今世は私が看取ります!〜英雄となった前世の恋人を幸せにしたい転生令嬢〜
 今日も彼女は夢を見る。
 ミネルヴァとテセウスの夢を見る。

 冒険者ミネルヴァ。あらゆる魔法を使いこなす彼女は、同じく卓越した剣士であるテセウスとパーティを組み、数々の冒険をし、やがて恋人となった。
 
 幸せで刺激に満ちた日々だった。

 ある日、国を滅ぼしかねない災厄級のドラゴンが現れた時もミネルヴァに恐怖はなかった。二人なら絶対に倒せると信じていた。
 
 そうして実際、二人は討伐隊の中心となって戦い、ついにドラゴンを追い詰めた。
 
 瀕死のドラゴンの叫びが国中に轟いた。断末魔のような叫びとともに、ドラゴンの爪がテセウスに振り下ろされる。冷たい音とともにテセウスが受け止めたドラゴンの爪。その反対の腕もまた、もがくようにテセウスに振り下ろされる。

 ミネルヴァは攻撃魔法の詠唱中だった。
 テセウスが前衛でミネルヴァを守り、彼女が、その間に攻撃魔法を完成させる。それが二人の戦い方だった。
 今から防御魔法は展開したのでは、間に合わない——

(ダメ!)
 
 ミネルヴァは迷わなかった。
 いや、正確には、迷う間も無く体が動いていた。
 
 テセウスとドラゴンの間に身を差し出したミネルヴァ。

 衝撃に続いて、痛みが彼女を襲う。それでも彼女は攻撃魔法を完成させた。その攻撃がドラゴンを穿ち倒した。

(やった……)

 ドサリと何かが崩れる音をミネルヴァは聞いた。
 それが自分の倒れた音だと気づいたのは、テセウスに抱き上げられた時だ。

(こんな時でも、あなたの腕の中は温かい)
 
 テセウスの腕の中でミネルヴァは笑った。致命傷を負ったのだと、冒険者としての経験が告げていた。

「……テセウス、生きて」
「ミネルヴァ……お前のいない世界なんて」
「それでも生きて。……きっと、すぐ生まれ変わって、あなたを探すから」

 呪いのような言葉を吐いて、ミネルヴァはテセウスの頬に触れる。

 死ぬのが怖かった。
 もっと彼と生きたかった。

 ミネルヴァの意識は暗く深く落ちていく。

(あぁ、でもこれで。……きっとあなたは、私を忘れない)

 最期に思ったのは、そんな罪深い——

——ガバリと、アテナイエは身を起こした

(また、この夢……)

 幼い頃から繰り返し、繰り返し、嫌になるほど見せられ続けた夢だ。

——アテナイエの前世(ミネルヴァ)の罪を突きつける夢だ

 あの夢には続きがある。
 
 英雄テセウスは、リシア王国を救った功績により伯爵位を賜わり、ネルヴァ伯爵となった。それはリシア国民なら誰だって知る英雄譚だった。

(今日の夜会には、彼も来るのよね……?)

 そんな憧れの英雄に会える。しかも彼は未婚だ。普通の子爵令嬢なら浮き足立つのだろうがアテナイエの心は重い。

(どんな顔をすれば良いというの……?)

 そんなアテナイエの心に反して時は進む。飾れたてられた彼女は兄のアレスにエスコートされながら夜会へと向かった。今日はアテナイエが成人して始めて参加する夜会だった。なのにアテナイエの心中はテセウスのことしかない。

 会場に着いても、その煌びやかさに目を奪われるより先に彼を探してしまう。そんな妹の視線に気づいたのかアレスはニヤリと笑う。

「ネルヴァ伯爵が気になるのか? お前にも、そういう年頃らしいところがあるんだな」
「……そういう訳ではありませんわ」

 アレスが年齢に比べて大人びていたアテナイエを心配してくれていることは分かった。けれど、その優しさに感謝できる余裕がなくて、アテナイエは冷たく兄に返してしまう。そんなアテナイエの態度に慣れた様子で肩をすくめたアレスにテセウスが近づいてくるのが見えた。

