ヤンデレ浦島太郎 ~逃げた俺と、待っていた彼女~
第13話 プロポーズ前夜
指輪を買おうと思った翌朝、拓海は何も決められていなかった。
結婚したい、というところまでは自分の中で落ちた。問題はその先だ。
何を買えばいいのか。
どこで渡せばいいのか。
何と言えばいいのか。
千年前の高校生だった頃、拓海にそんな知識があるはずもない。未来の学校へ通い始めてから知り合った友人たちも、結婚についてはほとんど同じだった。
朝食の席で、音姫はトーストを食べながら何度も拓海を見た。
「何」
「いえ」
「何だよ」
「昨夜から、考え事をしている顔なので」
「そう?」
「眉間を触る回数が普段の二・三倍です」
「数えるな」
「数えてはいません。見れば分かります」
「それも怖いんだよ」
音姫は笑った。
拓海の端末はテーブルの端に伏せてある。昨夜、未来の宝飾店を三十分ほど検索した履歴が残っている。少し前の音姫なら、拓海が風呂へ入った隙にでも答えへ辿り着けたかもしれない。
けれど音姫は端末へ手を伸ばさなかった。
「何を考えているか、聞いてもいいですか」
「まだ秘密」
一瞬だけ、音姫の指が止まった。
「……分かりました」
「聞かないの?」
「秘密にする自由もある、と決めましたから」
「そっか」
「ただし」
「ただし?」
「かなり気になります」
「正直だな」
「気になることと、調べていいことは別なので」
音姫はそう言って、残っていたコーヒーを飲んだ。
拓海はその横顔を見て、指輪を買う理由がまた一つ増えた気がした。
千年前なら、自分は音姫から隠し事をする時、いつ見つかるかと怯えていた。
今は違う。
喜ばせるために秘密を持てる。
そして音姫は、知りたい気持ちを抱えたまま待てる。
その変化を、拓海は誰かに返さなければならない借りだとは思わなかった。
ただ、一緒に生きていきたいと思った。
昼休み。
拓海は相沢を校舎の屋上へ呼び出した。未来の学校にも屋上はあったが、転落防止用の透明膜が張られ、空調まで効いている。千年前の「立入禁止の青春スポット」とはだいぶ違う。
「で、何。真顔で呼び出して」
「仮にだけど」
「その前置きで仮だったこと一回もないぞ」
「うるさい。指輪ってどうやって選ぶ?」
相沢が飲み物を噴いた。
「早っ!」
「声でかい!」
「だって付き合って、どれくらい?」
「一年ちょい」
「普通なら早いって言うところだけど、お前らの場合、基準が分からん」
「千年は付き合ってないからな」
「でも向こうは千年待ってたんだろ?」
拓海の手が止まった。
細かな事情までは話していない。それでも、音姫が長い時間を生き、拓海を待っていたことくらいは学校でも知られている。
「待ってくれたから結婚するの?」
相沢の声から茶化す調子が消えた。
拓海はしばらく考えた。
「それだけなら、たぶんしない」
自分で答えてから、その言葉が妙にしっくり来た。
「千年待ってくれたことは、でかいよ。俺には一生かかっても同じことできないと思う。でも、それを返すために結婚したら、あいつの千年を借金にするだろ」
「ふうん」
「人魚の肉を捨てたから褒美に結婚する、とかでもない。俺が逃げた償いでもない」
「じゃあ何」
「今のあいつと、来年も一緒にいたいんだよ」
相沢は何も言わない。
「来年だけじゃなくて、その次も。喧嘩しても、普通に飯食って、遅くなるなら連絡して、くだらないことで笑って。病気したら看病して、白髪見つけたら騒いで。そういうのを続けたい」
「じゃあ、それ本人に言えばいいじゃん」
「簡単に言うな」
「指輪より大事じゃない?」
「……正論やめろ」
相沢は笑った。
「サプライズにするの?」
「一応」
「秘密にするの、大変じゃない?」
拓海も少し笑う。
「あいつに隠し事するの、初めてかもな」
「千年前は?」
「逃げるために隠してた」
「今は?」
「喜ばせるため」
「じゃあ、だいぶ違うじゃん」
「……そうだな」
その日の放課後、相沢を連れて宝飾店の候補を見て回った。
一軒目は、高級すぎた。
入口で本人確認をした瞬間、拓海の前に個室が用意され、担当者が「水城グループ会長のご関係者でしたら」と頭を下げた。
「出るぞ」
「まだ何も見てないけど」
「ここで買ったら音姫の会社経由で一時間以内にバレる」
「サプライズ難易度高いな」
二軒目は未来技術が強すぎた。
「こちらは指輪同士で位置情報を常時共有できます」
「却下」
「即答だな」
「絶対ダメ」
「こちらは感情変化を記録し――」
「記録もいいです」
「では、装着者の睡眠・心拍・移動履歴を――」
「監視機器じゃねえか!」
相沢が腹を抱えて笑った。
三軒目でようやく、普通の指輪が並んでいた。
白い照明の下、細い輪が静かに光っている。未来の素材ではあるらしいが、見た目は拓海の知っている指輪と大きく変わらない。
「こういうのでいいんだよ」
「老人みたいなこと言うな」
店員に素材や耐久性を説明してもらう。
「サイズはお分かりですか」
店員に尋ねられ、拓海は一瞬だけ黙ったあと、頷いた。
「分かります」
「なんで?」
相沢が横から素で聞いてきた。
