恋と喧嘩は支社の華~お局OLはイケメン上司になびかない
秀一がインターホンを押しても、しばらく何の反応もなかった。電話口であれだけ辛そうだったことを思えば、玄関まで歩いてくるのも辛いのかもしれない。
買ってきたものをドアにかけて帰るかと迷いつつ、スマホに【着いたぞ】と送る。しばらくすると、ごとごとと物音が聞こえた後にかちゃりと鍵が開く音がした。
秀一はゆっくりとドアを開く。
「……すみません」
玄関の壁に寄りかかるように立った岩瀬は、潤んだ目で秀一を見上げた。
頬は赤く、額にはうっすら汗が光っている。ずっと眠っていたのだろう、部屋の中に充満した寝息や汗の香りが玄関に漂ってきて、秀一は一瞬息を止めた。
……長居は禁物だ。
反応しそうになる本能に気づき、直感的にそう判断して、岩瀬にビニール袋を差し出す。
「これ。プリンとかゼリーとか、適当に見繕ったから、食えるだけ食え」
「あ……はい……ありがとう、ございます……」
受けとろうと差し出された華奢な手を見て、秀一は眉を寄せた。
月給岩瀬からはなにも連絡がなく、何が必要か分からなかったので、かなりの量を買い込んだのだ。
病気でふらついている彼女に運べるとも思えない。
「……俺が運ぶ。上がるぞ」
「え……あ、はい……」
岩瀬はぺたりと壁に背中を張り付け、道を譲った。
秀一はその姿を見ないようにしながら上がり込む。
パジャマ姿の岩瀬を一瞥した瞬間、ブラジャーをつけていないことを察したからだ。
不要とわかっていても、ついそういうことを確認してしまう辺り、男のサガの悲しさか。
「適当に突っ込んでいいか?」
「はい……すみません」
「いいから、座るか眠ってろ」
秀一は言ってから、空腹なのではと思い至って振り向いた。
「何か食えそうなものあるか?」
「え……と」
岩瀬は裸足でぺたぺたと寄ってくる。ためらいがちに秀一を見上げるその目に、比護欲をかきたてる気弱さを見た。
病気で気が弱っているからだろうと分かっていても、日頃とのギャップに心中動揺する。
「ぷりん……要ります」
ぼんやり冷蔵庫を見上げた岩瀬が、たどたどしくつぶやいてプリンに手を伸ばす。
秀一が手を伸ばし、取って渡してやると、岩瀬は冷蔵庫の中と秀一の顔を見比べて、ふにゃりと笑った。
「……いっぱい買ったんですね」
「……何が欲しいとか言わないからだろ」
秀一は渋面を作って目を逸らす。
買ってきたのはプリンにゼリーにカップアイス、スポーツドリンク、うどんやレトルトおかゆに果物の缶詰。風邪のときの定番として挙がるものを一通り揃えたのだ。
「このプリン、結構大きいですね。私、こんなに食べきれないので……一緒に食べませんか」
岩瀬は言って、戸棚からスプーンを2本と皿を出した。秀一は一瞬迷ったが頷き、「俺がやる」と皿に半分盛りつける。
「いただきます」
「どうぞ」
リビングで一人分の距離を開けて座ると、それぞれスプーンを口に運びはじめた。
岩瀬はちまちまと舐めるようにプリンを食べる。秀一はあっという間に食べ終えて、皿を手にしたままあちこちに視線をさ迷わせていたが、話題が思い浮かんで口を開いた。
「……えーと、あれだ。土曜のイベントも俺が変わるから、ゆっくり休め」
「……すみません」
しゅん、と岩瀬が恐縮する。秀一は苦笑した。
「ハードスケジュールだったのに、よく頑張ったよ。もしかして昨日、雨に当たったか?」
「……少し」
スプーンを口にくわえて秀一に送る岩瀬の目線は貴重な上目遣いだ。秀一は動揺を悟られぬよう目を逸らす。
「それにしても、これじゃ田之倉の結婚式も欠席だな」
「ああ……そうでした。連絡しないと……」
「俺がしておこうか?」
田之倉とは本社にいたときに何度か飲みにも行っている。気を利かせたつもりで言うと、岩瀬はゆるゆると首を横に振った。
「そういうのは、自分でちゃんとすべきだと思うので……」
岩瀬はようやくプリンを食べ切り、ほ、と息をついた。
肩にかかった髪と憂鬱そうな表情が、見たこともないほど岩瀬をか弱く見せる。
……冴木だったら食ってるな。
秀一は半ばそう確信して、逆に自分はそうなるものかと決意を固めた。
病気で弱った女を組み敷くなど言語道断だ。
「……あの。打ち上げ、そろそろ行かなくて大丈夫ですか?」
岩瀬に言われて時計を見ると、確かにそろそろ出発した方がよさそうだ。
秀一は頷いて立ち上がった。
「そうだな、そろそろ出るわ。明日、自分で病院行けるか?」
「たぶん、大丈夫です。……食べ物もあるし」
答えながら立ち上がった岩瀬の足元がふらついた。秀一は慌てて手を伸ばす。腕が、下着を身につけていない膨らみに触れた。
ぎくりとしたが、岩瀬はしがみつくように秀一の背中に手を回す。
「……大丈夫か?」
「……大丈夫、です」
答えながらも、岩瀬は秀一の背に手を回したままだ。
岩瀬の体温と柔らかさが、じわり、と秀一に伝わってくる。
よほど心細いのだろうか。
秀一はそっとその肩に手を置いた。
「……岩瀬?」
できるだけ優しく声をかけると、岩瀬は秀一を見上げて口を開きかけ、戸惑うように目を泳がせてうつむいた。そのまま、額を秀一の胸に押し付けて、「少しだけ」と呟く。
……いや、待て。
待ってくれ。
これは……どういう状況だ?
