琥珀色の独占欲
## 第4話 光の真ん中
夏休みの前の日。
美術室の机の端に
緑茶と一緒に
付箋が貼ってあった。
「夏休み、付箋届かないから。連絡先、聞いてもいい?」
その下に
小さく
「だめなら、このまま九月まで報告ためとく」
瑠璃は
しばらくその付箋を見ていた。
それから
裏返して
自分の連絡先を書いた。
緑茶の横に
そっと戻した。
夏休みのあいだ
毎晩
短いメッセージが届いた。
「今日、告白されなかった。報告おわり」
「今日も、されなかった」
「今日は大会。されなかった。二位だった」
「今日は、されなかった。暑い」
同じ言葉が
四十日分並んだ。
瑠璃は一度も
長い返事をしなかった。
「はい」
「お疲れさまです」
「暑いですね」
それだけ。
それでも
夜の九時を過ぎて
スマートフォンが震えないと
なんとなく
画面を見てしまう自分がいた。
八月の終わりに一度だけ
違うメッセージが来た。
「今日、告白された。大会で会った他校の子。断った。報告」
瑠璃は
その文を長いあいだ見ていた。
指が動いた。
「お疲れさまです」
と打ちかけて。
消した。
「ちゃんと断れましたか」
送ってから
少しだけ後悔した。
すぐに既読がついた。
「ちゃんと断った。好きな人いるって言った」
それから
もう一通。
「心配してくれた?」
瑠璃は
画面を伏せた。
返事はしなかった。
その夜
なかなか眠れなかった。
九月の終わり。
文化祭の一日目。
北校舎の三階は
いつもより少しだけ賑やかだった。
美術部の展示。
美術室の壁に
部員たちの絵が並んでいる。
瑠璃の絵は
窓際の一番奥に掛けてあった。
夜明け前の空。
四月から描き続けてきた
何層もの青。
その一番下
地平線の近くに
九月に入ってから
ほんの少しだけ
色を足していた。
細い
橙色の線。
朝焼けの
最初の光。
受付の机に座っていると
扉が開いた。
「瑠璃ちゃん」
ダンス部のTシャツ。
首にかけたタオル。
午後のステージの
リハーサル帰りらしかった。
「……鏡くん」
「見にきた」
彼は受付の名簿に
大きな字で名前を書いた。
鏡琥珀。
それから
まっすぐ窓際へ歩いていった。
他の絵には
ほとんど目もくれなかった。
瑠璃の絵の前で
足を止める。
じっと見ていた。
長いあいだ。
他のお客さんが
彼の後ろを通り過ぎていく。
何人かの女の子が
ちらちらと彼を振り返る。
彼は気づかなかった。
ただ
絵を見ていた。
瑠璃は受付の机から
その背中を見ていた。
四月のあの日
扉のところで
自分の絵を見ていた背中。
同じ背中だった。
やがて
彼が振り返った。
瑠璃を手招きする。
瑠璃は少しだけ迷って
受付を立った。
絵の前に並ぶ。
「ここ」
彼が
地平線の近くを指さした。
細い橙色の線。
「前はなかったよね」
瑠璃の心臓が
一度だけ大きく跳ねた。
「……見てたんですか」
「毎日見てたもん」
彼は絵に目を戻した。
「ここだけ、琥珀色」
「……朝焼けです」
「うん」
「朝焼けの色です」
「うん。知ってる」
彼は笑っていた。
絵を見たまま。
何も聞かなかった。
どうしてそこに
その色を足したのか。
聞かないでいてくれることが
ありがたくて
少しだけ
悔しかった。
「タイトル、なんていうの」
彼が
絵の横の小さなカードを覗きこむ。
瑠璃が書いたカード。
『夜明け前』
彼はそれを
口の中で小さく読んだ。
それから
もう一度
絵を見た。
「……もうすぐ、明けそうだね」
瑠璃は
何も言えなかった。
彼は三回来た。
一日目の昼。
一日目の夕方。
二日目の朝。
三回とも
窓際の一番奥で
同じように立ち止まって
同じように
長いあいだ絵を見ていた。
三回目のとき
受付当番の後輩が
瑠璃に耳打ちした。