半年前、音姫と街を歩いていた時、アクセサリー店のショーウィンドウに指輪が並んでいた。足を止めた音姫は、何の前触れもなく左手を持ち上げ、「ちなみに、私の左手の薬指はこのサイズです」と告げたのだ。
「聞いてない」
「将来、必要になるかもしれませんので」
その時は何の圧だと思って笑い飛ばした。けれど、数字だけは妙に耳に残っていた。
「本人が勝手に教えてきた」
「千年待つ人、準備がいいな」
「そこは否定できない」
拓海は一つ手に取っては戻し、別のものを見て、また最初へ戻った。
「二時間経ったぞ」
「分かってる」
「全部同じに見えてきた」
「俺もだよ」
「じゃあもう一番最初のでよくない?」
「それで一生言われたらどうするんだよ」
「一生言われる前提なんだ」
「うるさい」
巨大な宝石はいらなかった。音姫なら欲しければ鉱山ごと買える。
高価さで千年に釣り合おうとすること自体、どこか間違っている。
記録機能もいらない。
音姫はもう、全部を残さなくても失ったことにはならないと覚え始めている。
欲しかったのは、二人だけが見れば意味の分かるものだった。
店員が、内側へ小さな刻印を入れられると言った。
「文字でも図柄でも。古い意匠の復刻もできます」
「四つ葉って、できます?」
画面に小さなクローバーの見本が表示された。
見た瞬間、拓海の中でようやく決まった。
千年以上前、幼い自分が音姫へ渡した四つ葉。
自分は忘れ、音姫だけが覚えていた思い出。
人間に戻ったあとの初デートで、古い標本帳の中にまだ残っているのを見せてもらった。
「これにします」
「内側に言葉も添えられます。『永遠に』や『ずっと一緒に』は人気がありますよ」
拓海は少しだけ考えた。
永遠。
二人は、その言葉をもう十分すぎるほど知っている。
「言葉はいらないです。四つ葉だけで」
「よろしいんですか?」
「約束は、本人に言います」
言ってから、自分で恥ずかしくなった。
横で相沢が無言のまま口元を押さえている。
「笑うなら外出ろ」
「いや、成長したなと思って」
「何目線だよ!」
会計の直前、拓海はカードを二枚取り出した。
一枚は共同家計用。
もう一枚は、自分で学校の仕事を始めてから作った個人口座のもの。
「そっち間違えるなよ」
「分かってる」
「前日に『秘密にする自由』まで確認して、共同口座で指輪買ったら伝説になるぞ」
「そこまで馬鹿じゃない」
拓海は個人用を使った。
決済完了。
通知も自分の端末だけ。
「よし」
「何がよしなんだ」
「バレてない」
「普通はそこがスタート地点なんだよ」
店を出た。
紙袋は小さい。
なのに手に持つと妙に重い。
「で、どこで渡すの?」
相沢が聞く。
「それがまだ」
「海は?」
「逃げた場所すぎる」
「竜宮城」
「縁起悪い」
「夜景」
「音姫が会社ごと持ってそう」
「面倒なカップルだな」
「俺もそう思う」
その夜。
拓海は自室でプロポーズの言葉を考えた。
端末に文章を打つ。
『千年待たせてごめん。これからは――』
消す。
謝罪から始めると、どうしても償いに聞こえる。
『ずっと一緒に――』
消す。
「ずっと」が永遠みたいで嫌だった。
『俺と結婚してください』
「固いな……」
声に出した瞬間、恥ずかしくなって消した。
鏡の前へ立つ。
「音姫」
自分で言って、自分で顔をしかめる。
「何やってるんですか?」
「うわっ!」
扉の隙間から音姫が覗いていた。
「ノックしろよ!」
「しました。三回。返事がなかったので」
「どこから見てた?」
「『音姫』のところから」
「最初じゃねえか!」
音姫の視線が、机の上へ向く。
指輪の箱は慌てて引き出しへ入れてある。
端末も裏返した。
また一瞬だけ、昔の音姫ならここから全部調べただろう、という考えが浮かぶ。
音姫は何も聞かなかった。
「夕食、できました」
「……それだけ?」
「それだけです」
「本当に?」
「はい」
扉を閉める前、音姫が少し笑った。
「秘密、頑張ってください」
拓海はしばらく閉じた扉を見ていた。
「絶対気づいてるだろ……」
でも、気づいていても暴かない。
それならサプライズとして成立しているのかは怪しいが、少なくとも二人の関係は昔とは違っていた。
翌日。
拓海は一人で候補の場所を見て回った。
海辺の遊歩道。
空中庭園。
歴史区画の古い学校。
どこも、思い出はある。
けれど「ここだ」と決めるたび、音姫がそこに意味を詰め込みすぎる姿が想像できた。
海なら「千年前に逃げた場所」。
学校なら「二人が出会った時間」。
歴史区画なら「失ったもの」。
もっと普通でいいのかもしれない。
けれど、普通の場所を狙って選ぶのも、何か違う。
拓海は結局、何も決められないまま街を歩いた。
端末が鳴った。
音姫からだ。
『今日、夕食は家で食べますか?』
ただそれだけの連絡だった。
『食べる。七時には帰る』
すぐに返信が来る。
『分かりました。待っています』
千年ではなく、数時間。
待つという言葉が、今では普通の約束として届く。
拓海はポケットの中の指輪へ触れた。
場所は決まっていない。
完璧な言葉もない。
でも、伝えたいことだけは決まっていた。
明日かもしれない。
数日後かもしれない。
少なくとも、「いつか」にはしない。
そのつもりだった。