閻魔様の恋カルテ~冷徹ドクターの秘密は恋のはじまり~

12 心強い盾

 院内事故調査委員長補佐、という仰々しい肩書きを得たとしても、日常の業務は変わらない。
 あくまで私の仕事は外来クラーク。月に一度の委員会に出席する時だけ、委員長補佐としての働きを求められているだけだ。

「日常業務に支障が出ないよう、シフトを調整しておく」

 委員会への出席による拘束時間を考慮した新しい外来クラークのシフトを受け取り、永緒先生の細やかな配慮とその迅速な仕事っぷりにますます舌を巻いた。
 だけど、本当に永緒先生の采配に感謝するのは、頂いたひとつのバッジを着けた時だった。

「ねえ、この入力――」
「はい」

 リースの観葉植物を霧吹きで手入れしていると、名前を呼ばれて顔を上げる。上澄みだけ掬ったレセプトの残りの束を押しつけようとした森野さんが、私の襟元を見て動きを止めた。

「……やっぱりいいわ」

 油が切れたロボットみたいにぎこちなく、束を抱えたまま背を向ける。
 そのあからさまな警戒感に、声を出さずに笑いたくなってしまった。

 襟元に着いているのは、病院のエンブレム型のピンバッジ。これを着けられるのは部門長など、一定の立場の人間に限られる。
 院内事故調査委員も、その対象なのだ。
 たとえ委員長補佐であっても、私が森野さんの後輩であることには変わらない。気にせず普段通り雑用を押しつけたって構わないのに、森野さんにはどうにもこのバッジが盗聴器にでも見えているらしい。

 バレたらまずいことをやっていた自覚があるのかしら。

 霧吹きを片付けていると、杖をついた人影が自動ドアのあたりで難儀しているのが見えてさっと立ち上がった。
 入口の手指消毒スペースで、消毒するため壁にたてかけていた杖を倒してしまったらしい。

「失礼します。こちら、拾いますね」
「あっ……すみませんね」

 消毒用アルコールで手が濡れたまま、おろおろしている患者さんに声をかけて杖を拾う。手指消毒を終えるまで待って杖を差し出せば、ほっとした表情で受け取ってくれた。

「助かりました、ありがとう」
「いえ、こちらこそ設備が整わず失礼しました」
「やあね、取ろうと思ったのに転がすなんて、恥ずかしいわ……」

 困ったように笑って受付に向かう患者さんの背中を見送る。受付カウンターには杖ホルダーが設置されているので、そこで不自由している様子は見受けられなかった。

 ……ああ、そういうことか。

 入口から、ゆっくりと受付や待合室を見渡す。
 そこに行き交う人々の役割は様々だ。
 台車を押している納入業者さん、待ちぼうけで不機嫌になる子どものご機嫌を取る、古川のおじーちゃん先生。
 それらを俯瞰できるのが、ここなのだ。
 永緒先生が、外来クラークを情報の宝庫と言った意味がわかった気がした。
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