表面上は冷静さを取り繕うが、岩瀬が額を寄せた胸の鼓動がいつもより数割増で速まっているのは取り繕いようがない。岩瀬が気づいていないことを祈りつつ、長いような短いようなその時間を不動で耐えた。
しばらくすると、岩瀬は少し落ち着いたように、秀一の胸をそっと押して離れた。
「……すみません。ありがとうございました」
そう言って、秀一の手から皿とスプーンを手にし、流しに置く。
「洗って行こうか?」
「あとで自分でやります。大丈夫です」
「……でも」
秀一が食い下がろうとしたとき、岩瀬が目を上げた。
「大丈夫です。ありがとうございました」
その声は今日聞いた中で一番ハッキリしていて、秀一はそれ以上言うことができなかった。
岩瀬を置いて家を出、打ち上げに向かった。
***
宴会が始まっても、秀一は落ち着かなかった。見たこともないほど弱った岩瀬の姿が脳裏にちらつく。
「どうかしたのか?」
女性たちをほどよくあしらい、ほどよく構ってやる冴木はすっかり場に溶け込んでいたが、タイミングを見て秀一に声をかけてきた。
何か勘づいたらしい。
「別になんでもない」
「岩瀬さんのこと? 来れなくて残念だったね」
冴木がビールを傾ける。秀一は半眼で冴木を見やった。
「残念だったのはお前だろ」
「うん、まあね。そうだけど」
冴木は軽やかに笑った。涼やかな顔立ちは、笑うと爽やかな愛嬌がある。
こういう顔が好きなんだな、岩瀬は。
そう思うと腹立たしくなって、秀一は目を逸らしながら酒をあおった。
「岩瀬さんといえば、田之倉くんと同期だったね。明日挙式するって話、聞いた?」
「ああ、岩瀬から聞いた」
冴木は「そう」と言ってくつくつ笑った。
「田之倉くん、最初岩瀬さん狙ってたらしくてさ。俺も結構相談聞いてやってたんだけど、全然隙も脈もなくて手が出せないって諦めたら、あっさり結婚相手見つけちゃうんだもんなぁ。……ま、そういうもんなんだろうね」
冴木の言葉に、秀一は一度目を上げ、考えるようにうつむく。
「……挙式、お前は呼ばれてんの?」
「いや、二次会だけ。式は身内だけって言ってたよ。二次会で友達とかを呼ぶって」
「……じゃ、会場とか時間、知ってんだな?」
冴木はきょとんとした後、「知ってるけど」と頷いた。秀一は「よし」と言ってジョッキを煽る。
「会場と時間教えろ。ちょっと俺も、用があるから」
冴木は驚いたようにまばたきして、「まさかウェディングクラッシャーになるとかじゃないよね?」と笑いながらスマホを取り出した。
買ってきたものをドアにかけて帰るかと迷いつつ、スマホに【着いたぞ】と送る。しばらくすると、ごとごとと物音が聞こえた後にかちゃりと鍵が開く音がした。
秀一はゆっくりとドアを開く。
「……すみません」
玄関の壁に寄りかかるように立った岩瀬は、潤んだ目で秀一を見上げた。
頬は赤く、額にはうっすら汗が光っている。ずっと眠っていたのだろう、部屋の中に充満した寝息や汗の香りが玄関に漂ってきて、秀一は一瞬息を止めた。
……長居は禁物だ。
反応しそうになる本能に気づき、直感的にそう判断して、岩瀬にビニール袋を差し出す。
「これ。プリンとかゼリーとか、適当に見繕ったから、食えるだけ食え」
「あ……はい……ありがとう、ございます……」
受けとろうと差し出された華奢な手を見て、秀一は眉を寄せた。
月給岩瀬からはなにも連絡がなく、何が必要か分からなかったので、かなりの量を買い込んだのだ。
病気でふらついている彼女に運べるとも思えない。
「……俺が運ぶ。上がるぞ」
「え……あ、はい……」
岩瀬はぺたりと壁に背中を張り付け、道を譲った。
秀一はその姿を見ないようにしながら上がり込む。
パジャマ姿の岩瀬を一瞥した瞬間、ブラジャーをつけていないことを察したからだ。
