僕らは3人だった 夜が明けるまで

第三話 家族

病院の廊下は、ひどく白かった。
壁も。
床も。
天井も。

涼は長椅子に座ったまま、ずっと自分の膝を見ていた。
隣には海人がいる。

「……遅いな」

海人が呟いた。

「うん」

それきり、また黙った。
何を話せばいいのか分からなかった。
いつもなら、3人集まれば何かしら話している。

陽菜が喋る。
海人が突っ込む。
涼が笑う。

それだけで時間が過ぎていく。
でも今は。
真ん中がいなかった。

「……事故って」

涼が口を開く。

「何があったの」

「分からねぇよ」

「車?」

「たぶん」

「陽菜も一緒?」

「分からねぇ」

「怪我は?」

「分からないって」

少し強い声だった。
涼が黙る。

「……ごめん」

「いや」

海人は両手で顔を擦った。

「俺も……分かんねぇんだよ」

2人とも、何も知らなかった。
だから
待つしかなかった。
         


どれくらい経ったのか。
廊下の向こうから、大人が歩いてきた。

「涼くん、海人くん」

振り返ると、そこには陽菜の叔父がいた。
何度か会ったことがある。
陽菜の父親の弟。
盆や正月に陽菜の家へ遊びに来ていた男だった。

「来てくれたのか」

「……陽菜は?」

海人が立ち上がった。 

「怪我はしてない」

2人が同時に息を吐いた。

「ほんとですか?」

「ああ。事故のとき、陽菜は一緒じゃなかった」

涼も立ち上がる。

「会えますか?」

男は少し迷った。
それから。

「……会ってやってくれるか」

その言葉だけで。
涼は何かを察した。

「……おじさんと、おばさんは?」

男の顔が歪んだ。
海人が涼を見る。
そして誰も。
すぐには何も言えなかった。
         

陽菜は小さな部屋にいた。
椅子に座って。
何もないところを見ていた。

「陽菜」

涼が呼んだ。
反応がない。

海人も近づく。

「……陽菜」

ようやく、陽菜の顔が動いた。
2 人を見る。

「……涼くん」

掠れた声。
それから。

「海人くん」

「おう」

海人が答える。
陽菜は、少し笑った。
いつものように。
笑おうとした。

「2人とも、来てくれたんだ」

「うん」


会話が終わる。
陽菜はまた前を向いた。

涼と海人は、何も言えなかった。
大丈夫。
そんな言葉は言えない。
大丈夫なわけがない。

頑張って。
それも違う。
何を頑張ればいいのか。

13歳の2人には、分からなかった。
だから。
涼は陽菜の隣に座った。
反対側へ海人が座る。 

3人が並んだ。

「…………」
「…………」
「…………」

誰も喋らない。
それでも。
2人は帰らなかった。
         

随分経ってから、
陽菜が呟いた。

「朝ね」

涼が見る。

「お父さんが、いってらっしゃいって」

声が震えた。

「言ってくれたの」

海人が俯く。


「私も、いってきますって言った」

「うん」

涼が答えた。

「普通だったよ」

「……うん」

「昨日の夜も、普通だった」

陽菜の目から、
涙が落ちた。

「プリン食べた」

「うん」

「お母さんが髪乾かしてくれた」

「うん」

「お父さんが新聞読んでた」

「うん」

「今日帰ったら……」

声が途切れた。

「今日帰ったら、いると思ってた」

涼は何も言えなかった。

「ただいまって言ったら、おかえりって……」

陽菜の顔が崩れた。

