雪月公は菫の花に微笑む
 書簡を閉じていた灰色の封蝋には、極秘任務であることを示す皇帝の印章が刻まれている。

 現地で開け、という命令だった。

 ヴィオラはしばらくそれを見つめてから、短剣で封を切った。

 中には、数枚の書簡と小さな地図が入っていた。地図に描かれているのは、ウォルターズ領北西部の港町と、その周辺の街道。

 港の名前は、ノルドハーヴェン。海の向こうの諸国との交易を担う北の玄関口である。

 ヴィオラは書簡へ目を通した。

 数か月前から、北方海域において複数の交易船が消息を絶っていること。当初は冬の海難事故として処理されていたが、積荷の一部が別経路で流通している形跡が見つかったこと。

 さらに、国境近くの村で武装した不審者の目撃情報があること。その一方で、ウォルターズ家から皇都へ届く公式報告には、大きな異常は記されていないこと。

 さらに、皇都で見つかった不審な補給申請が、いずれもノルドハーヴェン方面の中継倉庫へ荷を回す内容だったこと。これらが同じ線で繋がっている可能性がある。

 皇帝の字は簡潔だった。余計な装飾も、感情もない。だが、最後の一文だけは、ヴィオラの目に強く残った。

 ――北方の火種が帝国全土へ広がる前に、見極めろ。

 ヴィオラは書簡を畳んだ。

「……やはり、補給申請だけの問題ではないか」

 誰に聞かせるでもなく呟きながら地図を机いっぱいに広げると、まず港の位置へ視線を落とした。そこから主要街道をたどり、国境砦との位置関係を確かめる。さらに補給倉庫と交易船が消えた地点を重ねれば、それぞれ無関係に見えた情報にも一定の方向が生まれ始めた。

 武装集団の目撃場所まで地図へ落とし込んでも、散らばった点を一本の線として結ぶには、まだ情報が足りない。

 けれど、もし一連の異変が意図的に起こされているのなら、狙いは単純な襲撃だけではないだろう。

 北を揺らし、ウォルターズ家を孤立させ、その先で帝国の北門をこじ開ける――そこまで考えて、ヴィオラは指先で港町の位置を押さえた。

 任務の重さは予想を上回っていたが、恐れより先に慎重であろうという意識が立つ。

 何しろ、ここは皇都ではなくウォルターズ領だ。

 ミカエルの許しなく動けると思うな、と皇帝は言った。その意味が、地図を前にしてようやく少し分かる。

 この土地は、皇帝の命令だけで動く場所ではない。雪月公の領域なのだ。
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