恋と喧嘩は支社の華~お局OLはイケメン上司になびかない
第2章 ゴールデンウィークに待つビッグウェーブ
翌朝、出勤する好波の足取りは重かった。
ちなみに的場はといえば、頑としてベッドを使うことなく、リビングにマットを引いて眠り、朝になると始発電車の時間に合わせて家を出た。
その物音で好波も起き、朝食を用意するか尋ねたが、不要と一蹴されてしまった。
「俺が出たらもうひと眠りしとけよ。寝不足で使い物にならないと困る」と上から目線で言われて、なんとなくイラッとしながらも少しの間おとなしくベッドで横になっていたのだが。
足を運びながら、思わずため息が漏れる。
泊まる場所がなくなった上司を、家に泊めた。
ーーだけならまだしも。
就職してからすっかり仕事一辺倒の生活をしていた好波に、あの濃厚なキスは刺激が強すぎた。
加えて、本気なのか冗談なのか分からないトーンで囁かれた台詞ーー「今度は二人でベッド」という言葉が、頭をぐるぐる回っている。
もちろん、「今度」があるわけもない。
あっては、困る。
そう分かってはいるのだが、今日顔を合わせてどんな態度を取るべきなのか、悩ましかった。
好波は、職場の人と男女の関係にはなりたくない。
今までの経験上、同じコミュニティにいる男と親密になるのはトラブルの元だからだ。
大学のサークルで女のひがみを買ったときに充分に懲りた上、本社勤めのときにも、同期である田ノ倉たちと飲みに行っていただけで妙な噂がたち、不愉快な思いをした。
損なことに、好波はどうも、なにかと悪目立ちしてしまうたちらしい。それならば極力トラブルがないよう、異性との関係については特に気をつけなくてはーーと、思っているのに、どうして的場はいちいち近づいてくるのか。
「はぁ……」
「あ、岩瀬さぁん、ちょっと待ってくださーい」
一階で開いたエレベーターに乗り込んだ好波は、間延びした声に振り向いた。
そこには後輩の三谷が手を振り振り、片足をかばうようにひょこひょこしながらやって来る。
「あー、よかった。ありがとうございます」
三谷がエレベーターに乗り込んだことを確認して、「閉」ボタンを押した。
「三谷くん、足どうかしたの?」
問うと、三谷は苦笑した。
「いや、実は朝方ちょっとつまずいて……あっ、てか、昨日、すみません。岩瀬さんもホテルまでついて来てくれたから、お礼しとけ、って的場さんから聞きました」
「ああ、いや……それは、別にいいけど」
「的場さん、結構面倒見いいっすよねー。今日も朝電話くれたんですよ。的場さんのモーニングコール、貴重っすよね。同期の女子に言ったら羨ましがられそー」
三谷の軽口に適当なあいづちを打ちながら、好波の胸中を嫌な予感が漂う。
昨夜、「出陣式」などと意気込んでいたが、ゴールデンウイークのイベント当日までこの足だとしたら、仕事できるのだろうか。
「三谷くん……一応、職場ついたら足見せて? 腫れてるかもしれないし」
「え、大丈夫っすよー。だって一応歩けてるし」
「でも……ほら、悪化したら困るじゃない?」
ゴールデンウイークまではあと一週間を切っている。ドジなところがある三谷とはいえ、一応は現場での戦力だ。
イベントごとは当日何がどうなるか分からない。いざというときに動ける人間は多い方がいいーー
三谷は少し首を傾げたあとで頷き返した。
***
「うっわ、超腫れてるじゃん」
やたらと低い声で言ったのは小山内だ。
好波の背中を嫌な汗が伝う。
椅子に座って膝上に足を乗せた三谷も、青紫色に晴れ上がった足首を見て、さすがにぎょっとしたようだ。
困ったように頭の後ろに手を当てた。
「あれ……? さっきはこんなじゃなかったんだけどな……」
「つまずいたってレベルじゃないじゃない。どっかぶつけたの?」
「えへへ、えーと……」
三谷は何かをごまかそうというような作り笑いで言った。
「朝シャワー浴びた後でつるんと滑って、水道のカドのとこに思いっきりガツンと……」
「それでこれ? 痛そー」
さすがの小山内も同情の目を向けている。動きを止めた好波の後ろから覗き込んだ長島が、心配そうな顔をした。
「ほんと、ひどい怪我。病院行った方がいいんじゃない?」
「いや、でも……」
三谷が口を開きかけたとき、ドアが開いて暗色のスーツ姿が見えた。
好波の心臓がドキッと高鳴る。
「何やってんだ?」
今朝も聞いた上司の声は、当然ながら職場仕様だ。
中に入ってきた的場は、「おはよう」と声をかけつつ囲まれた三谷の方へ近づいてきた。
好波の横を通った髪から、シャンプーの香りがして、またどきりとする。
「うわーお前これ、何したの」
「すってんころりん、でした」
