、クリスタは思わず頬を緩める。
 すると、男がカアッと顔を赤らめて、目を瞬くクリスタに気が付いたのか、そっぽを向いてしまった。

「それで、どうしてあなたはここにいるの?」
「……忍び込んだ」
「ええ?」

 男は、ヴェローチェがあまりにもかたくなに孤児院を隠すので、興味がわいて、彼女にも国王にも無断で、この孤児院に忍び込んだらしい。
 警備や魔法の防壁は、無理やり連れてきた宮廷魔術師に突破させたのだとか。

 それから、男とクリスタは、色々な話をした。
 男の話は面白かった。
 彼の通っている学園のこと、学友のこと、家族のこと、貴族達とのやりとり。
 すべてが新鮮で、クリスタは話を聞くのに夢中になってしまう。
 クリスタは話し手を楽しませるための教育も受けていたため、それを実践してみたところ、男は喜んで色々なことを語ってくれた。

「この孤児院には、魔女が居るんだろ?」
「え?」
「父上が、魔女協会に通報しなかったから。何かの役に立つだろうって、隠してるみたいだけど。君じゃないよね?」
「……」

 魔女協会。
 初めて聞いた単語だけれども、そんなものが存在しているのか。
 ここでケイトのことを言ってもいいものか……。

 クリスタが思案していると、男が肩をすくめて尋ねた。

「もしかして、君なの?」
「ええと……違うと思うわ」
「思うだけ?」
「魔女ってどんな存在なの?」
「うん? 皆をびっくりさせるような存在かな。あの厳格なヴェローチェ叔母さんが、初対面で気絶したって聞いてるし」
「それは私のせいかも」
「それって、君が魔女ってこと?」
「そうかもね」
「ごまかすんだ」
「ごまかされてくれるの?」
「君が俺と結婚してくれるなら、ごまかされてもいい」
「え?」
「俺のことは、嫌い?」

 急なことに、クリスタは目を瞬く。
 結婚とは、こんなノリでするものだっただろうか。

「別に、嫌いではないけど」
「そうか、よかった」

 彼がするりと近づいてきて、口元に温かい感触がする。
 すぐに離れた彼に、「あの……」と声をかけると、間近に男がクリスタのことをうっとりと見ていたので、なんだか恥ずかしくて、クリスタは思わず目をそらした。
 しかし、その様子が引き金になったのか、男はしばらくクリスタを放してくれなかった。

「すぐに迎えに来るから、待ってて」

 満足したのか、ようやくクリスタを解放した男は、懐から懐中時計を取り出し、クリスタに握らせる。
 とりあえず頷いておくかと、クリスタがこくりと頷くと、男は満足そうに微笑み、茂みに隠れていた宮廷魔術師に声をかけ、その場からいなくなってしまった。

「急展開だわ~」
「!?」

 急に背後から声をかけてきたのは、もちろんケイトだ。
 なんだかいけないところを見られてしまった気がして、男が居た時よりもずっと心臓がうるさい。

「い、居るなら言ってよ!」
「そんな野暮なことはしないわよ~」
『声をかけたら交尾が中断す』

 あわててケイトの口をふさいだが、両手を取られて、結局最後まで言われてしまう。

「それで、結婚するの~?」
「するみたい?」
『結婚をすると、ネトラレ、ウワキ、スパイスという言葉が輝くらしい』
「まあ~、誰がケイトをこんなふうに育てたのかしら~」
「カミラよ」
『私はカミラの勧める本を多く読んだ』
「そういえばそうだったわね~」

 くすくす笑いながら、クリスタはケイトと月見の続きをする。

 男のことは、別に嫌いではなかった。
 話をしていても楽しいし、近づかれて嫌だとも思わなかったし、どうせ誰かと結婚するなら、それが彼でもまあいいのかなと思う。
 それに、今になってよくよく考えると、男はこの国の王様になるらしいので、ケイトを侍女として連れていくこともできるだろう。

(それならまあ、いっか)

 鳥の羽よりも軽いノリで結婚を決めたクリスタ。
 ケイト以外にたいして興味を持たない彼女は、この時、男の名前を聞いていないことにすら気が付いていなかった。
 そして、過剰なほどの自信にあふれ、この上なく手が早かったこの国の王太子が、自分に死ぬほど惚れてしまったことにも、まったく気が付いていなかったのである。