(……逃げなきゃ)
「お兄様。私、少し休んで参ります」
「何を言う、今、到着したばかりだろ?」
「やぁ、アレス。素敵なご令嬢を連れているな」

 直接、顔を合わせるのは、もう少し勇気が出てからにしたい。アテナイエが逃げようとした時には、もう遅かった。聞き慣れた低い声が、ひどく懐かしい。

「ネルヴァ伯爵、こちらは妹です。ご紹介させて頂いても、よろしいですか」
「あぁ、もちろん」
「お初にお目にかかります。テノン子爵家の娘アテナイエと申します」

(やっぱり私はミネルヴァなのだわ……)

 ドキドキと鼓動がうるさい。それは緊張と——あの頃の恋心ゆえだった。

(ミネルヴァかと問われたら頷いて、謝罪をしなければ。そして……)

——そして、今度こそ、ずっと離れないと彼に誓って

「どうも初めまして、アテナイエ嬢。テセウス・ネルヴァだ」

(初(・)め(・)ま(・)し(・)て(・)……)

 それは普通の挨拶なのに、ドクリとアテナイエの心臓は嫌な音を立てた。

(……彼なら、一目で私がミネルヴァだと、気づいてくれると思っていた)

 ミネルヴァとアテナイエの容姿は似ていない。燻んだ金髪に赤い瞳だった素朴なミネルヴァと、艶やかな銀髪に青い瞳の貴族令嬢として美しく磨き込まれたアテナイエと。むしろ正反対と言っても良いだろう。

(でも、私はミネルヴァで……。……いえ、本当に? 彼女の夢を見るだけよ?)

 アテナイエは美しい。けれど、美しい令嬢なんて、たくさんいる。子爵家以上に条件の良い令嬢なんて、たくさんいる。ただミネルヴァの夢を見るだけの彼女(アテナイエ)以上に相応しい令嬢が、たくさんいる。

(……これ以上、彼を縛ってはいけないわ。ここまで、彼がミネルヴァの言葉を守って未婚でいてくれただけで、充分じゃない)

 心の中で結論づけて恋心に鍵をして。アテナイエは優雅に笑った。

————

 その日からアテナイエはテセウスの出る夜会には必ず出るようにした。その際は自慢の友人たちを紹介するようにした。けれど、その令嬢たちにテセウスは穏やかに挨拶するだけ。
 今日のテセウス主催の夜会では才媛と名高い侯爵令嬢まで紹介したと言うのに、今回も反応は今ひとつだった。

「……テセウス様は、どのようなご令嬢がお好みですの?」
「親子ほど歳の違うご令嬢に手を出すつもりはないさ」

 それはアテナイエ自身のことも拒絶されているようで。
 同時に、彼のそれがミネルヴァを想っている言葉のようにも聞こえて。

「……なら、未亡人がお好みですの?」
「どこで、そんな事を覚えてくるんだか」

 わざとアテナイエが軽口のように言うと、困ったように笑いながら頭を撫でる。その手つきは、温もりは……夢の中と同じで。封じた恋心が暴れそうになる。

 アテナイエは思わず彼から視線を逸らして、花瓶に飾られた花へと目を向けた。

(ルハ草?)

 そこには夜会には珍しく素朴な花が飾られていた。ミネルヴァが好きで……アテナイエも好きな野の花だった。

 幼い頃からミネルヴァの夢を見続けたアテナイエの好みは、かなりミネルヴァに似ている。夢は大抵ミネルヴァの視点で、毎夜のように彼女の感情が流れ込んでくるのだから、仕方もないというものだろう。

「どうかしたか?」
「ルハ草が飾られているなんて、珍しいと思いまして。素朴な野の花ですから」
「確かに珍しいだろうな。……あれは俺の恋人が好きだった花でね。……時々、飾ることにしてるんだ」

