雪月公は菫の花に微笑む
「帝国初の女性参謀官と伺っております。なるほど、軍府もついに人材不足を役職で誤魔化すようになりましたか」
そこでヴィオラは悟った。
どうやら噂は誇張ではない。誰に対しても遠慮がなく、礼儀の形を保ったまま相手の急所を正確に刺す。皇帝にも公爵にも媚びず、気に入らなければ笑顔で斬る男なのだ。
もう一つの通り名は、帝国の狐。名付け人はどこの誰だか知らないが、よく言ったものだ。
「ご心配には及びません」
露骨な挑発に付き合うつもりはなく、ヴィオラは顔色ひとつ変えず、同じだけ平静な声音で答えた。
「人材不足で任じられた者を、皇帝陛下が極秘任務にお使いになるほど、帝国は困窮しておりませんので」
ミカエルは黙った。吹きつける雪混じりの風が、二人の間を白く横切っていく。
ほんの一瞬、ミカエルの完璧な微笑みに罅が入ったように見えた。怒ったのではない、呆れたのでもない。面白がったのだ。
「……カルネット家の娘は、口も利けるのですね」
「閣下ほどではございません」
「褒めておりませんよ」
「存じております」
ミカエルの唇の端がふっと上がる。先ほどまでの天使じみた微笑みとは違い、もっと鋭く、もっと冷たい。雪の下に潜んでいた狐が、ようやく顔を出したような笑みだった。
「皇都では、そのような返答が好まれるのですか」
「いいえ。あまり好まれません。ですが軍では必要とされます」
「それはお気の毒に。貴女の上官は随分と忍耐強いらしい」
「副団長は、よく胃を押さえておられます」
「デューク卿の胃が丈夫ではないことだけは、よく分かりました」
そこまで言うと、ミカエルはようやく階段を一段下りる。
距離が縮まるほど、その美貌はかえって現実味を失っていったが、ヴィオラは目を逸らさない。軍略において顔立ちの美しさなど何の意味もなく、剣の間合いと同じで、相手を見誤れば負けるだけだ。ミカエルもまた、値踏みするように彼女を見ていた。
濡羽色の髪を後ろで一つに結び、女物のドレスではなく帝国騎士団の軍服を纏い、雪道を越えてきたばかりだというのに膝を震わせることもない女を、値踏みするように。
「カルネット参謀官。この地では、皇都の肩書きは役に立ちません」
「承知しております」
「承知している人間ほど、何も分かっていないものです」
「では、分かるまで滞在いたします」
「迷惑ですね」
「職務ですので」
今度こそ、周囲の空気が小さく揺れた。誰かが笑いを堪えたのかもしれない。
ミカエルはそれに気づいているはずなのに、振り返らなかった。ただ空色の瞳を細め、ヴィオラをまっすぐに見据えている。
そこでヴィオラは悟った。
どうやら噂は誇張ではない。誰に対しても遠慮がなく、礼儀の形を保ったまま相手の急所を正確に刺す。皇帝にも公爵にも媚びず、気に入らなければ笑顔で斬る男なのだ。
もう一つの通り名は、帝国の狐。名付け人はどこの誰だか知らないが、よく言ったものだ。
「ご心配には及びません」
露骨な挑発に付き合うつもりはなく、ヴィオラは顔色ひとつ変えず、同じだけ平静な声音で答えた。
「人材不足で任じられた者を、皇帝陛下が極秘任務にお使いになるほど、帝国は困窮しておりませんので」
ミカエルは黙った。吹きつける雪混じりの風が、二人の間を白く横切っていく。
ほんの一瞬、ミカエルの完璧な微笑みに罅が入ったように見えた。怒ったのではない、呆れたのでもない。面白がったのだ。
「……カルネット家の娘は、口も利けるのですね」
「閣下ほどではございません」
「褒めておりませんよ」
「存じております」
ミカエルの唇の端がふっと上がる。先ほどまでの天使じみた微笑みとは違い、もっと鋭く、もっと冷たい。雪の下に潜んでいた狐が、ようやく顔を出したような笑みだった。
「皇都では、そのような返答が好まれるのですか」
「いいえ。あまり好まれません。ですが軍では必要とされます」
「それはお気の毒に。貴女の上官は随分と忍耐強いらしい」
「副団長は、よく胃を押さえておられます」
「デューク卿の胃が丈夫ではないことだけは、よく分かりました」
そこまで言うと、ミカエルはようやく階段を一段下りる。
距離が縮まるほど、その美貌はかえって現実味を失っていったが、ヴィオラは目を逸らさない。軍略において顔立ちの美しさなど何の意味もなく、剣の間合いと同じで、相手を見誤れば負けるだけだ。ミカエルもまた、値踏みするように彼女を見ていた。
濡羽色の髪を後ろで一つに結び、女物のドレスではなく帝国騎士団の軍服を纏い、雪道を越えてきたばかりだというのに膝を震わせることもない女を、値踏みするように。
「カルネット参謀官。この地では、皇都の肩書きは役に立ちません」
「承知しております」
「承知している人間ほど、何も分かっていないものです」
「では、分かるまで滞在いたします」
「迷惑ですね」
「職務ですので」
今度こそ、周囲の空気が小さく揺れた。誰かが笑いを堪えたのかもしれない。
ミカエルはそれに気づいているはずなのに、振り返らなかった。ただ空色の瞳を細め、ヴィオラをまっすぐに見据えている。