恋と喧嘩は支社の華~お局OLはイケメン上司になびかない
 その後は比較的、大きな問題もなく仕事が進んだ。百貨店の方は基本的に的場に任せ、好波は他の細々としたイベントに集中する。
 広告の納品が直前になった三谷担当の婚活イベントが金土の夜、翌日にはショッピングモールでの子連れイベントの準備。この開催は祝日の月火曜だ。
 と同時にゴールデンウイーク最終日である水曜にも、三谷が担当していた旅行代理店のプロモーションがあり、とにかく濃厚な毎日を過ごしていく。
 どのイベントも、好波にとっては数ある仕事のひとつに過ぎないが、クライアントにとっては年に何度あるか分からない企画だ。だからこそイベント会社に依頼するわけで、どんなに小さなイベントであっても気を抜くことはできない。
 ここで信頼と実績を得れば、リピーターになってもらえるはずだ。

 旅行代理店のイベントの準備を済ませた好波は、帰宅するとスマホに着信が入っていることに気づいた。
 的場からの電話だ。

 百貨店のイベント会場に詰めている的場からは、夜、ある程度の時間になると『経過報告』と命令口調の電話が入るようになった。
 今までなかったことだが、気にかけてくれているらしい。好波は淡々と業務報告をし、的場も百貨店の様子を話してくれる。好波が様子を気にしていると察してくれているのだ。
 そうした業務連絡だけを淡々と交わして、電話を切るのが日課になっていた。
 しばらく顔を合わせていないながらも、そのおかげで的場とは「一緒に仕事をしている」という感覚があった。
 一人ではない。いざというときは、頼れる人がいる。
 綱渡り状態の毎日の中、それが思った以上に励みになるのだと気づいたのは、つい単独プレイに走りがちだった好波にとって大きな収穫かもしれない。
 我が身を振り返りながら、的場に折り返しの電話をかける。

「すみません、帰宅途中で気づきませんでした」
『いや。どうだ、そっちは』
「順調です」
『そうか』

 的場は淡々と頷いて、『明日は天気が崩れるらしいから気をつけろよ』と言った。イベントが成功するかどうかは天候にもおおいに左右されるし、急な気候変化への対応には柔軟性が求められる。好波は頷いてから、ふと気づいた。

「……海にいるんですか?」

 的場の方から、ざざ……と砂を撫でる波の音が聞こえた気がしたのだ。

『よく気づいたな』

 的場は言って、波打際に向けてスマホを掲げたらしい。
 ざざ……とまた、波の音がする。
 好波は目を閉じてその響きを聞いた。

『張り切るのは大切だが、いきりすぎるなよ。じゃあ、また明日』
「はい。お疲れさまです。……おやすみなさい」
『……おやすみ』

 家にいたからか波音を聞いたからか、いつもは口にしない挨拶がこぼれた。的場はふ、と笑ったように感じたが、電話越しの気配だけでは分からない。
 電話を切った後、ひと息つく。

 ーーここまできたら、走りきってやる。

 スマホをちょんと指でたたいて、シャワーを浴びに浴室へ向かった。

 ***

 旅行代理店のプロモーションは、交通量の多い駅前で行われた。
 ゴールデンウイークに旅行できなかった人へ向け、ゴールデンウイーク明けの比較的安価なプランを案内するという目的だ。
 旅行ルポライターのトークショーと同時にブースでの旅行案内なども行う。
 比較的天気に恵まれた連休ではあったが、その日ばかりは的場が言っていたように夕方に天気が崩れるという予報。場合によっては撤収作業を急がなくてはならない。

【どぉ? 来られそう? 無理はしなくていいぞー】

 ゴールデンウィークの合間に、田之倉からはそう連絡があったが、忙しさに任せて返しきれずにいた。
 頭の中には先の予定が詰まっている。
 この仕事が終われば、木曜には百貨店の打ち上げに参加。金曜は午前中に報告書の作成、午後は土曜にホームセンターで行う高齢者向けの健康セミナーの最終確認。そして土曜、夕方までイベントを見た後、田之倉の結婚式の二次会に参加ーー
 無理ではない。かなりカツカツではあるが。
 それでも、孤独感はなかった。的場も宇津木も小山内も、それぞれがそれぞれの場所で仕事に励んでいるのだ。
 好波とて負けてはいられないーーと気を引き締めた。

 イベントは順調に進み、仮設ステージでのメニューは一通り終了した。あとは相談ブースの撤退作業だけだが、少し風が冷たくなってきた上雲行きが怪しい。
 風が強くなってきたのも気掛かりだった。

「そろそろ撤収準備した方がいいかもしれません。雨に降られると作業も危険ですし」
「そうですね」

 クライアントと話しながらも、周囲の状況を一瞥する。今は仮設ステージの撤退作業が進められているところだ。ブースは机を置いている程度でさして撤収に時間はかからないはずだから、ステージの方が終わってからでもいいだろう。
 ーーそう思っていたら、ぽつり、と頭に雫が落ちた気配を感じた。

「……まずいですね、雨が」
「ああ、本当だ」

 クライアントはどこかのんびりしている。

「まあ、ブースも一応仮設テントで覆われてるから大丈夫でしょう」
「それはそうですけど……」

 好波は答えながら、不安を感じていた。

 ステージの撤収を終え、ブースの撤収作業に入ったときには、案の定小雨とはいえ本格的に雨が降りはじめていた。
 元々風が出てきていたから、濡れると体温が奪われていく。

「滑るので気をつけて作業してください! 椅子はこちらにまとめて……」

 現場責任者と共に指示を出していた好波の横で、一人の若いスタッフが「あっ!」と悲鳴を挙げる。
 見やると、手にしていた箱を取り落としたようだ。

「アンケートが……!」

 空に床に舞う白い紙を見て、好波の顔から血の気が引く。
 今回のイベントの効果測定に使うはずのアンケートは、クライアントだけでなく好波にとっても重要なものだ。

「拾って! ーーはやく!」

 慌てて箱を安全なところに置かせ、はいつくばうようにして飛び散った紙をかき集める。
 風に舞う紙は、ひらひらと好波たちを翻弄した。駅へ行き交う人を避け、ぶつかりそうになっては謝りながら、用紙を回収していく。
 目に付いたものを一通り回収し終わる頃には、全身がじっとりと濡れていた。

「あの、すみませんでした!」
「いえ……気をつけて」

 アンケートを渡しながら、スタッフを見やる。
 イベントの規模によっては、好波たちの会社が人員を手配することもある。が、そのスタッフはクライアントの会社の社員かアルバイトであるらしかった。
 そう見てとってわずかに安堵する。
 雨と風、そして薄暗がりの中、アンケートがすべて回収できたと確信は持てない。が、クライアントの内部の人間がしたミスなら、好波側に求責されずに済むだろう。
 そこまで一瞬で計算して息をつく。頭には、宇津木と的場の顔が浮かんでいた。彼らの顔に泥を塗るような仕事はしたくない。

「……では、お疲れさまでした」

 一通りの撤退作業を終えると、好波はどうにか笑顔を取り繕って現場を後にした。
 ずぶ濡れというほどではないが全身がじっとり濡れたままだ。手近な店で着替えを買うことも考えたが、むしろ一刻も早く家に帰りたかった。

 帰宅した好波は、的場の定期連絡に応じる気力もなく、シャワーを浴びて倒れ込むようにベッドに横になった。

 明日は半ば無理矢理的場に突っ込まれた休日だ。それでも、夜は百貨店のイベントの打ち上げがあるので、完全にオフというわけでもない。

 でも……あと、もう少し……

 思う途中で、好波は睡魔に飲まれていった。
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