 ルハ草を見るテセウスの目は優しくて。今もやはり、彼はミネルヴァを愛しているのだと暗い悦びがアテナイエの胸を重くした。

「……重い話になったな。アテナイエ嬢、リーヴとマトのマリネは好きか? 料理人が今日のマリネは会心の出来だと言ってたのを思い出してな」
「まぁ、大好きです。頂いてきますね!」
 
 それもまたミネルヴァとアテナイエが好きな料理だ。目を輝かせて、いそいそと料理をもらいに行こうとしたアテナイエをテセウスが止める。

「いや、俺が取ってこよう。食べられないものはあるか?」
「……クトパスが苦手です」
「分かった」

(……そういえば、いつもテセウス様主催の夜会は、ミネルヴァの好きなものばかりね)

 花も料理も会場の色も。相変わらず彼女を忘れず、彼自身の周りを彼女の好きなもので満たす。それは、彼がミネルヴァを決して忘れないと宣言しているようで。
 
——それが嬉しいのに、苦しい

 テセウスの側にいることが出来て幸せなのに悲しさが降り積もっていく。

「どうかしたか?」
「テセウス様……いいえ、なんでもありませんわ」

 いつの間にか苦い顔をしていたアテナイエは貼り付けたような笑みを浮かべる。そんな彼女を気遣うように見るテセウスに、アテナイエは何でもないと笑みを深めた。

「お料理ありがとうございます」
「……あぁ。これがリーヴとマトのマリネで、こっちはプチマトとチーズのカプレーゼ、リーブのパスタだ」
「まぁ、どれも美味しそう!」
 
 今度こそ本当に笑顔になってアテナイエは綺麗に盛られた料理から最初にマリネを口にする。

「さすがは料理人の自信作ですわね! このマリネ、とっても美味しいです!」
「……君は本当に食べるのが好きなんだな」

——お前は、ほんとに食べるのが好きだな

 いつか言われた言葉と重なる言葉にアテナイエは驚く。

「どうかしたか?」
「……いえ。……私、そんなに顔に出てしまってます?」
「そうだな。好きなものを前にすると、目の輝きが違う。……これより美味しいマリネが出せるからと言われても、ふらふら着いていかないようにな」

 揶揄うように言われた言葉と、また優しく撫でられた頭に頬が熱を持つ。それと同時に子供扱いされたことに胸が痛い。

(本当に罪作りな方ね……)

「……私、もう子供じゃありませんのよ?」
「そうだな」
 
 優しく笑ったテセウスを見ながら、やっぱり幸せな気持ちになって。……アテナイエは、これを思い出に生きていこうと、決めた。

————

 アテナイエに婚約の話が出たのは、その夜会のすぐ後だった。成人し夜会に出ることが出来るようになったアテナイエの美貌の噂は、都中へとたちまちに広がったらしい。子爵家には不相応な侯爵家からの打診まであった。
 アテナイエの両親は野心のない優しい人で、その中から好きな相手を選んで良いと選ばせてくれた。アテナイエの選んだのは伯爵子息だった。有力な伯爵家の次男である彼は、将来、伯爵家を補佐する立場となるらしい。その際に美しい妻がいた方が、確かに便利なのだろう。

 けれど、そこから不思議なことが起こった。打診してきたのは相手の方だというのに、実際にアテナイエと会うと決まって断られるのだ。会った時の相手たちは、皆、優しかったにも関わらず、だ。

(……私には美貌しかないと、見透かされたのかしら)

 アテナイエは美しいし社交が得意だ。けれど、所詮それだけだと彼女自身は思っていた。それは繰り返し夢見るミネルヴァが、冒険し魔法を使い料理してと、たくさんの技術を持っていたことと比較してしまうからだった。

 婚約者候補は一人減り、二人減り……やがて歳の離れたゼス男爵くらいしかいなくなった。こうなればアテナイエに選ぶ権利はない。テノン子爵家は、どちらかといえば弱小貴族だ。たとえ男爵だろうとアテナイエが結ぶ縁は必要だった。

