恋と喧嘩は支社の華~お局OLはイケメン上司になびかない
コーヒーを淹れながら、好波は自分の気持ちを落ち着けようとしていた。
ときどき、相手に気づかれないようにさりげなく、的場の姿を視界に入れてみる。
その度、普段なら自分がくつろいでいる空間に彼がいる違和感を抱いた。
――ああ、どうしてこんなことに……。
後悔が胸を突く。どこで選択を間違ってしまったのだろう、と過ぎ去った数時間に想いを馳せた。
――舞ちゃんと一緒に、帰ればよかった。……いや、三谷くんをホテルに運んだ後、すぐ走ればよかったんだ。私がぼんやりしてたから、的場さんも慌てて一緒に走ったんだろうし……あの周辺だったら、ホテルだってネカフェだって24時間営業のお店だってあるんだから、的場さんをうちに上げるなんて話には――
カップに注いだお湯が溢れそうになっていることに気づいて、はっと手を止める。
インスタントが故にすぐに準備が整ってしまったことが恨めしく思えた。
諦めてコップ二つを手に的場の方へ歩く。一つを的場の座った椅子とセットの食卓に置くと、自分はカップを持ったまま床上のクッションに座った。
「……何でそこ?」
「椅子、一つしかないので」
淡々と答える口調は、日頃職場で利くものと変わらないはずだ。視線を合わせないことも、まあ、日頃と同じ。……はず。
「ずいぶん遠いな」
的場が笑いつつコップを口に運ぶ。その笑い方はいつもの意地悪なそれではなく、穏やかに感じて好波を混乱させる。
すらりと長い指が持ち手に触れる様は、やたらと色っぽく見えた。
このくらいの距離があって正解だ。この男の前で気を抜いてはいけない。
好波の理性だか本能だかがそう言っている。
好波はコーヒーを口に含んだ。
「じゃ、俺もそっちに行こ」
ひょいと立ち上がった的場は、好波がカップから口を離し終える前に前に座っていた。驚いて手元が揺れ、危うくなみなみと注いだコーヒーをこぼしかける。
的場が笑った。
「なんだよ、そんなに俺が近くにいたら嫌か?」
「いや……そういう……わけでは……」
いいとか、嫌とかいう話ではない。
好波は正直、混乱していた。
これが、今まで見ていた仕事上の顔だけしか知らなければ、「近づかないでください」と邪険に扱うこともできたのだが、飲み会で垣間見た面倒見の良さが、いい意味での意外性を感じさせて好波を動揺させている。
好波が視線を泳がせるのを気にせず、的場は笑った。
「嫌じゃないならよかった」
晴れやかな笑顔はやや少年じみている。好波は動揺を押し隠そうと、口元を両手で持ったコップで隠した。
静かな目で、的場が好波を見てくる。優しく穏やかな沈黙が、逆に好波を焦らせた。
「あっ、あのっ、本社の田ノ倉って知ってます?」
何か話題をと思って口にした好波の声は上擦った。秀一が不思議そうにまばたきをする。
色素の薄い丸い目にとらえられ、好波はふと、小山内が言った「犬系」という言葉を思い出した。
「ああ、田ノ倉くんね。知ってるよ」
「あ、あいつ、私と同期なんですけど」
「そうなの? 初めて知った」
的場はさして興味なさそうにあいづちを打った。そのまま会話が終わりそうな気配を察して、好波は言葉を継ぐ。
「し、知ってます? ゴールデンウィーク明けの日曜が結婚式で。二次会に呼ばれてるんですけど、そんな繁忙期どうなるか分かんないよ、って出席保留にしてて」
「……ふぅん」
「もう少し時期考えろーって感じですよね。でもまあ、仕方ないか。私たちの仕事、気候のいい時期はだいたい忙しいし――」
息を吸う間も惜しいように話し続けた好波は、静かに自分を見据える的場の目に気づいて言葉を止めた。
茶化すような気配も穏やかさもない、ただただ冷静な目は、またしても今まで見たことのない種類のものだ。
「す、すみません、あんまり興味なかったですか――」
うろたえてうつむいた好波の髪が、さらり、と顔の前に流れてくる。それが視界を遮ってくれたことを喜んだのもつかの間、そのひと房を優しくすくいあげたのは的場の長い指だった。
「……綺麗な髪だね」
払われた髪の向こうから、茶色い目が好波を見つめてくる。
好波の息が詰まった。
「……あの」
「わざわざ他の男の話して、気ィ引いてんの?」
的場の口の端が意地悪そうに引きあがる。好波は慌てた。
「そ、そんなつもりは。ただ、後輩として」
「後輩として?」
的場の顔は笑っていたが、その目に感情は見えなかった。
好波はうろたえて口をつむぐ。
「……そんなに、女としての自信がない?」
囁くような声は色気を帯びている。
嫌な予感が、好波の胸をざわつかせた。
「な、なんで、そんな話に――」
「いやぁ? なーんか、いっつもそういう話を避けるから。トラウマでもあんのかなーと思って」
――なんでそんなこと、あなたに話さなきゃいけないの!
