ヤンデレ浦島太郎 ~逃げた俺と、待っていた彼女~
第14話 道端のプロポーズ
翌日の放課後、拓海は指輪を持ったまま街へ出た。
場所はまだ決まっていない。
昨日見て回った候補は、どれも悪くなかった。海辺も、空中庭園も、歴史区画も、二人にとって意味のある場所だ。けれど「意味のある場所を選ばなければ」と考えるほど、言葉まで作り物めいていく気がした。
結局、拓海は駅前の商業区を歩いていた。
夕方の街は帰宅する人々で混み始めている。高層建築の間を無音の輸送車が滑り、歩道沿いの店からは焼き菓子や香辛料の匂いが流れてくる。千年前なら駅前にありそうな雑多さだけは、未来になっても残っていた。
端末が鳴る。
音姫からだった。
「もしもし」
『拓海くん、今どこですか』
拓海の足が止まる。
「……なんで聞くの」
『夕食の買い物をしているので、近くなら合流しようかと思いまして』
「それだけ?」
『それだけです』
「本当に?」
『その確認の仕方、昨日から怪しいですよ』
「何でもない!」
『では、何でもない人として答えてください』
「商業区」
『私も近くです。十五分くらいで行きます』
「え、待っ――」
通話が切れた。
拓海はポケットの指輪へ触れた。
まだ渡す場所も決めていない。
言葉も、昨夜何度も考えて全部消した。
「今日じゃない……よな」
そう呟いた直後、自分で引っかかった。
今日じゃないなら、いつなのか。
ちゃんとした場所が見つかってから。
ちゃんとした言葉ができてから。
ちゃんとしたタイミングが来てから。
それを繰り返して、千年前の自分は嫌だという一言さえ先送りにした。
今度は逃げないと決めた。
とはいえ、だからといって人通りの多い道端でいきなりというのも違う。
「いや、違うだろ……」
自分に言い聞かせているうちに、音姫が見えた。
買い物袋を片手に、少し速足でこちらへ来る。人間に戻って一年を越え、走れば息が切れる身体になった。それでも拓海を見つけた瞬間だけ、歩調が速くなる癖は変わらない。
「お待たせしました」
「別に待ち合わせじゃなかったけどな」
「でも待っていたでしょう?」
「十五分だけ」
「短いですね」
「比較対象を千年にするな」
音姫は笑った。
その視線が、拓海の上着のポケットへ一瞬だけ落ちる。
箱の形が出ているわけではない。
それでも、何かを隠していることくらいは分かっているのだろう。
「何かあります?」
「あるけど、まだ秘密」
音姫は数秒黙った。
「……分かりました」
本当に、それ以上聞かなかった。
歩き出す。
二人の間を、買い物袋が軽く揺れる。
拓海の方が落ち着かなかった。
「気にならないの?」
「気になります」
「聞かないんだ」
「聞かないと決めていますから」
「調べたりも?」
「しません」
「三分で分かるって前に言ってたよな」
「二分半くらいにはなっています」
「技術上げるな!」
「冗談です」
音姫は前を向いたまま続ける。
「秘密にする自由もある、と二人で決めました。だから、拓海くんが話したくなるまで待ちます」
その言葉には、ほんの少しだけ力が入っていた。
平気だから待てるのではない。
知りたいし、気になるし、悪い想像もする。
それでも調べず、拓海が口を開くまで待つ。
「いつまで?」
「拓海くんが話したくなるまでです」
千年待った人間が言うには、重すぎる返事だった。
拓海は思わず立ち止まった。
音姫も数歩先で止まり、振り返る。
「どうしました?」
「もっとちゃんとした場所で言うつもりだった」
音姫の目が少し大きくなる。
「何を、ですか」
「それは今から言う」
自分で言ってから、心臓が急に速くなる。
音姫も察したらしい。買い物袋を持つ手に力が入った。
「ここ、道端ですよ?」
「分かってる」
「人、多いですよ?」
「見れば分かる」
「私は待てますよ」
その一言で、拓海は決めた。
「いや。待たなくていい」
音姫が黙る。
夕方の歩道を人が行き交っている。
買い物帰りの家族。
学校帰りらしい学生。
停留所へ急ぐ会社員。
隣の店では配送機が荷物を積み込み、信号が変わるたび人の流れが二人の脇を抜けていく。
誰も二人のために世界を止めてはいない。
千年を越えた物語の続きにしては、あまりにも普通の場所だった。
拓海は深呼吸をした。
「音姫」
「はい」
「最初に一個だけ言う」
音姫が緊張したように背筋を伸ばす。
「これは、千年待ってくれた埋め合わせじゃない」
音姫の瞳が揺れた。
「お前が人魚の肉を手放したから、その褒美でもない。俺が逃げたことの償いでもない」
指輪の箱を出す前に、それだけは言っておきたかった。
「待ってくれたことには感謝してる。俺がいなくなったせいで、お前が苦しんだことも忘れない。でも、それだけでこの先を決めるのは違うと思う」
頭の中で何度練習しても、実際に本人を前にすると言葉は綺麗に並んでくれない。
それでも、拓海は続けた。
「俺が一緒にいたいのは、千年前のお前だけじゃない」
音姫の目に涙が溜まる。
「千年待ったお前だけでもない」
「……はい」
「人間に戻って、蚊に刺されて喜んで、風邪ひいて、友達の名前を検索しかけてやめて、玉ねぎを粉にして、ケーキ二人分で喜ぶ今のお前が好きなんだよ」
音姫が泣きながら笑った。