   ~✿~✿~✿~

 それから、クリスタは本当に、忍び込んできた男——ヴィルクリフと結婚することになった。

 当然ながら、結婚までには一悶着あった。

 まずはヴェローチェが、甥っ子が言いつけを守らずに孤児院に忍び込み、よりによってクリスタに懸想したことに頭を抱えた。

「ヴェルクリフ! だから言ったではありませんか!」
「叔母上こそ、なぜあのような素晴らしい女性を私達に隠していたのですか!? 下位貴族に与えるなど信じられない!」
「クリスタのことはいいの! それより、あなたには沢山の婚約申し込みが来ているでしょう! 侯爵令嬢に、伯爵令嬢に……」
「——だって、ヴェローチェ叔母さん。クリスタは今まであってきた高位貴族の令嬢達の誰よりも博識で、俺の話を理解して面白い返しをしてくるじゃないか。それに、あんなに綺麗な女性は見たことがないよ」
「ヴィル! 王になるなら後ろ盾も必要なの!」
「下手に派閥に巻き込まれるより、しがらみがないほうがましさ」

 叔母の言うことを聞く気がない甥は、王太子の皮を脱ぎ捨て、そのまま説教を続けようとする叔母を置いて逃げて行ってしまった。
 要するに、叔母ヴェローチェでは、恋に浮かれる二十歳の甥っ子を止められないということだ。

 次に、国王は真面目な顔でこんなことを言い出した。

「私もその孤児院を見学に行きたい。息子が知っているというのに、父が知らないというのはどうなのだろうか」

 昼下がりの執務室が空気が凍り付き、国王は、笑顔をたたえた王妃達に私室に連行されていった。
 それから翌日まで、国王を見た臣下はいないという。

 また、頼りにならない国王をよそに、王妃達は、国を継ぐ長男の未来の妻が孤児であることに頭を抱えていた。

「あれだけ大量に来ている婚約申し込みを断って、よりにもよって孤児に自分から婚約を申し込むだなんて、世間にどう説明したら……」
「そもそも、王太子妃になる素養があるの? 愛妾という選択肢は? 見目はいいけれど、親が居ないんですもの、教育水準が足りないのではないのかしら」
「ヴェローチェ様が厳しく教育していたらしいわ」
「ああ……あのヴェローチェ様が……」

 自分にも他人にも厳しい義理の妹のことを思い、王妃達はため息をつく。
 あの孤児院出身の女性は、王妹ヴェローチェが、どこに出しても恥ずかしくない最高の女性として仕上げた者達だ。
 クリスタはその中でもトップクラスに優秀であったとの話なので、おそらくは、並みの貴族令嬢よりも教育が行き届いているはず。
 なんなら、若い頃の王妃達よりも、博識で気遣いにあふれているかもしれない。

 そして、クリスタに付いてくるケイトの扱いについては、宮廷魔術局が頭を抱えることになった。

「まさか、本物の魔女に会う日が来ようとは……」
「このまま交流していいものなのか?」
「いっそのこと、魔女協会に通報しては?」
「そんなことをしたら、対象は魔女の国に連れて行かれるのでは」
「人の世界との協定違反だ。刑罰を受ける可能性もあるだろう」
「刑罰……魔女の国から戻ってこられなくなりそうだな。それは我々にとって好都合なのでは?」
「その場合、王太子候補も魔女の国に行くと言っているらしいが」
「え?」
「対象と王太子候補は離れて暮らすつもりはないらしい。王太子妃になることよりもそのことが優先であると」

 宮廷魔術局の会議室が静まり返る。
 魔女協会に通報すると、ケイトだけでなく、クリスタもヴィンセント王国から居なくなる可能性が高いようだ。
 王妃達は安堵するかもしれないが……。

「王太子が黙っていないだろうな……」

 宮廷魔術師達は、一様にため息をつく。

 彼らは将来、王太子ヴィルクリフの臣下となるのだ。
 そして、ヴィルクリフはまだ若く、その施政は短くても二十年は続くことだろう。
 この段階で、上司の気分を害することは、得策ではない。

 そもそもこの婚姻話が上がったのは、王太子ヴィルクリフの熱望によるもの。
 国王や王妃達ですら折ることのできないその望みを、宮廷魔術師達が折ることができようか。

「対象は……ちょっとした、二重人格ということで」

 宮廷魔術師達は、目をふさぎ、耳をふさぐことにした。

「……せっかくなので、対象を宮廷魔術師として迎え入れては?」
「日常的に魔術を使わせながら、魔女であることに気が付きませんでしたと、魔女協会に言い張るのか?」
「それは我らの沽券にもかかわるのでは」

 魔女の魔法を目の前で見ながら、魔女であることに気が付かない。
 その程度の技術力で宮廷魔術師を名乗るのは、プライドに触る話だ。

 そんなこんなで、周囲の者達を困らせるヴィルクリフとクリスタの婚姻はあっという間に成立した。
 ケイトは宮廷魔術師としてではなく、予定どおり、侍女としてクリスタに侍ることとなった。
 そしてなんと、クリスタとヴィルクリフが出会った一週間後にはすべてが決定し、即日クリスタとケイトは王宮に招かれ、翌日にはヴィルクリフとクリスタの寝室が同室になり、その半月後には籍を入れてしまったのである。


