雪月公は菫の花に微笑む

一章 雪と狐の領地

「遥々ようこそ、とご挨拶を申し上げたいところですが、明日にはお帰りを」

「……はい?」

 ヴィオラ・カルネットは、思わず聞き返していた。
 雪に閉ざされた公爵邸の玄関先で、長旅の疲れを押し殺し、帝国騎士団参謀官として礼を尽くした直後に返ってきた言葉が、それだった。

 歓迎でもなければ労いでもない。帰れ、である。
 しかも、明日には。

「おや、聞こえませんでしたか」

 階段の上に立つ男は、天使のような微笑みを浮かべていた。肩に届くほどの金髪は雪明かりを受けて淡く輝き、真昼の空のような瞳は甘く澄んでいるのに底が見えない。

 肌はこの地に積もる雪よりも白く、白銀を基調とした北方風の礼装は、彼の美貌をさらに冷たく際立たせている。

 彼の名は、ミカエル・ウォルターズ。帝国最北の地を治める、ウォルターズ公爵家の現当主である。

 通称、雪月公と呼ばれている彼は、十八年もの間皇都に姿を見せず、何度手紙を送っても返書を遣さなかった男だ。

 皇都では、その名だけで知られている。
 美貌に惑わされるな、笑顔を信用するな、言葉の端には必ず毒がある――雪月公についてヴィオラが聞かされた忠告は、どれも好意的なものではなかった。

 その男が今、ヴィオラを見下ろしながら、優雅に首を傾けている。

「皇都からの長旅でお疲れなのでしょう。では、もう一度申し上げます。ウォルターズ領は、中央の退屈な好奇心に付き合うほど暇ではありません。明日の朝一番でお帰りください、カルネット参謀官」

(——なるほど、おおむね正しい)

 だが、ひとつ足りていない。ミカエルという男は、初対面の相手を玄関先で追い返すほど性格が悪い。

「申し訳ございません」

 玄関先で追い返されるつもりなど最初からなく、ヴィオラは気を取り直すように背筋を伸ばして雪月公へ向き直った。

「私は中央の退屈な好奇心でここへ来たわけではありませんので」

 ヴィオラの返答を聞いたミカエルは、初めて値踏みするような色を空色の瞳に浮かべ、ゆっくり目を細めた。

「……ほう」

 低く落とされた一音に、玄関前に控えていた使用人たちの空気が変わった。

 雪月公に言い返す人間は、そう多くないのだろう。
 ヴィオラは胸元の騎士団の紋章に手を添えた。

「改めまして、帝国騎士団参謀官、ヴィオラ・カルネットにございます。皇帝陛下の命により、ウォルターズ公爵閣下へご挨拶申し上げます」

「ご丁寧にどうも」

 ミカエルは返された言葉を面白がるように目を細め、薄い笑みを口元に浮かべた。
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