「寝ぼけてたんだろ。それか酒抜けてなかったか」
「うぅ、すみません……」
軽口を交わし合いながら三谷の前まで来た的場は、しばらく足を観察してから腕組みした。
「骨、いってるんじゃねぇの? 病院行くぞ。連れてってやるから」
「えっ、でも」
「遠慮すんな。俺、今日車だから」
言うやマネージャーである宇津木の方を振り向いて、「いいですよね?」と確認を取る。
宇津木は苦笑を浮かべて頷いた。
「そうだな、甘えとけ。無理して悪化しちゃ困る」
「……ありがとうございます」
三谷は心底申し訳なさそうに頭を下げた。
的場はそれを見て頷くと、三谷に向き直る。
「今日、打ち合わせとか予定入ってたっけ?」
「俺ですか? 午後に一件……」
言いかけた三谷の言葉を、好波が遮った。
「大丈夫です。最初から私も同席している案件なので、とりあえず私が引き受けます」
「ああ、助かる。そうしてくれ」
目を上げた的場が好波を見て頷く。三谷が申し訳なさそうに肩を落とした。
「すみません……」
「仕方ないだろう。さっさと準備しろ」
すっかり意気消沈した三谷の頭を軽く小突いて、的場は好波を見やる。
会うまではどうしたものかと思っていたが、思わぬハプニングで何もなく流れそうだ。
好波は内心ほっとしながら的場の視線を受け止めた。
「じゃあ、岩瀬。悪いけど、頼む。何かあったら電話かメールをくれ」
「分かりました」
好波の答えに頷き返すと、的場は自分のバッグと三谷のバッグを手にした。
「行くぞ、三谷」
「はい、すみません」
「あ、鞄私持ちますよー」
その上三谷に肩を貸す的場を見て、小山内が気をきかせて言う。的場はバッグを小山内に渡した。
「じゃあ、行ってらっしゃい」
「よろしくお願いします」
「的場。診断結果分かったら連絡な」
「了解です」
宇津木に答え、三谷に歩調を合わせてオフィスを出ていく。三谷に肩を貸すのは、背の高い的場には窮屈そうだったが、文句も言わずに去っていった。
パタンとドアが閉まったとき、宇津木がやれやれとため息をつく。
それを聞いて、長島が苦笑した。
「何もないといいですね」
「そうだねぇ」
宇津木がちらりと好波を見てきた。
好波は上司の意図を察して苦笑を返す。
「何かあっても、やるしかないですから」
「さっすが。心強いねぇ」
「好波ちゃん、無理しちゃだめよ」
口々に言う宇津木と長島に微笑み返して、好波はデスクに向かった。
ちなみに的場はといえば、頑としてベッドを使うことなく、リビングにマットを引いて眠り、朝になると始発電車の時間に合わせて家を出た。
その物音で好波も起き、朝食を用意するか尋ねたが、不要と一蹴されてしまった。
「俺が出たらもうひと眠りしとけよ。寝不足で使い物にならないと困る」と上から目線で言われて、なんとなくイラッとしながらも少しの間おとなしくベッドで横になっていたのだが。
足を運びながら、思わずため息が漏れる。
泊まる場所がなくなった上司を、家に泊めた。
ーーだけならまだしも。
就職してからすっかり仕事一辺倒の生活をしていた好波に、あの濃厚なキスは刺激が強すぎた。
加えて、本気なのか冗談なのか分からないトーンで囁かれた台詞ーー「今度は二人でベッド」という言葉が、頭をぐるぐる回っている。
もちろん、「今度」があるわけもない。
あっては、困る。
そう分かってはいるのだが、今日顔を合わせてどんな態度を取るべきなのか、悩ましかった。
好波は、職場の人と男女の関係にはなりたくない。
今までの経験上、同じコミュニティにいる男と親密になるのはトラブルの元だからだ。
大学のサークルで女のひがみを買ったときに充分に懲りた上、本社勤めのときにも、同期である田ノ倉たちと飲みに行っていただけで妙な噂がたち、不愉快な思いをした。
損なことに、好波はどうも、なにかと悪目立ちしてしまうたちらしい。それならば極力トラブルがないよう、異性との関係については特に気をつけなくてはーーと、思っているのに、どうして的場はいちいち近づいてくるのか。
「はぁ……」
「あ、岩瀬さぁん、ちょっと待ってくださーい」
一階で開いたエレベーターに乗り込んだ好波は、間延びした声に振り向いた。
そこには後輩の三谷が手を振り振り、片足をかばうようにひょこひょこしながらやって来る。
「あー、よかった。ありがとうございます」
三谷がエレベーターに乗り込んだことを確認して、「閉」ボタンを押した。
「三谷くん、足どうかしたの?」
問うと、三谷は苦笑した。
「いや、実は朝方ちょっとつまずいて……あっ、てか、昨日、すみません。岩瀬さんもホテルまでついて来てくれたから、お礼しとけ、って的場さんから聞きました」