「冴木先輩。鏡先輩、また来てますよ」
「……知ってる」
「先輩の絵しか見てないですよね」
「……知ってる」
後輩がくすくすと笑った。
瑠璃は
受付の名簿に目を落とした。
鏡琥珀。
鏡琥珀。
鏡琥珀。
同じ名前が
三行並んでいた。
二日目の午後。
「行くよ」
可絵が瑠璃の腕を掴んだ。
「どこに」
「体育館。ダンス部のステージ」
「受付が」
「後輩ちゃんに代わってもらった。行くよ」
問答無用だった。
体育館は
人で溢れていた。
暗幕が引かれて
中は薄暗かった。
熱気。
ざわめき。
前のほうの席は
とっくに埋まっていた。
女の子たちが
手作りのうちわを持っている。
名前の書かれたボード。
鏡琥珀の名前も
いくつも見えた。
瑠璃と可絵は
一番後ろの壁際に立った。
照明が落ちた。
体育館が
一瞬で静かになった。
低いビートが
床を震わせた。
スポットライトが
ステージの真ん中を
白く切り取った。
彼がいた。
黒い衣装。
うつむいた横顔。
音が
一拍
跳ねた。
彼が動いた。
瑠璃は
息をするのを忘れた。
速かった。
鋭かった。
音のひとつひとつが
彼の身体の中を通って
形になっていく。
腕が空気を切る。
足が床を叩く。
ターン。
着地。
ぶれない。
一瞬も。
美術室で
丸椅子に座って
頬杖をついていた人と
同じ人だとは思えなかった。
いや。
同じ人だった。
緑茶に付箋を貼る人と。
毎晩同じメッセージを送ってくる人と。
扉のところで
「また来るね」と笑う人と。
全部
同じ人だった。
光の真ん中で
彼は
一人で
音と向き合っていた。
誰の歓声も
聞こえていないように見えた。
それは
瑠璃が
キャンバスの前で
青と向き合っているときと
同じ顔だった。
四月のあの日
彼が扉のところで見ていたのは
こういうものだったのかもしれない。
瑠璃は
胸の前で
両手を握りしめていた。
心臓が
ビートと一緒に鳴っていた。
曲が
最後の一音に向かって駆け上がっていく。
ラストのポーズ。
彼が
腕を振り上げて
止まった。
顔を上げる。
照明が
ステージの奥から
彼の背中を照らした。
逆光。
その瞬間
彼の目が
体育館の一番後ろまで
まっすぐに届いた。
壁際に立つ
瑠璃のところまで。
目が合った。
ほんの一秒。
彼の口元が
ほんの少しだけ
緩んだ。
歓声が爆発した。
前の席の女の子たちが
悲鳴のような声を上げる。
今こっち見た。
絶対見た。
私たちのほう見た。
瑠璃は
動けなかった。
壁に背中を預けたまま。
隣で可絵が
ゆっくりとこちらを向いた。
何も言わなかった。
ただ
にやりと笑っていた。
ステージのあと。
体育館の裏口の外に
瑠璃は立っていた。
可絵に置いていかれた。
「あとはご自由に」
そう言って
さっさと校舎へ戻っていった。
帰ろうと思えば
帰れた。
帰らなかった。
裏口の扉が
勢いよく開いた。
彼だった。
衣装のまま。
汗で前髪が額に張りついていた。
肩で息をしていた。
瑠璃を見つけて
止まった。
「……いた」
掠れた声だった。
「ステージから見えて。……いなくなってたらどうしようって」
瑠璃は
何も言えなかった。
彼が一歩近づく。
「見てくれた?」
「……見ました」
「どうだった」
瑠璃は
言葉を探した。
すごかった。
かっこよかった。
どれも違う気がした。
四月のあの日。
自分の絵を見て
彼が言った言葉を思い出した。
一番短くて
一番まっすぐな言葉。
「……きれいでした」
彼の動きが
止まった。
目が
ゆっくりと見開かれていく。
汗が一筋
こめかみを伝って落ちた。
「……きれい」
「はい」
「俺が?」
「……ダンスが、です」
瑠璃は目を逸らした。
頬が熱かった。
秋の風が
少しも冷たく感じなかった。
