さよならを繰り返す100回目の放課後
「律ーーーっ!!」

喉がちぎれそうなほどの叫びが、秋の澄んだ空気を切り裂いた。
けれど、わたしの手は空を切り、律の制服の裾にすら触れることができなかった。

視界が、まるで引き伸ばされたフィルムのようにスローモーションに切り替わる。
オレンジ色の夕日を受け、鈍い銀色に光る無数の鉄パイプ。それが巨大な獣のように牙を剥き、坂道を転がり落ちていく。その先に立ちすくむ、幼い女の子。
そして——迷いなくその渦中へと飛び込んでいく、律の後ろ姿。

ドスッ、という鈍い音と、ガシャアン! という凄まじい金属音が鼓膜を破った。

「嫌……嫌、嫌、嫌ぁぁぁぁっ!!」

わたしは転がるように坂道を駆け下りた。膝が笑い、何度もアスファルトに脚をとられそうになりながら、なりふり構わず走り続けた。
視界が涙でぐしゃぐしゃに歪んで、何も見えない。けれど、目の前にある惨状だけは、残酷なほど鮮明に頭に焼き付いていた。

大量の鉄パイプとコンクリートブロックが重なり合った、瓦礫の山。
そのすぐ脇に、泣きじゃくる女の子の姿があった。擦り傷だらけだが、間一髪のところで律に突き飛ばされ、直撃を免れたのだ。

そして、その瓦礫の下に——。

「律……? ねぇ、律っ!!」

瓦礫の隙間から見えた黒い制服と、だらりと投げ出された細い腕。
そこから、真っ赤な液体がアスファルトの黒い地面へと静かに染み出していく。

「嘘でしょ……嘘だと言ってよ……っ!」

わたしは膝から崩れ落ち、がむしゃらに鉄パイプを退かそうとした。冷たい金属が皮膚を削り、自分の爪が割れて血が滲むのも感じない。ただ必死に、律の体を覆う重みを取り除こうと手を動かし続けた。

「紬……」

かすかな、途切れ途切れの声が聞こえた。

「律!? 律、動かないで! 今、助けるから……今、誰か呼ぶから……っ!」
「……バカ……お前が……ケガ、すんだろ……」

瓦礫の隙間から覗く律の顔は、痛々しいほど白く血の気が引いていた。なのに、その茶色い瞳は、どこまでも優しくわたしを見つめている。
口元からすうっと流れる赤い血を拭うこともできず、わたしは彼の冷たくなりかけた手を両手でぎゅっと握りしめた。

「なんで……なんでなのよ……っ! 駅前に行かなければ助かるって思ったのに! なんでこんな……こんなのあんまりだよ!!」

ボロボロと溢れ落ちる涙が、律の頬にポタポタと零れ落ちる。
運命が憎かった。
どんなに場所を変えても、どんなに時間を稼いでも、世界は絶対に律を奪おうとする。まるで最初から「瀬名律の死」が決まっていたかのように。

「……ごめんな……紬」
「謝らないで! お願いだから、喋らないで!!」
「……また……お前に……泣き顔……させちゃった……」

律の言葉に、胸がどきりと跳ね上がった。

(また……? 『また』って、どういうこと……?)

動転する頭の片隅で、小さな違和感が芽生える。けれど、それを追求する余裕なんてどこにもなかった。律の握り返す力が、秒単位で弱まっていくのが分かったからだ。

ウー、ウー、と遠くから救急車のサイレンの音が響き始める。
遠くで街のスピーカーから、午後五時を知らせる夕暮れのチャイムが鳴り響いた。

キーンコーンカーンコーン……。

「嫌だ……逝かないで……! 律、お願いだからわたしを一人にしないでよ……っ!」
「……紬……俺……本当は……」

律の唇が、かすかに動く。
何かを伝えようとしたその瞬間、彼の茶色い瞳からすっと光が消え、握られていた手に力がこもらなくなった。
だらりと指先が地面に落ちる。

「律……? ねぇ、冗談でしょ……? 律ーーーーーーっ!!!!」

わたしの叫び声が、夕闇に包まれる街に空しくこだました。

胸の奥が、焼き切れるように熱い。
制服のポケットの中に入れた、小さな懐中時計——律と出会った日、骨董品店で見つけて「お揃いみたいだね」と笑い合った古びた真鍮の時計が、激しい光を放ち始めた。

熱い。痛い。苦しい。
世界が、ぐにゃりと歪んでいく。
オレンジ色の夕空が砕け散り、黒い渦となってわたしと律を飲み込んでいく。

(足りない……何回やり直したって、届かない……)

意識が遠のく感覚の中で、絶望の波が全身を駆け巡る。
1回目も、5回目も、10回目も、そして今日の100回目も。
わたしは一度だって、律の笑顔を明日に連れて行ってあげることができなかった。

(でも……諦めない)

溢れ出す涙を光の渦に散らしながら、わたしは暗闇の中で固く拳を握りしめた。

(100回でダメなら、200回だって、1000回だってやり直してやる。きみが死ぬ運命なんて、わたしが何度でも叩き潰してやる……!)

たとえ世界中の運命がわたし達の邪魔をしたとしても。
どれだけ心が折れそうになっても。
わたしは絶対に、きみの手を離さない。

(待っていて、律——!)

言葉が途切れ、光が爆発した。

◇

「……紬?」

はっと息を呑んで目を開けた。

目の前に広がっていたのは、夕日に染まる誰もいない教室。
木目の天板に刻まれた小さな傷跡。
壁の丸時計の針は——午後四時三十分。

キーンコーンカーンコーン……。

放課後を告げるチャイムの音が、頭上から静かに降ってくる。
カレンダーの日付は「10月15日」。

「うわっ、紬? なんで泣いてんの?」

聞き慣れた、大好きな声。
弾かれたように顔を上げると、そこにはスクールバッグを肩にかけた律が立っていた。
少しクセのある黒髪、夕日に透ける茶色い瞳、そして口元に浮かべた、いつもの生意気そうな笑み。

傷ひとつない綺麗な顔で、彼はわたしを見つめている。

(戻って……きた……!)

激しい安動感と、消えない恐怖で胸が押し潰されそうになる。
わたしは涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。

「ううん……なんでもない。嫌な夢を、見ただけ」

そう答えた瞬間、律の表情がほんの一瞬だけ、悲しそうに歪んだ気がした。
ほんのコンマ何秒かの出来事。彼はすぐにいつもの意地悪な笑顔に戻ると、ポケットからクシャクシャのハンカチを取り出した。

「嘘つけ。目、真っ赤じゃん。……ほら」

ポイッと投げ渡されたハンカチを、わたしはしっかりと受け止める。

101回目の、10月15日。
運命との戦いは、まだ始まったばかりだ。
わたしは絶対に、この「さよなら」のループを終わらせてみせる。
< 3 / 18 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop