閻魔様の恋カルテ~冷徹ドクターの秘密は恋のはじまり~
10 見ていてくれるひと
案内されたのは、永緒先生に与えられた個室だった。
てっきり院長室の隣にあると思っていたそこは、逆に院長室とは正反対の位置にある。そして思ったよりも小さなスペースは、中身のぎっしり詰まった本棚に囲まれてますますこじんまりして見えた。
「わあ……」
「目を引くようなものなどないと思うが」
無意識に口をぽかんと開けて見渡していたことに気がついて、はっと唇を引き結ぶ。
永緒先生は机の奥に回ると、引き出しから小箱を差し出した。
「日下部さんの名刺だ」
名刺は用意すると言っていたけれど、まさかもう!? 早すぎる。
そっと小箱の蓋を開ける。
くすのきメディカルセンター
院内事故調査委員長補佐 日下部唯
病院のロゴマークと共に印字されたその肩書きは、何度瞬きしても変わらない。そっと表面を撫でればさらりと乾いた感触がした。
「名前の漢字は間違っていないな?」
「は、はい。大丈夫です」
こんなに薄くて軽い一枚に、重みを感じる。
それが責任の重さなのだと認識すると、どっと肩に重みを感じて息が詰まった。
それきり黙りこくってしまった私を、永緒先生は訝しげに覗き込んでくる。
「……日下部さんには不本意な辞令だったかもしれない。しかし、あの環境を見過ごすことで起こりうる事例を鑑みると、すぐに取れる手立ては限られていた」
「え……」
ゆっくりと顔を上げる。
つまり、この辞令は――私の、ため?
「もちろん、きみが俺の補佐役に相応しいという見込みがあることが前提だ。いくらなんでも適性を完全に度外視した人事はしない」
ちょっと待って。都合のいい話ばかり聞こえるような気がする。
あの永緒先生が、私の能力を見込んで補佐役に抜擢し、森野さんに対抗できるだけの盾を授けてくれた――と?
何もかもが甘ったるい夢のようで、かえって信じられない。
「す、すみません。私、ずっと外来クラークしかやってこなかったので、永緒先生みたいな精密なチェックやシステム構築なんて縁がなくて……」
自分で自分に冷や水を浴びせるようなことを言っている自覚はある。けれど、そうでもしないとのぼせてしまいそうだ。
「外来クラークしかやっていない、ではなく、外来クラークのエキスパートだという認識を持ってくれ。これは俺の主観ではない。患者さんはじめ、院内での評判を総合しての評価だ」
永緒先生は本棚を開けると、一冊のファイルを取り出す。それは受付に設置してある「お気付きの点をお聞かせください」というアンケートで、一般企業でいうところのお客様の声だ。
職員に共有される時は個人名は伏せられて抜粋されているので、肉筆や詳細を目の当たりにするのは初めてだ。
「あ……」
——受付で丁寧に案内してくださりありがとうございます。
——混雑している時でしたが、問診票記入時にわざわざ折りたたみ椅子を出してくださり、助かりました。
——祖母の来院予約を手伝ってくれてありがとうございました。こちらの手帳にまで記入してくれて間違えずに済みました。
それはとても些細なことばかりで。
けれど、気に留めていることが、しっかりと記録として残っていた。
てっきり院長室の隣にあると思っていたそこは、逆に院長室とは正反対の位置にある。そして思ったよりも小さなスペースは、中身のぎっしり詰まった本棚に囲まれてますますこじんまりして見えた。
「わあ……」
「目を引くようなものなどないと思うが」
無意識に口をぽかんと開けて見渡していたことに気がついて、はっと唇を引き結ぶ。
永緒先生は机の奥に回ると、引き出しから小箱を差し出した。
「日下部さんの名刺だ」
名刺は用意すると言っていたけれど、まさかもう!? 早すぎる。
そっと小箱の蓋を開ける。
くすのきメディカルセンター
院内事故調査委員長補佐 日下部唯
病院のロゴマークと共に印字されたその肩書きは、何度瞬きしても変わらない。そっと表面を撫でればさらりと乾いた感触がした。
「名前の漢字は間違っていないな?」
「は、はい。大丈夫です」
こんなに薄くて軽い一枚に、重みを感じる。
それが責任の重さなのだと認識すると、どっと肩に重みを感じて息が詰まった。
それきり黙りこくってしまった私を、永緒先生は訝しげに覗き込んでくる。
「……日下部さんには不本意な辞令だったかもしれない。しかし、あの環境を見過ごすことで起こりうる事例を鑑みると、すぐに取れる手立ては限られていた」
「え……」
ゆっくりと顔を上げる。
つまり、この辞令は――私の、ため?
「もちろん、きみが俺の補佐役に相応しいという見込みがあることが前提だ。いくらなんでも適性を完全に度外視した人事はしない」
ちょっと待って。都合のいい話ばかり聞こえるような気がする。
あの永緒先生が、私の能力を見込んで補佐役に抜擢し、森野さんに対抗できるだけの盾を授けてくれた――と?
何もかもが甘ったるい夢のようで、かえって信じられない。
「す、すみません。私、ずっと外来クラークしかやってこなかったので、永緒先生みたいな精密なチェックやシステム構築なんて縁がなくて……」
自分で自分に冷や水を浴びせるようなことを言っている自覚はある。けれど、そうでもしないとのぼせてしまいそうだ。
「外来クラークしかやっていない、ではなく、外来クラークのエキスパートだという認識を持ってくれ。これは俺の主観ではない。患者さんはじめ、院内での評判を総合しての評価だ」
永緒先生は本棚を開けると、一冊のファイルを取り出す。それは受付に設置してある「お気付きの点をお聞かせください」というアンケートで、一般企業でいうところのお客様の声だ。
職員に共有される時は個人名は伏せられて抜粋されているので、肉筆や詳細を目の当たりにするのは初めてだ。
「あ……」
——受付で丁寧に案内してくださりありがとうございます。
——混雑している時でしたが、問診票記入時にわざわざ折りたたみ椅子を出してくださり、助かりました。
——祖母の来院予約を手伝ってくれてありがとうございました。こちらの手帳にまで記入してくれて間違えずに済みました。
それはとても些細なことばかりで。
けれど、気に留めていることが、しっかりと記録として残っていた。