雪の国の生贄花嫁

第11話

 桜来はあやかしを背に庇ったまま、ハクと向き合っていた。

 あやかしたちを拘束する淡い光は、今にも千切れそうに明滅している。ハクは呪紋に覆われた腕を掲げ、残された神力で拘束を維持していた。

「お願いします。この者たちを治療させてください」

「それは先ほども聞いた」

「では、認めてくださいますか?」

「治療と言っても、その薬があやかしに効く保証はない」

「その通りでございます。ですが、ムクに効いた薬を試すことはできます」

 ムクも桜来の言葉を後押しするように、ハクを見上げた。

「ぼくは楽になったよ。身体の熱も、傷の痛いのも少しずつ消えた」

 しかし、ハクの視線は拘束されたあやかしたちへ向けられたままだった。

「こいつらの穢れは、お前のときより深い」

「同じように治せるとは限りません。それでも、高熱と痛みだけでも抑えられれば、正気を取り戻す可能性があります」

「……どれほどの時間が必要だ」

「煎じる時間はありません。雪解け水で薬草をすり潰し、傷へ直接使います」

 拘束されたあやかしの爪が雪を掻く音だけが、短い沈黙を埋める。

 ハクは桜来の顔を見据え、退く意思がないことを確かめるように目を細めた。

「……一度だけだ」

「ありがとうございます」

「礼を言うな。治療に失敗し、再び襲いかかるなら、次は我が始末する」

「承知しました」

「ただし、我の手が届く場所から離れるな」

 あやかしたちから距離を保ったまま、桜来は持参した薬草を雪の上へ並べる。

 ハクは桜来のすぐ横に立ち、片腕をあやかしたちへ向け続けていた。

「桜来、どの薬草を使うの?」

「ムクを治療したときに使ったものと、先ほど森で見つけた霊草を使います」

「霊草って、黒く枯れていたもの?」

「枯れていたとしてもすべてが使えなくなったわけではありません。根元にわずかに力が残っているものがあります」

「そなたは穢れに侵された薬草を治療に使うつもりか?」

「侵された部分は使いません。残っている部分だけを選びます」

「見誤れば、薬ではなく毒になる」

「分かっています。だから、私が確かめます」

 桜来は霊草を一本ずつ手に取り、根元の色と香りを確かめていく。黒く変色した部分を避け、力の残っている箇所だけを選り分ける。茎を折って断面を確かめ、濁りのない部分だけを薬入れの蓋に載せた。

「ぼくになにかできる?」

「雪解け水を集めてください。ただし、黒い穢れが混じっていない雪を選んでくださいね」

「うん。白いところだけだね」

「ムク、遠くへ行くな」

 ムクは桜来から受け取った器を持ち、三人から離れすぎない場所で雪を集めはじめる。

「分かってるよ」

 桜来は選別した薬草と霊草を合わせ、少量の雪解け水を加えてすり潰す。すり潰すほどに薬草の青い香りが強まり、淀んだ空気の中へ広がった。

 葉と根が滑らかな状態になるまで潰し、傷へ塗れる硬さへ整えていく。熱を下げる薬草と痛みを和らげる霊草が、濃い緑色の薬へと変わっていった。

 急ぐほど指先に力が入り、冷えた手が強張る。

「ハク様、もう少しだけ彼らの動きを止めていてください」

「承知した。だが、そう長くはもたない」

「できるだけ急ぎます」

「急ぐことと、雑にすることを同じにするなよ」

「はい、心得ております」

「桜来、できた?」

「はい。まずは一体に試します」

 桜来は作った薬を持ち、最も近くに拘束された獣型のあやかしへと歩み寄る。桜来が一歩踏み出すと、ハクも並ぶように位置を変えた。

「そなたが近づけば暴れるぞ」

「ムクのときも、痛みで触れられることを嫌がりました」

「ぼく、桜来に噛みつきそうになった?」

「噛みつきそうではなく、お前はこの娘の手に噛みついていたぞ」

 桜来の手には、薄く残った小さな歯形があった。ムクの視線が桜来の手へと移り、白い兎耳が申し訳なさそうに伏せられた。

「ほんの少しだけです」

「ごめんなさい……」

「苦しかったのでしょう。謝る必要はありません」

「話している暇があるなら始めろ」

「では、傷の状態を確認します。黒い筋が傷口から広がっています。こちらを押さえていただけますか?」

 桜来はあやかしの前脚にある傷へ目を凝らす。毛を掻き分けると、傷口を起点に黒い筋が胴へ向かって伸びていた。

 桜来は薬を持たないほうの手で、黒い筋の広がりを慎重に確かめた。あやかしが脚を引こうとしたため、桜来はハクへ押さえる場所を示す。

「どこだ」

「前脚です。強く押さえすぎないでください」

「注文が多い」

「骨を傷めれば、穢れを抑えても歩けなくなってしまいます」

「……分かった」

 ハクに押さえられても、あやかしは前脚を激しく動かして抵抗した。そばで見守っていたムクが、不安そうに声を上げる。

「すごく暴れてるよ」

「痛むのでしょう。大丈夫です。すぐに終わります」

「あやかしではなく、自分の手元を見ろ」

「見ています」

「ならば、その牙から離れろ」

「傷を確認するには、この距離が必要です」

「そなたは命を危険にさらさなければ治療できぬのか」

「危険を減らすために、ハク様に押さえていただいております」

「そなた……口だけは達者だな」

 桜来は傷口の汚れを雪解け水で拭い、すり潰した薬を薄く塗り広げた。

 あやかしの様子を見守っていたムクが、わずかな変化に気づいた。

「うなり声が小さくなってきたよ」

 桜来はあやかしの身体へ触れ、熱の変化を確かめる。

「そうですね。身体の熱も、先ほどより下がっています」

 ハクは黒い筋が残る身体へ目を向けた。

「だが、まだ穢れは残っている」

「はい。穢れは消えていません。薬で熱と痛みを抑えているだけです」

「でも、目がさっきと違うよ」

 治療を受けたあやかしの濁っていた瞳が、ゆっくりとムクを捉えた。

「……ム、ク……?」

 自分の名を呼ばれ、ムクがあやかしの傍へ寄る。

「ぼくだよ。分かるの?」

 あやかしは苦しそうに息を吐きながら、途切れ途切れに声を絞り出した。

「逃げろ……森が……黒く……」

「無理をして話さないでください。今は身体を休めることが先決です」

「正気に戻ったようだな」

「この正気は、一時的なものかもしれません。今のうちに他の者にも同じ処置をします」

「そなたひとりですべてのあやかしを診るつもりか?」

「私に今できることを行います」

「できるかではない。終わるまで、そなたの身体がもつのかと聞いている」

「それは私には分かりません」

「……勝手にしろ」

 桜来は残る薬を分け、一体ずつ傷の状態を確認していく。

 一体の処置を終えると、桜来は次のあやかしへと移る。

 薬が足りなくならないよう量を調整しながら、同じ処置を繰り返した。

 最後の一体へ薬を塗り終える頃には、激しかったうなり声の大半が消えていた。

 ハクは桜来の移動に合わせ、常にあやかしの牙と彼女の間に身体を入れていた。

 あやかしが暴れるたび、ハクは呪紋の痛みに耐えながら押さえ込んだ。

 ハクの呼吸は次第に重くなったが、一度も桜来のそばを離れようとはしなかった。

 ムクは薬と雪解け水を小さな身体で運び、桜来を手伝った。

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