【番外編】シャオ・ウェンと男装剣士フェリスの回顧録
――あの日も、雨が降っていた。
数日降り続いた雨に、森は深く濡れていた。
木々の葉から雫が落ち、ぬかるんだ街道を一台の馬車が進んでいく。
車輪が泥を跳ねる音。
蹄が地面を叩く音。
そして、遠くから聞こえる川の轟き。
雨で増水しているのだろう。
街道の先には、深い谷がある。
その谷底を流れる川は、普段なら穏やかなものだったが、ここ数日の雨で濁流と化していた。
――だからこそ、この日が選ばれた。
森の奥。
街道から外れた場所で、シャオ・ウェンは一人、馬車を待っていた。
淡い灰色の長衣に雨粒が落ちる。
やがて、木々の向こうから馬の蹄が聞こえてきた。
ほどなくして、一台の馬車が姿を現す。
速度を落とし、シャオ・ウェンの前で静かに止まった。
御者台の男と目が合う。
男は無言のまま、小さく頷いた。
やがて扉が開いた。
最初に降りてきたのは、ルヴェール伯爵だった。
その表情は、いつになく硬い。
そして――。
その後ろから、一人の少女が姿を現した。
雨の薄明かりの中でも目を引く、灰銀の髪。
まだ少女の面影を残した顔。
シャオ・ウェンの姿を見つけると、淡紫の瞳がわずかに揺れた。
「……シャオ・ウェン様」
聞き慣れた呼び方だった。
伯爵家を訪れるたび、珍しい薬草や東方の品を見つけては、飽きることなく質問を重ねてきた少女。
だが。
今日の彼女は、何も尋ねなかった。
シャオ・ウェンは静かに彼女を見つめる。
「お久しぶりです。セレスティアお嬢様」
少女は小さく頷いた。
その横で、ルヴェール伯爵が一度だけ目を閉じる。
そして。
「……この子を頼む」
低い声だった。
短い言葉に込められたものを、シャオ・ウェンは問わなかった。
「承知しました」
それだけを返す。
伯爵の視線が、娘へ向けられた。
これから先。
彼女は、この馬車には戻らない。
この道を引き返すこともない。
今日を境に――。
セレスティア・ルヴェールは、死ぬ。
数日降り続いた雨に、森は深く濡れていた。
木々の葉から雫が落ち、ぬかるんだ街道を一台の馬車が進んでいく。
車輪が泥を跳ねる音。
蹄が地面を叩く音。
そして、遠くから聞こえる川の轟き。
雨で増水しているのだろう。
街道の先には、深い谷がある。
その谷底を流れる川は、普段なら穏やかなものだったが、ここ数日の雨で濁流と化していた。
――だからこそ、この日が選ばれた。
森の奥。
街道から外れた場所で、シャオ・ウェンは一人、馬車を待っていた。
淡い灰色の長衣に雨粒が落ちる。
やがて、木々の向こうから馬の蹄が聞こえてきた。
ほどなくして、一台の馬車が姿を現す。
速度を落とし、シャオ・ウェンの前で静かに止まった。
御者台の男と目が合う。
男は無言のまま、小さく頷いた。
やがて扉が開いた。
最初に降りてきたのは、ルヴェール伯爵だった。
その表情は、いつになく硬い。
そして――。
その後ろから、一人の少女が姿を現した。
雨の薄明かりの中でも目を引く、灰銀の髪。
まだ少女の面影を残した顔。
シャオ・ウェンの姿を見つけると、淡紫の瞳がわずかに揺れた。
「……シャオ・ウェン様」
聞き慣れた呼び方だった。
伯爵家を訪れるたび、珍しい薬草や東方の品を見つけては、飽きることなく質問を重ねてきた少女。
だが。
今日の彼女は、何も尋ねなかった。
シャオ・ウェンは静かに彼女を見つめる。
「お久しぶりです。セレスティアお嬢様」
少女は小さく頷いた。
その横で、ルヴェール伯爵が一度だけ目を閉じる。
そして。
「……この子を頼む」
低い声だった。
短い言葉に込められたものを、シャオ・ウェンは問わなかった。
「承知しました」
それだけを返す。
伯爵の視線が、娘へ向けられた。
これから先。
彼女は、この馬車には戻らない。
この道を引き返すこともない。
今日を境に――。
セレスティア・ルヴェールは、死ぬ。

