今夜も執事は、お嬢様を手放さない
けれど、本を閉じたときには外がほんのり薄暗くなりはじめていた。

「わ……ちょっと長かったかも」

 あわてて立ち上がり、図書室を出る。廊下はもう人も少なく、昼間より静かだった。

 そのときだった。

「姫宮さん」

 振り返ると、昼休みに話しかけてきた男子生徒が立っていた。

「あ……」

「さっきはごめん。迷惑だったなら謝る」

「ううん、大丈夫だよ」

「でも、ちゃんと話したくて」

 ことはは困ってしまう。相手は悪い人には見えない。むしろ真面目そうで、ちゃんとした人だ。だからこそ、どう返せばいいのかわからない。

「えっと……」

「少しだけでいいから」

 一歩近づかれて、ことはは思わず後ずさる。

 そのとき。

「少しもよくありません」

 低く静かな声が、廊下に落ちた。

 振り向くまでもなかった。背筋がぞくりとするほど聞き慣れた声だ。

「碧……」

 東雲碧は、いつもの穏やかな笑みを浮かべたまま歩いてくる。けれどその瞳だけは、少しも笑っていなかった。

「放課後、お迎えに上がると申し上げたはずですが」

「ご、ごめんね。本に夢中になっちゃって……」

「ええ。お嬢様らしいですね」

 優しい声だった。けれどことはのすぐ隣に立った碧は、そのまま自然な動作でことはの肩を抱き寄せた。

 ぴたりと密着する距離に、ことはの心臓が跳ねる。

「碧っ」

「参りましょう、お嬢様」

「えっ、でも」

「お話は終わっております」

 その一言は、ことはではなく男子生徒に向けられていた。

 男子生徒は悔しそうに唇をかんだ。

「東雲さんって、執事なんだろ。なんでそんな……」

「執事ですが」

 碧は微笑んだまま答える。

「お嬢様をお守りするのが役目ですので」

 それ以上の何かを感じさせる言い方だった。男子生徒は何も返せず、その場に立ち尽くす。

 ことはは戸惑ったまま、碧に連れられて歩き出した。

 校舎を出て、車へ向かう道のり。肩を抱いていた手が離れたあとも、ことはの胸はどきどきしたままだった。

「碧、あのね」

「はい」

「さっき、ちょっと怒ってた?」

「まさか」

「でも、なんか……」

「お気のせいです」

 ぴしゃりと否定されて、ことはは口をつぐむ。けれど車に乗り込んでしばらくしてから、碧が静かに言った。

「お嬢様は、本当に無防備でいらっしゃる」

「え……?」

「昼休みにも申し上げたはずです。あまり簡単に微笑まれては困ると」
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