「最後の方、少し格好悪いです」
「うるさい。今必死なんだよ」
「はい」
「だから、来年も一緒にいたい。その次も。一緒に飯食って、喧嘩して、遅くなるなら連絡して、くだらないことで笑いたい」
拓海は箱を取り出した。
「ずっと、とは言わない」
音姫が瞬く。
「人間に戻った俺たちに、永遠なんてないから」
「はい」
「でも、ある分は一緒に使いたい」
箱を開ける。
小さな指輪が夕方の光を受けた。
「結婚しよう」
音姫は泣いた。
道端で、盛大に。
通行人が何事かと振り返り、近くのベンチにいた老夫婦が事情も知らないまま拍手をした。配送機が二人を避けるため器用に進路を変え、学生たちが「プロポーズじゃない?」と小声で騒ぐ。
拓海は恥ずかしさで顔が熱くなった。
「泣きすぎ」
「だって……」
「だって?」
「シミュレーションでは、もっと格好いい場所でした」
「してたのかよ!」
「三千七百二十通り」
「多い!」
「夜景の見える軌道庭園、海上レストラン、千年前の街並みを再現した区画、竜宮城の門前――」
「最後だけ縁起悪くない?」
「どれも候補でした」
「俺より準備してるじゃん」
「千年ありましたから」
「またそれで全部説明する!」
音姫は涙を拭いながら笑った。
「でも、そのどれよりも今のが一番よかったです」
「道端だぞ」
「今、言ってくれたので」
その一言で、拓海は何も言い返せなくなった。
「返事は?」
音姫が目を丸くする。
「え?」
「まだ聞いてない」
「私が断る可能性を考えていたんですか?」
「考えるだろ普通!」
「三千七百二十通り全部、私が受ける前提でした」
「シミュレーションが強引すぎる!」
音姫は一度息を整えた。
そして、今度は茶化さずに拓海を見る。
「はい」
声が少し震えた。
「結婚します」
拓海の肩から、ようやく力が抜けた。
「……よかった」
「今さらですか」
「今さらだよ」
指輪を音姫の指にはめる。
サイズは合った。
「なんでサイズ分かったんですか」
「前にお前、自分から教えただろ。アクセサリー店の前で」
音姫が瞬きをする。
「……覚えてたんですか」
「聞いてもないのに言われたら、そりゃな」
「将来、必要になるかもしれないと思ったので」
「本当に必要になったのが、なんか腹立つ」
音姫が笑う。
「内側、見て」
「内側?」
指輪を外すのを惜しみながら、音姫が覗き込む。
四つ葉の刻印に気づいた瞬間、表情が変わった。
「覚えてたんですか」
「俺は忘れてた。お前に教えてもらった」
拓海は少し照れながら言う。
「だから今度は、俺も覚えとく」
音姫はまた泣いた。
「泣きすぎ」
「今日は許してください」
「今日だけな」
「結婚式でも泣きます」
「予約すんな」
「子供ができた時も」
「話飛びすぎ!」
周囲の人々が笑いながら二人を避けていく。
格好いいプロポーズではなかった。
けれど拓海には、逃げずに今言えたことの方が大切だった。
しばらくして、人の流れが少し落ち着いた頃。二人は歩道脇の低いベンチへ並んで座った。
音姫はまだ指輪を見ている。
拓海はさっきまでの勢いが嘘のように何も言えなくなり、通り過ぎる人の足音や、店じまいを始めた露店の金属音を聞いていた。
「……俺たち、婚約したんだよな」
「はい」
「なんか実感ない」
「私はあります」
「早いな」
「千年分、予習しましたので」
「その予習、役に立ってないだろ。道端だったぞ」
音姫は笑ったあと、少しだけ真面目な顔になった。
「拓海くん」
「ん」
「本当に、千年待ったからではないんですね」
質問ではなく、確認に近い声だった。
拓海はすぐには答えず、指輪のはまった彼女の手を見た。
玉手箱を開ける前、失敗した時のために残した映像の中で、音姫は言っていた。
自分の千年は、拓海に返してもらうための借金ではない、と。
「うん」
「待ってくれたことには感謝してる。俺が逃げたことは、たぶん一生忘れない。でも、それでお前と結婚するんじゃない」
「はい」
「俺は今のお前が好きだから結婚したい」
音姫は俯いた。
涙が一滴、指輪の上へ落ちる。
慌てて拭おうとして、自分で笑った。
「それが、一番嬉しいです」
「ならよかった」
「でも喧嘩した時には、千年待ったことを少しくらい使ってもいいですか」
「借金じゃないって話した直後だぞ!」
「冗談です。七割くらい」
「三割本気じゃねえか!」
音姫は声を上げて笑った。
笑い終わると、昔のように拓海の袖へ指をかける。
ただし掴まない。
引っ張らない。
指先を置くだけだった。
「拓海くん」
「ん」
「待たなくていいって、言ってくれてありがとうございました」
拓海はその手へ自分の手を重ねた。
「今度からは、一緒に決めよう」
「はい」
帰り道、二人はスーパーへ寄った。
音姫が買い物袋を持ち、拓海が指輪の箱を持つ。
「今日の夕食、何にします?」
「今から普通に夕飯の話するの?」
「婚約しても、お腹は空きます」
「まあ、そうだな」
「カレーはどうですか」
「この前食った」
「では魚」
「いいよ」
何でもない相談をしながら歩く。
夕方の街は二人を祝うために止まってはくれなかった。
それでよかった。
これから欲しいのは、世界を止める永遠ではなく、こういう普通の一日を二人で積み重ねることだった。