彼は
何も言わなかった。
長いあいだ。
やがて
小さな声が聞こえた。
「……やばい」
瑠璃が顔を上げると
彼が両手で顔を覆っていた。
指の隙間から見える耳が
真っ赤だった。
「今の、一生覚えてる」
「……大げさです」
「大げさじゃない」
彼は顔から手を下ろした。
泣きそうな顔で
笑っていた。
「瑠璃ちゃんに、きれいって言われた」
その夜。
瑠璃は自分の部屋で
スケッチブックを開いた。
表紙の裏に
付箋が二枚。
その隣に
夏休み前の
連絡先を聞いてきた付箋。
三枚になっていた。
白いページを開く。
鉛筆を持つ。
何を描くか
決めていなかった。
でも
手が勝手に動いた。
腕を振り上げた人の輪郭。
逆光の中の背中。
光の真ん中に立つ
一人の男の子。
一枚描き終えて
次のページをめくった。
また描いた。
ターンの瞬間。
着地の瞬間。
最後の一秒の
こちらを見た横顔。
止まらなかった。
描いても
描いても
足りなかった。
気づいたら
十二時を過ぎていた。
瑠璃は鉛筆を置いた。
机の上に
同じ人の絵が
何枚も散らばっていた。
瑠璃は
それを見つめた。
長いあいだ。
スマートフォンが震えた。
「今日、告白されなかった。報告おわり」
いつもの文面。
その下に
もう一通。
「今日のこと、ずっと覚えてる。おやすみ」
瑠璃は
画面を見つめたまま
しばらく動けなかった。
それから
指を動かした。
「おやすみなさい」
送信する。
いつもの返事。
でも
送ってから
もう一度
指が動いた。
「今日のダンス、描きました」
送ってしまってから
顔が熱くなった。
取り消そうとした。
既読がついた。
もう遅かった。
数秒後。
スマートフォンが震えた。
一文字だけだった。
「!!!!!」
瑠璃は
枕に顔を埋めた。
声を出さずに
笑った。
机の上で
散らばったスケッチが
月明かりに
白く光っていた。
夏休みの前の日。
美術室の机の端に
緑茶と一緒に
付箋が貼ってあった。
「夏休み、付箋届かないから。連絡先、聞いてもいい?」
その下に
小さく
「だめなら、このまま九月まで報告ためとく」
瑠璃は
しばらくその付箋を見ていた。
それから
裏返して
自分の連絡先を書いた。
緑茶の横に
そっと戻した。
夏休みのあいだ
毎晩
短いメッセージが届いた。
「今日、告白されなかった。報告おわり」
「今日も、されなかった」
「今日は大会。されなかった。二位だった」
「今日は、されなかった。暑い」
同じ言葉が
四十日分並んだ。
瑠璃は一度も
長い返事をしなかった。
「はい」
「お疲れさまです」
「暑いですね」
それだけ。
それでも
夜の九時を過ぎて
スマートフォンが震えないと
なんとなく
画面を見てしまう自分がいた。
八月の終わりに一度だけ
違うメッセージが来た。
「今日、告白された。大会で会った他校の子。断った。報告」
瑠璃は
その文を長いあいだ見ていた。
指が動いた。
「お疲れさまです」
と打ちかけて。
消した。
「ちゃんと断れましたか」
送ってから
少しだけ後悔した。
すぐに既読がついた。
「ちゃんと断った。好きな人いるって言った」
それから
もう一通。
「心配してくれた?」
瑠璃は
画面を伏せた。
返事はしなかった。
その夜
なかなか眠れなかった。
九月の終わり。
文化祭の一日目。
北校舎の三階は
いつもより少しだけ賑やかだった。
美術部の展示。
美術室の壁に
部員たちの絵が並んでいる。
瑠璃の絵は
窓際の一番奥に掛けてあった。
夜明け前の空。
四月から描き続けてきた
何層もの青。
その一番下
地平線の近くに
九月に入ってから
ほんの少しだけ
色を足していた。
細い
橙色の線。
朝焼けの
最初の光。
受付の机に座っていると
