姉に初恋を奪われた私は、もう黙らない ~Silent Summer~
奪われたもの
+ +
碧のアパートから逃げ出した後、どうやって家まで戻ったのか思い出せなかった。
もつれる足で階段を上がり部屋のドアを閉めた瞬間、体から力が抜け落ちた。
ドアを背に、震える両手で頭を抱えた。
見慣れた部屋の風景が歪んで見えて、吐き気がした。
「……ねえ、どういう、こと?」
誰もいない場所に向かって、訴えた。
これまで必死に受け止めてきた睦美の憎しみは、なんだったのか……
自分を責め続けた長い月日は?
傷痕のせいでいつも肩身が狭いと、睦美は事あるごとに私を詰った。
『着たい服や水着が着れないのは誰のせい?』
『好きな人と長くつきあえないのは誰のせい?』
『いつもビクビクしなきゃならないのは誰のせい?』
これまでの睦美の言葉の、どこまでが嘘で、どこまでが本当のことだったのだろうか。
必死に記憶を辿り、戻り、立ち止まるも結論はひとつだった。
――睦美から、病院で『傷痕は一生消えない』と言われたと聞かされた後、私はもう一度だけ縋った。父ならきっと治せる医者を見つけてくれるはずだと。
睦美は鋭く遮った。
「パパとママは医療の仕事をしてるんだよ。娘の傷に何年も気づかない親だって、みんなから責められるでしょうね」
「……そうかもしれないけど……むーちゃんのためなら」
「そんなことが広まったらパパとママがどうなるか考えた? 麦ちゃんは冷たい人間だよ。パパとママの心配より、自分の罪を軽くすることだけ考えてるんだから」
「ち、ちが……っ」
「それに私は、パパとママがあちこちに頭下げるとこなんて見たくない」
「……」
「パパとママを苦しめるくらいなら私が我慢する」
睦美はその場に蹲った。
その泣き声が私の心を裂いた。
……あのとき、私の意思は“閉じ込められた”。
それからは傷のことを誰かに相談しようとは思わなくなった。
「はあ……はあ、は、はは、は、ははははっは」
気が触れてしまったのかと錯覚するほどの、激しい笑いが込み上げてくる。
「はははは――――っ」
けれど息継ぎと同時にぴたり、と笑いが止まった。
「……なんで、騙したの」
言葉に出すと、それが導火線になった。
何の目的でっ?
だって睦美は家族で、たったひとりの姉妹で、『こんなことをする理由』がどこにあるというのだろうか。
現実が受け止めきれなかった。
「……」
これまでの日々が脳裏を流れていった。
睦美に騙されなければあるはずだった平和な日常を想像せずにはいられなかった。……親に甘えたかった。……友達とたくさん遊びたかった。……楽しいこと、いっぱいしたかった、“むーちゃんのように”。