姉に初恋を奪われた私は、もう黙らない ~Silent Summer~

 
「目、治ったんだね。良かった」
 碧の正面でつま先立ちになり両手を伸ばした。
 麦から聞かされたことや手紙の内容を必死に思い出して口にする。
「アメリカでの暮らしはどうだった?」
「あ、えっと」
 動揺した碧の、赤みがさした頬に手応えを感じ、さらに顔を近づける。その目元に手を伸ばし、純真さを装って眼鏡の奥を覗き込んだ。
「ちゃんと見えてるんだね、アオくん」
「――う、ん。見えてるよ」
「本当に良かった……あ、ごめん」
 睦美はついにその頬に触れた。そうしておいて、咄嗟に触れてしまったことを恥じるように慌てて離れた。――やりすぎると、良くない。
 固まっていた碧の体が数秒かけて弛緩する。睦美が触っていた頬を名残惜しそうに指でなぞったのは無意識だろう。
「今までのこと、いろいろと教えてくれる?」
 睦美ははにかみながら門扉から手を離した。


   *

 来た道を戻り、大通りに出てファミレスへ入った。
「この辺はあんまり変わらないような」
 碧は風景や建物を懐かしがった。
「このファミレスも親と一緒に来たことがあるけど、記憶のままだよ」
 睦美は閉じた唇のまま微笑む。
 碧の視力については、いつ頃までどの程度見えていたのか、麦なら知っているだろう。だが当然、睦美は知らない。当時麦から聞かされた気もするが、どうでもいい細かいことはさすがに覚えていない。
「あの頃、母さんが買いに行ってたケーキ屋さんはまだある?」
「……」
 墓穴を掘らないよう、微笑んで頷くにとどめる。
「っていうかさ、むーちゃんがすごく大人っぽくて、なんか調子狂う……」
 懐かしさで胸がいっぱいで会話もままならない――という表情で碧をみつめ続けたからか、碧は照れ隠しに首筋を掻いている。
「そうかな。自分ではよく分からなくて」 
 睦美は小さく首を振りながら、唇を窄める。
 しばらくは碧に、自分を麦だと勘違いさせておこう――とほくそ笑む。その間にもっと親密になって、碧の身も心も奪ってから、麦に明かしてやろう。
 当然、碧には麦のふりをしていたことがバレてしまうが、自分に夢中にさせた後ならどうとでもなる。――そう、これまで同様『陰険で陰湿な妹を庇う姉』を演じ、その後は罪悪感を理由に振ってしまえばいい。「そんな小さなことなんてどうでもいい。俺が好きなのは君なんだ」と縋りつく碧を、麦にたっぷりとみせつけてやろう。
 ……ああ、早く麦を傷つけたい。
 麦が卑屈になればなるほど、睦美の心に積もり続けるざらついたものが消えてくれるのだった。
 
「あの頃、むーちゃんとれいちゃんがたくさん本読んでくれたよね。俺、何冊かまだ持ってるよ」
「そっかあ」
 睦美は相槌を打った。
「『おじいさんとおばあさんと、金魚鉢』ってタイトルの本、覚えてる?」
「うん」
「あの頃のふたりには読めなかった漢字があったでしょ」
「そうだったね」
「だけどなんとか頑張って読もうとしたんだね? 自分で読めるようになって捲ってみたら、俺、全然違う意味で覚えてて、笑ったよ」
「うふふ」
 睦美は上の空で微笑む。

 碧が口にした本のタイトルから、睦美の意識は引きずり込まれるように祖父母との日々を回想し始める。

 ――新しい家族が迎えに来た日、それは睦美が祖父母に見限られた日だ。
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