   ~✿~✿~✿~

「結婚式は半年後だ」

 浮かれているヴィルクリフに、クリスタはずっとふわふわとした心地だった。
 結婚という人生の一大事にしてはあまりにも進行が早いし、女だらけの孤児院で育っていたクリスタにとっては、ありとあらゆることが青天の霹靂だ。
 ただまあ、ヴィルクリフのことは嫌いではなかったので、彼が頻繁にクリスタと一緒に居たがることについても、恥ずかしさはあれども、困っているということはない。

 問題があるとしたら、クリスタがヴィルクリフのことを真面目に考える暇がないくらいに愛情を注がれていることぐらいか。

「私って、彼のことをどう思っているの?」

 王宮にやってきてから二ヶ月。
 クリスタはさすがにこれはまずいのではないかと思い、眉間にしわを寄せながら、ケイトに尋ねる。

「私に聞かれても困っちゃうわ~」
『クリスタの精神の揺らぎの理由を感知することは私の能力では難しい』
「そうよね、困っちゃうわよね……」

 嫌いではないのだ。
 だが、好きなのかと聞かれると、首をかしげてしまう。
 クリスタには、世界で一番大好きなケイトが隣にいて、可愛い魔女ケイトも隣にいて、ヴィルクリフのことも同じくらい好きなのかと聞かれると、自信が持てないのだ。

 ケイトの関係性においては、クリスタはいつも、愛情を注ぐ側だった。
 ヴィルクリフとの関係性においては、逆だ。
 休みなく愛情を注がれ続けるというのは、なんだかふわふわとして心地いいのだけれども、自分の中の熱量を比較することができなくて、なんだか座りが悪い。

「ところで、クリスタは王太子妃教育は順調なの~?」
「孤児院での教育とそんなに変わらないし、大丈夫よ」

 復習程度の内容なので、座学自体は特段問題はないと思う。
 貴族や官僚にも顔合わせを行い、初めてのお仕事をいくつかさせてもらっているが、内容は理解できているし、そもそもケイトがなんだかんだ補佐に入ってくれるので、王宮デビュー二ヶ月目にしては、割といい成果を上げていると思う。

「ケイトは?」
「クリスタの世話焼き以外は、そんなに求められていないから、大丈夫よ~。周りの侍女の皆さんも、私とケイトに慣れてくれたみたいだし~」
『今日も面白いうわさ話を聞いた。ホットルーフ伯爵家の侍女であるクックミー男爵令嬢は、アイスレイジ伯爵家のスパイだったらしい』
「ありがとうケイト。両家の水面下の争いは、アイスレイジ伯爵家の一歩リードってところかしら」
『そのようだ。クリスタの興味を充足できて、私は満足である』

 どうやら、魔女ケイトは、ここでも女性達に愛されているらしい。
 彼は毎日のように沢山の噂を集めては、クリスタに報告をしてくれるのだ。
 それらの情報は、王宮デビュー二ヶ月目のクリスタが王宮や国内の情勢を知るためには割と有用なので、報告される度にお礼を言うことにしている。
 そのたびに、魔女ケイトはつたない言葉で喜びを表現していて、なんだか尻尾を振る犬の幻が見えるような気がする。
 とんだ女性キラーである。

「そういえば、お仕事の途中に男の人に頻繁に声をかけられて、困っちゃうのよね~」
「え!?」

 唇に指をあてて、首をこてんとかしげるケイトに、クリスタは仰天して立ち上がる。
 どういうことなの。
 私のケイトに、虫が!!!

「クリスタだって、結婚しているじゃないの~」
「そうだけど! そうだけど……いやなものはいやなの……」

 そのままケイトに抱き着いたところ、ケイトはいつもどおりよしよしと頭をなでてくれる。
 柔らかい感触がした後、花のようないい香りがして、クリスタは思わず、上目遣いでケイトを見た。

「どうしたの~?」
「私が男だったらよかったのに。そうしたら、ケイトは私だけのものだわ」
「あらあら~。陛下がやきもちを焼いてしまうわよ~」

 それはそうかもしれないが、クリスタにとってはケイトが一番なのだ。
 人生における大好き大事大切重要ランキング一位に、ダントツで輝いている。

「ケイトは私が男だったら結婚してくれる?」
「どうかしら~」
「!!???」
「ふふ。もちろんよ、旦那様~」

 いたずらっぽく頬にキスをされて、ぱちんと片目をつむった黒髪美女に、クリスタは顔を真っ赤に染め上げる。
 ケイトは自分のことがわかっているのだろうか。
 十八歳の色気大爆発のケイトがそんなことをしたら、されたほうは大変なことになってしまうではないか!

 ケイトの色香に振り回されるクリスタは、もんもんと悩み続けていたが、その悩みに肝心のヴィルクリフが気が付いていなかったので、この頃の王宮は平和なものであった。

 そして、クリスタがアイリスを妊娠したと判明した辺りから、暗雲が立ち込めてきたのである。

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