 粛々と婚約の準備は進められた。

 そんなある日のことだった——テセウスがテノン子爵家を訪れたのは。しかも用事があるのはアレスではなくアテナイエだという。家中が混乱する中、「とにかく、会って参ります」とアテナイエは応接室へと向かう。

「……ごきげんよう、ネルヴァ伯爵様」
「……もうテセウス様とは、呼んでくれないのか?」
「もうすぐ男爵家との婚約が決まる身ですので……」

 他人行儀なアテナイエにテセウスは苛立つような視線を向けた。

「……席払いを頼めるか」

 アテナイエは躊躇った。未婚の女性が、男性と二人きりになるなど醜聞ものだ。けれど同時に、最後に彼と話したいという気持ちも湧き出てくる。少し悩んだ末にアテナイエは口を開いた。

「皆、下がってちょうだい。ゼス男爵様は、こんな私を受け入れて下さるくらい心が優しい方。これくらいの事なら許して下さるでしょう」

 粛々と侍女が下がっていく。扉が閉まると同時にテセウスが口を開く。

「結婚するのか? 俺以外のやつと?」

 アテナイエは驚いてテセウスを見た。

——それではまるで、彼が自分を望んでいるみたいではないか

(そんな都合のいいこと……)

「……君は、俺が気づいてないと思っていたんだな」
「……何に、です?」

 苦く笑ったテセウスにアテナイエの声は引き攣った。それを見てテセウスは笑を消す。
 
「君の中のミネルヴァに」
「……なぜ」
「なぜ? 俺が君に気づかないと思うのか? ……それに、君が言ったんだろう『きっと、すぐ生まれ変わって、貴方を探すから』」
「それ……は……申し訳、ありません……」

——呪いのような言葉で彼を縛って、孤独に生きさせてしまった

 けれどミネルヴァには、そうしないとテセウスが彼女の後を追うという確信があったのだ。

 泣き出しそうになったアテナイエの側へと、テセウスは足早に近寄ると、彼女の頬を優しく撫でた。顔を上げたアテナイエの視線の先には、困ったような顔をした彼がいた。

「君に謝罪して欲しい訳でも、泣かせたい訳でもない。ただ、俺が君に気づいて、君を望んでいたことを知って欲しい」

 それは、かつて望んでいた言葉だった。
 初めて会った時に言われたならば、有無もなく頷いていた言葉。
 けれど今は頷けない。

 嘘をついて頷いてしまいたい気持ちと、これ以上、彼に対して罪を重ねたくない気持ちと。

 結局、勝ったのは、後者だった。
 
「……でも……私は、ミネルヴァじゃ、ありません」

 それは小さく、啜り泣くような声だった。

 アテナイエはミネルヴァの夢を見る。彼女の記憶を、感情を、自由を、毎日のように追想する。けれどアテナイエはアテナイエだ。彼女(ミネルヴァ)と完全に同じではない。同じにはなれなかった。
 
 アテナイエは貴族の娘だ。ミネルヴァのように自由のままに生きることは許されなかった。

(……それが、こんなにも苦しい)

 アテナイエとしての毎日は、決して不幸な日々ではなかった。家族に愛され苦難もなく、安寧な日々に感謝しなければと思う。
 ……けれどミネルヴァのままであったなら、彼女はもっと素直に手を伸ばせただろう。テセウスの言葉に、ただ頷いて抱きしめることが出来た。
 
「それも分かってる。それでも俺は、君に側にいて欲しいと願う」
「……私が、ミネルヴァじゃなくても?」
「あぁ。俺は君に隣にいて欲しい」

 静かに涙を流しているアテナイエをテセウスが抱きしめた。その体を、アテナイエは、おずおずと抱きしめ返す。

 その日からアテナイエは夢を見なくなった。
 その代わりには、愛おしい日々が続いていた。
 
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