恋と焦燥のロードマップ
ある日の帰り道、俺たちは駅へ向かって並んで歩いていた。夕方を過ぎた街には仕事帰りの人が増え始めていて、少し前を歩く人の話し声や、車道を走る車の音が途切れずに聞こえていた。雫は今日食べたものの話をしていて、俺はそれを聞きながら笑っていた。いつもと変わらない時間だった。だからこそ、ここで言ってしまおうと思った。
「雫」
「ん?」
呼び止めると、雫がこちらを向く。
「俺、話してなかったことがある」
それだけ言ったところで、胸の奥が少しだけ騒がしくなった。今さら何を緊張しているんだと思いながら、それでも一度息を吐いてから、俺は言葉を続けた。
「俺、俳優なんだ」
雫は一瞬だけ目を丸くした。
「……俳優?」
「うん。仕事では、南條湊斗って名前でやってる」
「そうなんだ」
もう少し驚かれると思っていた。もっと言えば、言葉を失うくらいの反応をされることも覚悟していた。自分の名前がどれくらい知られているのかは、仕事をしている以上分かっているし、雫が普段テレビを見ないと言っていたとしても、南條湊斗という名前を聞けば、何かしら思うところはあるだろうと思っていた。
けれど、雫は少し考えるように俺を見たあと、静かに頷いただけだった。
「……それだけ?」
「え?」
「いや……もっと驚くかなって」
思わず笑ってしまう。それに対して雫は、少し困った顔をして、それから俺を見た。
「だって…知ってたし」
「……え?」
今度は俺が言葉を失ってしまった。
「湊が俳優だってこと。って言っても、知ったのは最近なんだけどね。前にも言ったけど、私、普段テレビとか見ないから」
「知ってたのか……」
「うん」
そう言われても、俺にはまだ少し不思議だった。知っていたのなら、どうして何も聞かなかったんだろう。俳優だと分かってからも、どうして今までと同じように接していたんだろう。
「じゃあ……俺が俳優だって知ってからも、今までと何も変わらなかったの?」
聞いてから、少しだけ恥ずかしくなった。そんなことを気にしている自分が、子供っぽく思えてしまったから。でも、雫は笑わなかった。
「だって……」
ほんの少しだけ間をおいて、雫は当たり前のことを言うように笑った。
「湊は湊でしょ?」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に張りつめていたものが、静かにほどけていくのが分かった。
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