扉が開いた。
「瑠璃ちゃん」
ダンス部のTシャツ。
首にかけたタオル。
午後のステージの
リハーサル帰りらしかった。
「……鏡くん」
「見にきた」
彼は受付の名簿に
大きな字で名前を書いた。
鏡琥珀。
それから
まっすぐ窓際へ歩いていった。
他の絵には
ほとんど目もくれなかった。
瑠璃の絵の前で
足を止める。
じっと見ていた。
長いあいだ。
他のお客さんが
彼の後ろを通り過ぎていく。
何人かの女の子が
ちらちらと彼を振り返る。
彼は気づかなかった。
ただ
絵を見ていた。
瑠璃は受付の机から
その背中を見ていた。
四月のあの日
扉のところで
自分の絵を見ていた背中。
同じ背中だった。
やがて
彼が振り返った。
瑠璃を手招きする。
瑠璃は少しだけ迷って
受付を立った。
絵の前に並ぶ。
「ここ」
彼が
地平線の近くを指さした。
細い橙色の線。
「前はなかったよね」
瑠璃の心臓が
一度だけ大きく跳ねた。
「……見てたんですか」
「毎日見てたもん」
彼は絵に目を戻した。
「ここだけ、琥珀色」
「……朝焼けです」
「うん」
「朝焼けの色です」
「うん。知ってる」
彼は笑っていた。
絵を見たまま。
何も聞かなかった。
どうしてそこに
その色を足したのか。
聞かないでいてくれることが
ありがたくて
少しだけ
悔しかった。
「タイトル、なんていうの」
彼が
絵の横の小さなカードを覗きこむ。
瑠璃が書いたカード。
『夜明け前』
彼はそれを
口の中で小さく読んだ。
それから
もう一度
絵を見た。
「……もうすぐ、明けそうだね」
瑠璃は
何も言えなかった。
彼は三回来た。
一日目の昼。
一日目の夕方。
二日目の朝。
三回とも
窓際の一番奥で
同じように立ち止まって
同じように
長いあいだ絵を見ていた。
三回目のとき
受付当番の後輩が
瑠璃に耳打ちした。
「冴木先輩。鏡先輩、また来てますよ」
「……知ってる」
「先輩の絵しか見てないですよね」
「……知ってる」
後輩がくすくすと笑った。
瑠璃は
受付の名簿に目を落とした。
鏡琥珀。
鏡琥珀。
鏡琥珀。
同じ名前が
三行並んでいた。
二日目の午後。
「行くよ」
可絵が瑠璃の腕を掴んだ。
「どこに」
「体育館。ダンス部のステージ」
「受付が」
「後輩ちゃんに代わってもらった。行くよ」
問答無用だった。
体育館は
人で溢れていた。
暗幕が引かれて
中は薄暗かった。
熱気。
ざわめき。
前のほうの席は
とっくに埋まっていた。
女の子たちが
手作りのうちわを持っている。
名前の書かれたボード。
鏡琥珀の名前も
いくつも見えた。
瑠璃と可絵は
一番後ろの壁際に立った。
照明が落ちた。
体育館が
一瞬で静かになった。
低いビートが
床を震わせた。
スポットライトが
ステージの真ん中を
白く切り取った。
彼がいた。
黒い衣装。
うつむいた横顔。
音が
一拍
跳ねた。
彼が動いた。
瑠璃は
息をするのを忘れた。
速かった。
鋭かった。
音のひとつひとつが
彼の身体の中を通って
形になっていく。
腕が空気を切る。
足が床を叩く。
ターン。
着地。
ぶれない。
一瞬も。
美術室で
丸椅子に座って
頬杖をついていた人と
同じ人だとは思えなかった。
いや。
同じ人だった。
緑茶に付箋を貼る人と。
毎晩同じメッセージを送ってくる人と。
扉のところで
「また来るね」と笑う人と。
全部
同じ人だった。
光の真ん中で
彼は
一人で
音と向き合っていた。
誰の歓声も
聞こえていないように見えた。
それは
瑠璃が
キャンバスの前で
青と向き合っているときと
同じ顔だった。
四月のあの日
彼が扉のところで見ていたのは
こういうものだったのかもしれない。
瑠璃は
胸の前で
両手を握りしめていた。
