君のとなり〜拓実との未来〜

第2章 新しい一歩

大学生活が始まって、少しずつ毎日の景色に慣れてきた。

教室までの道も。

よく使う階段も。

お昼を食べる場所も。

最初は何も分からなかったけれど、少しずつ自分の居場所ができていく。

「瑠夏、次の授業一緒だよね?」

「うん」

「じゃあ、一緒に行こう」

「うん!」

友達と並んで歩きながら、他愛のない話をする。

高校とは違う。

ここでは、みんな私のことを知らない。

昔からの私を知っているわけじゃない。

それが少し寂しいような気もするけれど――

新しい私を知ってもらえるのも、なんだか嬉しかった。

「瑠夏って、けっこう負けず嫌いだよね」

「え?」

「この前の小テスト。間違えたところ、ずっと気にしてたじゃん」

「だって悔しいもん」

「やっぱり」

二人で笑う。

そんな何気ない時間が、少しずつ好きになっていた。

授業が終わり、帰る準備をしていると、

「瑠夏、今日このあと予定ある?」

「うん。ちょっとレッスン」

「そっか」

「じゃあ、また明日ね」

「うん。また明日」

それだけ。

私は鞄を持って、大学を出た。

レッスンがあることを、わざわざ詳しく話すこともしなかった。

私自身、まだそれをどう説明したらいいのか分からない。

ただ――

新しいことを教えてもらっている。

そんな感覚だった。

***

スタジオに着くと、先生が用意してくれたヒールを履いた。

鏡の前に立つ。

九センチくらい。

「……高い」

思わず呟く。

「慣れれば大丈夫ですよ」

「はい」

背筋を伸ばす。

新体操のときみたいに、身体の軸を意識する。

これならできる。

そう思って歩き出した。

一歩。

二歩。

三歩。

「瑠夏さん、ちょっと止まってみましょうか」

「はい」

「今、つま先から入っています」

「……つま先」

「かかとから入るイメージで歩いてみてください」

「かかと……」

私はもう一度、鏡を見る。

つま先は駄目。

かかと。

でも、この高さでかかとから?

じゃあ、どこから着けばいいんだろう。

足の裏全部?

それとも――

「……」

考えれば考えるほど、分からなくなってくる。

「瑠夏さん?」

「はい!」

「そんなに難しく考えなくても大丈夫ですよ」

「……はい」

頭では分かってる。

でも、身体のことになると、どうしても考えてしまう。

新体操では、つま先から入る。

ジャンプの着地も。

ステップも。

身体の使い方も。

ずっとそうやってきた。

だから、今まで自然にできていたことを、別のやり方に変えるのが難しい。

もう一度。

今度は、かかとを意識して。

一歩。

二歩。

三歩。

「そう。今の感じ」

「……!」

「今の方がいいですよ」

「本当ですか?」

「はい」

鏡を見る。

さっきより、少しだけ違う。

「もう一回やってもいいですか?」

「もちろん」

私は歩き出した。

一歩。

二歩。

三歩。

「いいですね」

「……今の?」

「今のです」

嬉しい。

胸の奥が、ぱっと明るくなる。

「もう一回!」

「ふふ。どうぞ」

また歩く。

今度は少しだけ歩幅を変えて。

「いいですよ」

「じゃあ、もう一回!」

「はいはい」

先生が笑う。

私はまた歩いた。

できなかったことが、できるようになる。

その瞬間が好き。

だから、もう一度やりたくなる。

気づけば、何度も繰り返していた。

「瑠夏さん、身体の使い方が上手ですね」

「そうですか?」

「新体操をやっていたからでしょうね。覚えるのも早いです」

「……ほんと?」

「はい」

また嬉しくなる。

「じゃあ、もう一回――」

「まだやります?」

「やります!」

自分でも笑ってしまう。

「負けたくないので」

「誰にですか?」

「……昨日の私?」

先生が吹き出した。

私も笑った。

でも、本気だった。

昨日の私より、今日の私の方が少しだけ上手になっていたい。

そんな気持ちで、また鏡の前に立った。

***

レッスンが終わる頃には、足がじんじんしていた。

ヒールを脱いで、ほっと息をつく。

「……痛い」

足首をゆっくり回す。

痛い。

けど――

ちょっと嬉しい。

今日は、ちゃんと一歩進めた気がする。

スニーカーに履き替えて、外へ出る。

夕方の空が、淡いオレンジ色に染まっていた。

駅へ向かって歩いていると、信号が赤になった。

私は横断歩道の前で立ち止まる。

さっき教えてもらったことを思い出した。

かかと。

重心。

歩幅。

背筋。

信号が青になる。

私は一歩、踏み出した。

かかとから。

……こうかな。

もう一歩。

今度は少しだけ歩幅を意識する。

背筋も伸ばして。

でも、履いているのはスニーカー。

さっきとは全然違う。

「……難しい」

小さく呟く。

それでも、もう一歩。

横断歩道を渡りながら、私は真剣に歩き方を考えていた。

向こう側のショーウィンドウに、自分の姿が映る。

私は思わず足を止めた。

姿勢を少し直す。

肩の力を抜く。

そして、もう一度。

一歩。

二歩。

三歩。

――あ。

なんだか、ちょっとだけ。

モデルっぽい。

そう思った瞬間、恥ずかしくなって、私は小さく笑った。

誰も見ていないのに。

何をやってるんだろう、私。

でも。

できなかったことが、少しできるようになった。

それが、嬉しい。

夕暮れの街を、スニーカーで歩いていく。

明日は、今日より少しだけ上手になっていたらいい。

そんなことを思いながら。

私は、新しい一歩を踏み出した。
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