「ああ、いや……それは、別にいいけど」
「的場さん、結構面倒見いいっすよねー。今日も朝電話くれたんですよ。的場さんのモーニングコール、貴重っすよね。同期の女子に言ったら羨ましがられそー」
三谷の軽口に適当なあいづちを打ちながら、好波の胸中を嫌な予感が漂う。
昨夜、「出陣式」などと意気込んでいたが、ゴールデンウイークのイベント当日までこの足だとしたら、仕事できるのだろうか。
「三谷くん……一応、職場ついたら足見せて? 腫れてるかもしれないし」
「え、大丈夫っすよー。だって一応歩けてるし」
「でも……ほら、悪化したら困るじゃない?」
ゴールデンウイークまではあと一週間を切っている。ドジなところがある三谷とはいえ、一応は現場での戦力だ。
イベントごとは当日何がどうなるか分からない。いざというときに動ける人間は多い方がいいーー
三谷は少し首を傾げたあとで頷き返した。
***
「うっわ、超腫れてるじゃん」
やたらと低い声で言ったのは小山内だ。
好波の背中を嫌な汗が伝う。
椅子に座って膝上に足を乗せた三谷も、青紫色に晴れ上がった足首を見て、さすがにぎょっとしたようだ。
困ったように頭の後ろに手を当てた。
「あれ……? さっきはこんなじゃなかったんだけどな……」
「つまずいたってレベルじゃないじゃない。どっかぶつけたの?」
「えへへ、えーと……」
三谷は何かをごまかそうというような作り笑いで言った。
「朝シャワー浴びた後でつるんと滑って、水道のカドのとこに思いっきりガツンと……」
「それでこれ? 痛そー」
さすがの小山内も同情の目を向けている。動きを止めた好波の後ろから覗き込んだ長島が、心配そうな顔をした。
「ほんと、ひどい怪我。病院行った方がいいんじゃない?」
「いや、でも……」
三谷が口を開きかけたとき、ドアが開いて暗色のスーツ姿が見えた。
好波の心臓がドキッと高鳴る。
「何やってんだ?」
今朝も聞いた上司の声は、当然ながら職場仕様だ。
中に入ってきた的場は、「おはよう」と声をかけつつ囲まれた三谷の方へ近づいてきた。
好波の横を通った髪から、シャンプーの香りがして、またどきりとする。
「うわーお前これ、何したの」
「すってんころりん、でした」
「寝ぼけてたんだろ。それか酒抜けてなかったか」
「うぅ、すみません……」
軽口を交わし合いながら三谷の前まで来た的場は、しばらく足を観察してから腕組みした。
「骨、いってるんじゃねぇの? 病院行くぞ。連れてってやるから」
「えっ、でも」
「遠慮すんな。俺、今日車だから」
言うやマネージャーである宇津木の方を振り向いて、「いいですよね?」と確認を取る。
宇津木は苦笑を浮かべて頷いた。
「そうだな、甘えとけ。無理して悪化しちゃ困る」
「……ありがとうございます」
三谷は心底申し訳なさそうに頭を下げた。
的場はそれを見て頷くと、三谷に向き直る。
「今日、打ち合わせとか予定入ってたっけ?」
「俺ですか? 午後に一件……」
言いかけた三谷の言葉を、好波が遮った。
「大丈夫です。最初から私も同席している案件なので、とりあえず私が引き受けます」
「ああ、助かる。そうしてくれ」
目を上げた的場が好波を見て頷く。三谷が申し訳なさそうに肩を落とした。
「すみません……」
「仕方ないだろう。さっさと準備しろ」
すっかり意気消沈した三谷の頭を軽く小突いて、的場は好波を見やる。
会うまではどうしたものかと思っていたが、思わぬハプニングで何もなく流れそうだ。
好波は内心ほっとしながら的場の視線を受け止めた。
「じゃあ、岩瀬。悪いけど、頼む。何かあったら電話かメールをくれ」
「分かりました」
好波の答えに頷き返すと、的場は自分のバッグと三谷のバッグを手にした。
「行くぞ、三谷」
「はい、すみません」
「あ、鞄私持ちますよー」
その上三谷に肩を貸す的場を見て、小山内が気をきかせて言う。的場はバッグを小山内に渡した。
「じゃあ、行ってらっしゃい」
「よろしくお願いします」
「的場。診断結果分かったら連絡な」
「了解です」
宇津木に答え、三谷に歩調を合わせてオフィスを出ていく。三谷に肩を貸すのは、背の高い的場には窮屈そうだったが、文句も言わずに去っていった。
パタンとドアが閉まったとき、宇津木がやれやれとため息をつく。
それを聞いて、長島が苦笑した。
「何もないといいですね」
「そうだねぇ」
宇津木がちらりと好波を見てきた。
好波は上司の意図を察して苦笑を返す。
「何かあっても、やるしかないですから」
「さっすが。心強いねぇ」
「好波ちゃん、無理しちゃだめよ」
口々に言う宇津木と長島に微笑み返して、好波はデスクに向かった。