心臓が
ビートと一緒に鳴っていた。
曲が
最後の一音に向かって駆け上がっていく。
ラストのポーズ。
彼が
腕を振り上げて
止まった。
顔を上げる。
照明が
ステージの奥から
彼の背中を照らした。
逆光。
その瞬間
彼の目が
体育館の一番後ろまで
まっすぐに届いた。
壁際に立つ
瑠璃のところまで。
目が合った。
ほんの一秒。
彼の口元が
ほんの少しだけ
緩んだ。
歓声が爆発した。
前の席の女の子たちが
悲鳴のような声を上げる。
今こっち見た。
絶対見た。
私たちのほう見た。
瑠璃は
動けなかった。
壁に背中を預けたまま。
隣で可絵が
ゆっくりとこちらを向いた。
何も言わなかった。
ただ
にやりと笑っていた。
ステージのあと。
体育館の裏口の外に
瑠璃は立っていた。
可絵に置いていかれた。
「あとはご自由に」
そう言って
さっさと校舎へ戻っていった。
帰ろうと思えば
帰れた。
帰らなかった。
裏口の扉が
勢いよく開いた。
彼だった。
衣装のまま。
汗で前髪が額に張りついていた。
肩で息をしていた。
瑠璃を見つけて
止まった。
「……いた」
掠れた声だった。
「ステージから見えて。……いなくなってたらどうしようって」
瑠璃は
何も言えなかった。
彼が一歩近づく。
「見てくれた?」
「……見ました」
「どうだった」
瑠璃は
言葉を探した。
すごかった。
かっこよかった。
どれも違う気がした。
四月のあの日。
自分の絵を見て
彼が言った言葉を思い出した。
一番短くて
一番まっすぐな言葉。
「……きれいでした」
彼の動きが
止まった。
目が
ゆっくりと見開かれていく。
汗が一筋
こめかみを伝って落ちた。
「……きれい」
「はい」
「俺が?」
「……ダンスが、です」
瑠璃は目を逸らした。
頬が熱かった。
秋の風が
少しも冷たく感じなかった。
彼は
何も言わなかった。
長いあいだ。
やがて
小さな声が聞こえた。
「……やばい」
瑠璃が顔を上げると
彼が両手で顔を覆っていた。
指の隙間から見える耳が
真っ赤だった。
「今の、一生覚えてる」
「……大げさです」
「大げさじゃない」
彼は顔から手を下ろした。
泣きそうな顔で
笑っていた。
「瑠璃ちゃんに、きれいって言われた」
その夜。
瑠璃は自分の部屋で
スケッチブックを開いた。
表紙の裏に
付箋が二枚。
その隣に
夏休み前の
連絡先を聞いてきた付箋。
三枚になっていた。
白いページを開く。
鉛筆を持つ。
何を描くか
決めていなかった。
でも
手が勝手に動いた。
腕を振り上げた人の輪郭。
逆光の中の背中。
光の真ん中に立つ
一人の男の子。
一枚描き終えて
次のページをめくった。
また描いた。
ターンの瞬間。
着地の瞬間。
最後の一秒の
こちらを見た横顔。
止まらなかった。
描いても
描いても
足りなかった。
気づいたら
十二時を過ぎていた。
瑠璃は鉛筆を置いた。
机の上に
同じ人の絵が
何枚も散らばっていた。
瑠璃は
それを見つめた。
長いあいだ。
スマートフォンが震えた。
「今日、告白されなかった。報告おわり」
いつもの文面。
その下に
もう一通。
「今日のこと、ずっと覚えてる。おやすみ」
瑠璃は
画面を見つめたまま
しばらく動けなかった。
それから
指を動かした。
「おやすみなさい」
送信する。
いつもの返事。
でも
送ってから
もう一度
指が動いた。
「今日のダンス、描きました」
送ってしまってから
顔が熱くなった。
取り消そうとした。
既読がついた。
もう遅かった。
数秒後。
スマートフォンが震えた。
一文字だけだった。
「!!!!!」
瑠璃は
枕に顔を埋めた。
声を出さずに
笑った。
机の上で
散らばったスケッチが
月明かりに
白く光っていた。