「言ってくれると思ってた……!」

泣いた。
初めて。
陽菜が。
声を上げて泣いた。

涼は反射的に抱きしめた。
海人も。
どうすればいいのか分からないまま。
陽菜の背中へ手を置いた。

「お父さん……っ」

「うん」

「お母さん……!」

「うん」

「帰ってきてほしい……!」

涼も泣いていた。

「うん……」

「帰ってきて……っ」

海人は、
何も言わなかった。
言えなかった。
ただ。
2人のそばにいた。
3人で。
泣いた。
         


葬儀の日は雨だった。
陽菜は黒い服を着ていた。
何度も頭を下げていた。

「この度は」
「大変だったね」
「まだ若いのに」
「可哀想に」

大人たちが次々に声をかける。
陽菜はそのたびに。
「ありがとうございます」
と言った。
泣かなかった。

涼と海人は少し離れた場所から、それを見ていた。

「……陽菜」

涼が呟く。

「無理、してるな」

海人が言った。
分かっていた。
二人には分かる。
あれは陽菜が大丈夫な顔をしているときだ。

「行こ」

涼が歩き出す。

「おう」

2人が近づくと、陽菜はすぐに気づいた。

「あ」

ほんの少し、
顔が緩んだ。

「涼くん。海人くん」

「飯食った?」

海人が聞く。

「え?」

「今日」

「……食べたよ」

「何」

「えっと……」

陽菜は答えられない。
海人が眉を寄せた。

「食ってないんだろ」

「……あとで食べる」

「今食え」

「海人」

涼が止める。

陽菜が小さく笑った。

「2人とも、お母さんみたい」

「誰がだよ……」

そのとき。
「陽菜」

叔父がやってきた。

「少し休め。ずっと立ってるだろ」

「あ……うん」

「何か食べたか?」

涼と海人が顔を見合わせる。
叔父は陽菜の返事を待たず、近くにいた親族へ声をかけた。

「すみません、陽菜に何か食べさせてやってもらえますか」

「大丈夫だよ、叔父さん」

「大丈夫じゃない」

優しい声だった。

「倒れたら、お父さんとお母さんが心配するぞ」

陽菜の目が揺れた。

「……うん」

「涼くんと海人くんも、ありがとうな」

男が2人を見る。

「陽菜のそばにいてくれて」 

「……いえ」

「これからも、仲良くしてやってくれるか?」

海人が答えた。

「当たり前です」

涼も頷く。

叔父は少しだけ、
安心したように笑った。
         


問題はこれからだった。
陽菜は13 歳。
1人では暮らせない。
誰かが引き取らなければならない。
親族同士で話し合いが行われた。

数日後。
陽菜から聞いた。

「叔父さんと暮らすことになった」

学校帰り。
3人で歩いていた。

「叔父さん?」

「うん」

陽菜は笑った。

「学校も変わらなくていいって」

涼がほっとする。

「ほんと?」

「うん。今のお家にそのまま住んでいいって。叔父さんが来てくれるみたい」

「よかった……」

海人も言った。
もし遠い親戚に引き取られれば。
転校する可能性だってあった。
3人が離れる可能性があった。
だから本当に安心した。

「叔父さん、優しい人だし」

陽菜が言った。

「お父さんとも仲良かったから」

「そっか」

涼が笑った。

「なら、よかった」

「うん」

陽菜も笑った。

「私もね」

少しだけ、
声が小さくなる。

「1人じゃなくて、よかった」

涼と海人は、その言葉に何も疑問を持たなかった。
         


叔父との生活が始まった。
