恋と喧嘩は支社の華~お局OLはイケメン上司になびかない
 翌朝、好波は気合いを入れて出勤した。
 帰宅した時間は結局いつもと変わらなかったものの、車の中での熟睡がよかったのか、それともゆっくり夕飯を食べたからか、多少は疲れが取れている。

「宇津木さん、おはようございます! 今日はこれから百貨店の会場設営に行ってきます。一日仕事になると思いますが、三谷くんが担当していた明日の婚活イベントのポストカードも今日広告会社からクライアントに搬入予定です。広告会社には私が確認しますがーー」
「馬鹿言え。会場設営でバタついて忘れたらどうする。宇津木さんに任せろ」

 始業開始の時間になるなり、宇津木のデスク横に立ち状況報告を始めた好波に、的場からのツッコミが飛ぶ。「え、でも」と戸惑ったが、宇津木が苦笑した。

「そうだな、そうしよう。広告会社はBBデザインだったかな」
「あ、はい。担当者さんの名刺はこれで……」
「うん、名前だけ控えさせてもらうから、それは君が持っておいてくれ。いざとなったら、担当者レベルの話じゃ間に合わない。上の人間に掛け合わなくちゃいけないからな」

 宇津木が穏やかに答える横で、的場がふふんと笑う。
 知らないうちに的場が自分の横に立っていることに気づき、好波はうろたえた。

「宇津木さんはずっとこの支所で所長やってんだ。人脈も関係会社との信頼関係もばっちり。使えるものは使え」
「で、でも……」
「的場に言われてもあんまり嬉しくないが、今は人も少ないからね。午後イチで確認して、君に連絡するよ」
「……了解しました」

 好波は頷き、「よろしくお願いします」と頭を下げる。的場がその頭をぽんと叩いてきびすを返した。

「さーて行くか」
「はい……お願いします」

 的場が機嫌よさそうに言う横で、ややペースを乱された好波が答える。的場は笑った。

「おい、何だよ。俺と出張すんのそんな嫌?」
「もう今さらそんなこと言いませんけど……」
「あ、そう。今さら、ね」

 笑いながら出ていく的場を追いかけ、好波は鞄を手にした。

「じゃあ、すみません。行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃいー」
「舞ちゃんも、明日からがんばってね!」
「ありがとうございます」

 小山内が担当するイベントは明日設営して明後日からスタートになる。フォローできないことが心苦しいが、今回は仕方ない。

「何かあったら連絡して……」
「宇津木さんにな。もしくは俺に。相談相手は岩瀬じゃないぞ」
「的場さんっ」
「お前は自分が無事にゴールデンウイークを越すことを目標にしろ、他人のことを気遣かってる余裕はないだろ」

 そう言われては言い返せない。ぐぬぬと奥歯を噛み締めながら、好波と的場はオフィスを出た。
 エレベーターを待ちながら、好波は的場を睨みつける。

「的場さんっ。舞ちゃんのフォローも私の仕事の内なんです。余計なこと言わないでくださいっ」
「余計じゃねーだろ。目の下にクマ作ってる奴が何を言う」
「えっ」

 好波は慌てて目の下に指先を触れた。やや疲れ気味のようには見えるかもしれないが、今朝化粧をしたときにはクマはなかったはずーー

「なんてな、冗談だ。クライアントの前で疲れた顔すんなよ。ま、分かってるだろうけど」

 的場はそう言って笑い、開いたエレベーターのドアを手で押さえた。好波は言い返そうとしたが、代わりに口から出たのはため息だ。

「……的場さん、職場にいる時間ほとんど同じなのに元気ですね」
「まぁなー。日々鍛えてるし、体力が違うんじゃねぇの」
「はぁー」

 エレベーターで下に向かいながら、好波は半眼を向ける。

「鍛えてる、ですか。毎朝お楽しみだったみたいですもんね」

 言ってから、失言だったと気づいた。的場もすっかり口にしなくなっていたセクハラを、わざわざ思い出させるようなことを言うだなんて。
 的場は驚いたようにまばたきをしてから、ぷっと噴き出した。

「そうだな。また仕事が落ち着いたら楽しませてもらうよ」

 軽口で返されて、好波は唇を引き結んで睨みつける。的場はますます楽しげに笑った。

 ***

 百貨店での会場設営は順調に進んだ。ポップの配置や物産展の出店者の案内は基本的には百貨店員がしているが、好波と的場も適宜アドバイスする。あっという間に午前中が終わり、そのまま作業を続けようとする好波を的場が引っ張った。

「昼入れ。お前が終わったら俺も行く」
「え、でも」
「いいから行け。しっかり休めよ」

 的場は一方的に言うと、自分はフロアに戻った。好波がむっとしてその背を見ていると、とんと肩を叩かれる。振り向いた先に立っていたのは、例のさばけた女性店員、那岐山だ。