カッと、身体が熱くなった。同時に、これは挑発だ、と好波は自分に警告する。
乗ってはいけない。乗ったら、この男の思うツボだ。
「……もしかして、俺に惚れそうで怖い?」
的場は口元に余裕ありげな笑みを浮かべている。好波はどうにか笑った。
「そんなこと、あるわけ――」
「ないならさ」
好波の言葉を遮り、的場の整った顔が、ゆっくりと近づいてくる。
その顔が視界に入りきらなくなり、互いの吐息を感じた
「……試してみようか?」
的場の言葉に、好波は逆らえなかった。
ときどき、相手に気づかれないようにさりげなく、的場の姿を視界に入れてみる。
その度、普段なら自分がくつろいでいる空間に彼がいる違和感を抱いた。
――ああ、どうしてこんなことに……。
後悔が胸を突く。どこで選択を間違ってしまったのだろう、と過ぎ去った数時間に想いを馳せた。
――舞ちゃんと一緒に、帰ればよかった。……いや、三谷くんをホテルに運んだ後、すぐ走ればよかったんだ。私がぼんやりしてたから、的場さんも慌てて一緒に走ったんだろうし……あの周辺だったら、ホテルだってネカフェだって24時間営業のお店だってあるんだから、的場さんをうちに上げるなんて話には――
カップに注いだお湯が溢れそうになっていることに気づいて、はっと手を止める。
インスタントが故にすぐに準備が整ってしまったことが恨めしく思えた。
諦めてコップ二つを手に的場の方へ歩く。一つを的場の座った椅子とセットの食卓に置くと、自分はカップを持ったまま床上のクッションに座った。
「……何でそこ?」
「椅子、一つしかないので」
淡々と答える口調は、日頃職場で利くものと変わらないはずだ。視線を合わせないことも、まあ、日頃と同じ。……はず。
「ずいぶん遠いな」
的場が笑いつつコップを口に運ぶ。その笑い方はいつもの意地悪なそれではなく、穏やかに感じて好波を混乱させる。
すらりと長い指が持ち手に触れる様は、やたらと色っぽく見えた。
このくらいの距離があって正解だ。この男の前で気を抜いてはいけない。
好波の理性だか本能だかがそう言っている。
好波はコーヒーを口に含んだ。
「じゃ、俺もそっちに行こ」
ひょいと立ち上がった的場は、好波がカップから口を離し終える前に前に座っていた。驚いて手元が揺れ、危うくなみなみと注いだコーヒーをこぼしかける。
的場が笑った。
「なんだよ、そんなに俺が近くにいたら嫌か?」
「いや……そういう……わけでは……」
いいとか、嫌とかいう話ではない。
好波は正直、混乱していた。
これが、今まで見ていた仕事上の顔だけしか知らなければ、「近づかないでください」と邪険に扱うこともできたのだが、飲み会で垣間見た面倒見の良さが、いい意味での意外性を感じさせて好波を動揺させている。
好波が視線を泳がせるのを気にせず、的場は笑った。
「嫌じゃないならよかった」
晴れやかな笑顔はやや少年じみている。好波は動揺を押し隠そうと、口元を両手で持ったコップで隠した。
静かな目で、的場が好波を見てくる。優しく穏やかな沈黙が、逆に好波を焦らせた。
「あっ、あのっ、本社の田ノ倉って知ってます?」
何か話題をと思って口にした好波の声は上擦った。秀一が不思議そうにまばたきをする。
色素の薄い丸い目にとらえられ、好波はふと、小山内が言った「犬系」という言葉を思い出した。
「ああ、田ノ倉くんね。知ってるよ」
「あ、あいつ、私と同期なんですけど」
「そうなの? 初めて知った」
的場はさして興味なさそうにあいづちを打った。そのまま会話が終わりそうな気配を察して、好波は言葉を継ぐ。
「し、知ってます? ゴールデンウィーク明けの日曜が結婚式で。二次会に呼ばれてるんですけど、そんな繁忙期どうなるか分かんないよ、って出席保留にしてて」
「……ふぅん」
「もう少し時期考えろーって感じですよね。でもまあ、仕方ないか。私たちの仕事、気候のいい時期はだいたい忙しいし――」
息を吸う間も惜しいように話し続けた好波は、静かに自分を見据える的場の目に気づいて言葉を止めた。
茶化すような気配も穏やかさもない、ただただ冷静な目は、またしても今まで見たことのない種類のものだ。
「す、すみません、あんまり興味なかったですか――」
うろたえてうつむいた好波の髪が、さらり、と顔の前に流れてくる。それが視界を遮ってくれたことを喜んだのもつかの間、そのひと房を優しくすくいあげたのは的場の長い指だった。
「……綺麗な髪だね」
払われた髪の向こうから、茶色い目が好波を見つめてくる。
好波の息が詰まった。
「……あの」
「わざわざ他の男の話して、気ィ引いてんの?」
的場の口の端が意地悪そうに引きあがる。好波は慌てた。
「そ、そんなつもりは。ただ、後輩として」
「後輩として?」
的場の顔は笑っていたが、その目に感情は見えなかった。
好波はうろたえて口をつむぐ。
「……そんなに、女としての自信がない?」
囁くような声は色気を帯びている。
嫌な予感が、好波の胸をざわつかせた。
「な、なんで、そんな話に――」
「いやぁ? なーんか、いっつもそういう話を避けるから。トラウマでもあんのかなーと思って」
――なんでそんなこと、あなたに話さなきゃいけないの!
カッと、身体が熱くなった。同時に、これは挑発だ、と好波は自分に警告する。
乗ってはいけない。乗ったら、この男の思うツボだ。
「……もしかして、俺に惚れそうで怖い?」
的場は口元に余裕ありげな笑みを浮かべている。好波はどうにか笑った。
「そんなこと、あるわけ――」
「ないならさ」
好波の言葉を遮り、的場の整った顔が、ゆっくりと近づいてくる。
その顔が視界に入りきらなくなり、互いの吐息を感じた
「……試してみようか?」
的場の言葉に、好波は逆らえなかった。