最初の頃は本当に何も問題はなかった。

「お邪魔します」

涼と海人が遊びに行けば。

「おう、いらっしゃい」

叔父は笑って迎えた。

「ジュースあるぞ。飲むか?」

「ありがとうございます」

「お菓子も適当に食べていいからな」

以前と変わらない。
陽菜の家。
リビング。
ソファー。
テレビ。
3人が小学生の頃から何度も過ごした場所。
違うのは。

「ただいま!」

陽菜が帰っても。
母親の声がしないこと。
父親の靴がないこと。
それだけだった。

叔父は料理もした。
慣れない手つきだった。

「叔父さん、焦げてる!」

「うるさいな。食える」

「黒いよ!」

「香ばしいって言え」

「海人くん見て!」

「俺に振るなよ!」

涼が笑う。

「でも、美味しそうだよ?」

「涼くん優しい!」


叔父も笑った。
陽菜も笑った。
海人も、涼も。
4人で笑った。
         


海人が帰宅すると、
母親が夕食を作っていた。

「おかえり!」

「ただいま」

「手洗ってきてね〜」

「はいはい」

洗面所へ向かいかけて、海人は振り返った。

「あのさ」

「ん?」

「……親って、急にいなくなる事、あるんだなって」

母親の手が止まった。

「……陽菜ちゃん?」

「うん」

少しだけ沈黙があった。

「あるよ」

母親が答えた。

「事故だけじゃない。病気もあるし。
人間、何があるか分からないからね」

「ふーん」

「怖くなった?」

「……別に」

「そう?」

「うん」


その日の夕食。

「海人、ピーマン残すなよ〜?」

父親が言った。

「食うし」

「じゃあ早く食え〜?」

「今食おうと思ってたんだよ!」

「口ばっかりだな〜」

「うっさい」

母親が笑う。
いつもの食卓。
いつもの会話。
海人は少しだけ、
いつもよりゆっくり食べた。
         


涼の家では、
相変わらずだった。

父親と母親がいた。

「今日のテストは?」

「まあまあ」

「まあまあじゃ分からないって前にも言ったでしょう」

母親が言う。

「どうだったの?」

「……点数は悪くなかったよ」

「悪くなかった、じゃなくて」

父親が口を挟む。

「お前はもっと上を目指せるんだから」

「うん」


「お母さんたちは涼のために言ってるの」

「……分かってるよ」

涼は笑った。
母親も満足そうに笑った。
父親も。
三人家族。
揃っている。
誰も死んでいない。
誰もいなくなっていない。

なのに。
涼は陽菜の家にいた方が息がしやすかった。
そんなことを考える自分を。
少しだけ、
嫌な子どもだと思った。

両親がいるのに。
愛されているのに。
陽菜は。
もう二度と。
両親に会えないのに。
         


夏休みに入った。
3人は。
以前より意識して一緒にいるようになった。
誰が言い出したわけでもない。
ただ。
陽菜を1人にしたくなかった。

プールへ行った。
図書館へ行った。
宿題をした。
アイスを食べた。
夕方まで公園にいた。

「夏休み終わってほしくない!」

陽菜がベンチで伸びながら言った。

「まだ始まったばっかじゃん」

「だから!」

「宿題は?」

涼が聞く。

「聞かないで!」

「やってないんだね?」

「涼くん助けて!」

「自分で出来るところは自分でね」

「じゃあ海人くん」

「嫌に決まってんだろ」

「2人とも冷たい!」

3人で笑う。

         