「岩瀬さん、お昼行きましょ。私も今から入るから」
「あ、はい……」
「社食でいいかな?」
「はい、ありがとうございます」

 店には従業員用の食堂がある。好波と那岐山はそれぞれ定食を頼むと、机を挟んで座った。

「そうそう。これから始まるってときに何だけど、来週、うちの社員で打ち上げする日が決まったの。もしよければ岩瀬さんと的場さんもどう?」

 好波は言われて戸惑った。

「えっと……いつですか?」
「来週の木曜。あ、もちろん無理にとは言わないから、もしよければで。どうしても遅番の人が上がった後になるから、社員で飲み会するときは9時スタートとかなのよ」
「ああ……そうですね。的場とも相談します」
「うん、よろしく」

 那岐山は茶目っ気のある笑顔で好波を見る。

「ここだけの話、的場さん狙ってる女子社員多くて。だから、先にあなたに言ったの」
「え?」

 戸惑った好波に、那岐山は笑った。

「だって、岩瀬さんと的場さん、いいコンビだったから。もしかしたらオフも一緒に過ごす仲かなー、なんて……」
「や、やめてください」

 好波は慌てて首を振った。確かに、最近急激に距離が近づいた感はあるが、三谷の世話や入院があってのことだ。ほとんど仕事の延長だと思っている。

「違うの? ほんとに? だったら……若い子たちも本気になっちゃうかもね」

 思わせぶりな言い回しに、好波は一瞬言葉を失う。
 ふと、脳裏に小山内の言葉がよぎった。

 ーーその百貨店員さんを狙ってるとかーー

「……那岐山さんは、どうなんですか?」
「え?」
「その……狙ってる、とかは」
「ああ」

 那岐山はカラカラと笑った。「ご心配なく」と手を振ってにっこりする。

「指輪してないけど、婚約してるの。的場さんよりいい男」

 那岐山はぱちりとウインクして、「なぁんてね」とまた笑う。
 好波は「そうですか」と頷きながら、ほっとしている自分に気づいた。

 ***

 午後、ばたついている間に会社から電話が入っていたことに気づき、好波は電話をかけた。

『ああ、よかった。後でもう一度かけようと思ってたんだ』

 ほっとしたような宇津木の声に、なんとなく嫌な予感がする。

「納品は、どういう……?」
『それが、半分印刷したところで機械の調子が悪くなったらしくてね。今、鋭意作成しているところらしいんだが、今日の夜いっぱいかかりそうだ、とのことなんだ』
「えっ!?」

 思わず大きな声を出してしまい、周りの店員が不思議そうに見てくる。好波は口元を手で押さえて壁に向かいながら、話を続けた。

「確かに、最悪明日の朝までに間に合えば……ですけど、ほんとに大丈夫なんですか?」
『うん。もしものときは、費用向こう持ちで他の会社に頼む手配はできてるらしい。だけど、クライアントは今日届くつもりで待ってるんだろう? 間に入っているウチとしても、極力クライアントへの誠意は見せないといけないと思ってる』
「じゃあ……その、印刷が終わってる半分だけでも、搬入を」
『そう聞いてみたんだが、BBデザインも今は手一杯で人が足りないらしくてね。どうも煮え切らない返事しかしてこない』
「じゃ、じゃあ……」

 好波は額を押さえて息を吸い、腕時計を見る。

「分かりました、私が行きます」
『いや、でも俺が……』
「主担当が変わっただけでも、クライアントは心配してるはずです。その上、私が行かなかったらどうしたんだと混乱するかも。明日の準備をスムーズに進めるためにも、先方との信頼は欠かせません」
「なんだ、どうした?」

 後ろから声をかけられ振り向くと、的場が怪訝そうな面持ちで立っていた。好波の様子がおかしいと見に来たのか。

「すみません、的場さん。私、少し外します……明日のクライアントのところに」
「待て待て、落ち着け。状況を説明しろ」

 好波は頷いて、かいつまんで宇津木から聞いた話を伝えた。的場はため息をつきながら頷き、手を出す。

「宇津木さんと繋がってんのか? 貸せ」
「あ、はい……」

 スマホを渡すと、的場は宇津木と話し始めた。

「今できてる分は搬送準備済んでるんですかね? できてないならさせといてください。俺が車出します」
「え?」
「はい。よろしくお願いします」

 的場は電話を切ると好波にスマホを返した。

「えっ、あの、どういう……?」
「行くぞ」

 言って歩き出す。好波は慌てて後ろからついていった。

「どういうつもりです?」
「今から一度外す。俺が車出せば二時間で帰って来れるだろ。それからここの閉店時間まで、まだ二時間ある」
「でもーー」
「那岐山さん、お忙しいところすみません」

 好波の言葉も聞かず、的場は那岐山に声をかける。

「ちょっとハプニングがありまして。二時間ほど外させていただいても大丈夫ですか」
「ああーー」

 那岐山は好波と的場を交互に見ると、微笑んだ。

「閉店前には戻ってきていただけるということね?」
「はい、もちろんです」

 的場はためらうことなく、微笑みすら浮かべて答えた。
 二時間、とは、印刷所に寄ってクライアントに品物を渡し、戻ってくるまでに何もなければ、の見込みだ。道路状況も分からないのにずいぶんなハッタリだが、こちらがうろたえていては相手も心配する。
 好波は的場に倣って微笑み、軽く頭を下げた。

「ご迷惑おかけしますが、お願いします」

 那岐山は「了解」と頷いた。
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