8月。
ある日の夕方。
陽菜の家で宿題をしていた。

「終わったー!」

陽菜が机へ突っ伏す。

「まだ数学残ってんだろ」

海人が言う。

「見えない」

「現実逃避すんな」

「涼くん!」

「海人の言う通りやなぁ」

「裏切り者!」

涼が笑った。
そのとき。
玄関が開く音がした。

「ただいま」

叔父だった。

「おかえり!」

陽菜が立ち上がる。

「涼くんと海人くん来てるよ」

「ああ」

叔父がリビングへ入ってきた。

「こんにちは」

「お邪魔してます」

2人が挨拶する。

「宿題か?」

「はい」

「偉いな」

いつもの叔父だった。
ネクタイを緩めながら、冷蔵庫を開ける。

「陽菜」

「なに?」

「冷蔵庫のビール、飲んだ?」

陽菜が笑った。

「飲むわけないじゃん。私、中学生だよ?」

冗談だと思ったのだろう。
涼も海人もそう思った。

叔父は、
笑わなかった。

「じゃあ、なんで減ってる?」

「え?」

「昨日6本あっただろ」

「知らないよ?」

「知らない?」

声が。
ほんの少し、低くなった。

陽菜の笑顔が消える。

「……うん」

数秒。
叔父は陽菜を見ていた。 

涼が何となく顔を上げた。
海人も叔父を見る。

やがて。
「ああ」

叔父が笑った。

「そういや俺、昨日2 本飲んだわ」

陽菜が息を吐いた。 

「もう! びっくりした!」

「悪い悪い」

叔父は笑う。

「歳取ると忘れるな」

「まだそんな歳じゃないでしょ!」

「うるさい」

いつもの会話に戻る。
陽菜も笑った。
涼も。
少し遅れて笑った。
海人だけは。
しばらく叔父を見ていた。

「海人くん?」

陽菜に呼ばれる。

「……なんでもない」

視線を戻した。
数学の問題集。
シャープペンシル。
消しゴム。
いつもの夏休み。
何も。
起きていない。
         

その日の帰り道。
陽菜の家から、それぞれの家へ向かう途中。
「なあ、涼」

「ん?」

「さっきの」

「ビール?」

「うん」

「叔父さんが勘違いしただけだよ」

「……だよな」

海人もそう思った。
そういうことはある。
大人だって勘違いする。
誰だって機嫌の悪い日はある。

陽菜の叔父は、
両親を亡くした陽菜を引き取ってくれた。
学校を変えなくて済むように。
住み慣れた家で暮らせるように。
仕事をしながら。
陽菜を育ててくれている。
良い人だ。
2人とも。
そう思っていた。

「海人」

「ん?」

「明日何時集合?」

「10時」

「了解」

それで、話は終わった。
夕暮れの道を。
2 人で歩いた。
         



その夜。
陽菜は風呂から上がり、リビングにいる叔父に声をかける。

「おやすみ、叔父さん」

ソファーに座っていた叔父が顔を上げた。

「ああ」

陽菜が階段へ向かう。

「陽菜」

「ん?」

振り返ると、叔父は笑っていた。

「今日、あの2人来てただろ」

「涼くんと海人くん?」

「ああ」

「うん」

「……あんまり頻繁に呼ぶなよ」

陽菜は瞬きをした。

「え?」

「俺も仕事から帰ってきて、他人が家にいると休まらないから」

「……あ」

初めて言われた。

「ごめんなさい」

「別に怒ってない」

「うん」

「ただ、ここはもう」

男が言った。

「お前の親の家じゃないんだから」

陽菜は。
動かなかった。
ほんの数秒。

「…………うん」

「分かればいい」

「おやすみ」

「おやすみ」

階段を上がり、自分の部屋へ入る。
扉を閉めて、陽菜はしばらくそこに立っていた。
ここは昨日までずっと、
自分の家だった。

生まれたときから。
お父さんとお母さんと暮らしていた家だった。
机も。
ベッドも。
カーテンも。
壁についた小さな傷も。
全部知っている。

なのに。
『お前の親の家じゃないんだから』

陽菜はベッドへ座った。
スマートフォンが光る。
3人のグループ。

海人。
『明日10時。遅刻すんなよ』
続けて涼。
『海人が一番遅かったりして』
すぐ海人。
『ないわ』

陽菜は、少しだけ笑った。
『分かった!』
送信する。
少し迷って。
もうひとつ。
『明日楽しみ!』
涼から。
『僕も』
海人から。
『宿題持ってこいよ』
『最悪!』
『やれ』
笑った。
本当に。
笑えた。
それから。
陽菜はスマートフォンを胸に抱えた。

「……大丈夫」
誰に言ったのか。
自分でも。
分からなかった。

「叔父さんも、大変なんだもん」 

仕事をしながら突然、
自分を育てることになった。
迷惑をかけている。
だから。
少しくらい。
我慢しなければならない。
そう思った。
13歳の陽菜には、それが
とても正しいことのように思えた。
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