不要とわかっていても、ついそういうことを確認してしまう辺り、男のサガの悲しさか。
「適当に突っ込んでいいか?」
「はい……すみません」
「いいから、座るか眠ってろ」
秀一は言ってから、空腹なのではと思い至って振り向いた。
「何か食えそうなものあるか?」
「え……と」
岩瀬は裸足でぺたぺたと寄ってくる。ためらいがちに秀一を見上げるその目に、比護欲をかきたてる気弱さを見た。
病気で気が弱っているからだろうと分かっていても、日頃とのギャップに心中動揺する。
「ぷりん……要ります」
ぼんやり冷蔵庫を見上げた岩瀬が、たどたどしくつぶやいてプリンに手を伸ばす。
秀一が手を伸ばし、取って渡してやると、岩瀬は冷蔵庫の中と秀一の顔を見比べて、ふにゃりと笑った。
「……いっぱい買ったんですね」
「……何が欲しいとか言わないからだろ」
秀一は渋面を作って目を逸らす。
買ってきたのはプリンにゼリーにカップアイス、スポーツドリンク、うどんやレトルトおかゆに果物の缶詰。風邪のときの定番として挙がるものを一通り揃えたのだ。
「このプリン、結構大きいですね。私、こんなに食べきれないので……一緒に食べませんか」
岩瀬は言って、戸棚からスプーンを2本と皿を出した。秀一は一瞬迷ったが頷き、「俺がやる」と皿に半分盛りつける。
「いただきます」
「どうぞ」
リビングで一人分の距離を開けて座ると、それぞれスプーンを口に運びはじめた。
岩瀬はちまちまと舐めるようにプリンを食べる。秀一はあっという間に食べ終えて、皿を手にしたままあちこちに視線をさ迷わせていたが、話題が思い浮かんで口を開いた。
「……えーと、あれだ。土曜のイベントも俺が変わるから、ゆっくり休め」
「……すみません」
しゅん、と岩瀬が恐縮する。秀一は苦笑した。
「ハードスケジュールだったのに、よく頑張ったよ。もしかして昨日、雨に当たったか?」
「……少し」
スプーンを口にくわえて秀一に送る岩瀬の目線は貴重な上目遣いだ。秀一は動揺を悟られぬよう目を逸らす。
「それにしても、これじゃ田之倉の結婚式も欠席だな」
「ああ……そうでした。連絡しないと……」
「俺がしておこうか?」
田之倉とは本社にいたときに何度か飲みにも行っている。気を利かせたつもりで言うと、岩瀬はゆるゆると首を横に振った。
「そういうのは、自分でちゃんとすべきだと思うので……」
岩瀬はようやくプリンを食べ切り、ほ、と息をついた。
肩にかかった髪と憂鬱そうな表情が、見たこともないほど岩瀬をか弱く見せる。
……冴木だったら食ってるな。
秀一は半ばそう確信して、逆に自分はそうなるものかと決意を固めた。
病気で弱った女を組み敷くなど言語道断だ。
「……あの。打ち上げ、そろそろ行かなくて大丈夫ですか?」
岩瀬に言われて時計を見ると、確かにそろそろ出発した方がよさそうだ。
秀一は頷いて立ち上がった。
「そうだな、そろそろ出るわ。明日、自分で病院行けるか?」
「たぶん、大丈夫です。……食べ物もあるし」
答えながら立ち上がった岩瀬の足元がふらついた。秀一は慌てて手を伸ばす。腕が、下着を身につけていない膨らみに触れた。
ぎくりとしたが、岩瀬はしがみつくように秀一の背中に手を回す。
「……大丈夫か?」
「……大丈夫、です」
答えながらも、岩瀬は秀一の背に手を回したままだ。
岩瀬の体温と柔らかさが、じわり、と秀一に伝わってくる。
よほど心細いのだろうか。
秀一はそっとその肩に手を置いた。
「……岩瀬?」
できるだけ優しく声をかけると、岩瀬は秀一を見上げて口を開きかけ、戸惑うように目を泳がせてうつむいた。そのまま、額を秀一の胸に押し付けて、「少しだけ」と呟く。
……いや、待て。
待ってくれ。
これは……どういう状況だ?
表面上は冷静さを取り繕うが、岩瀬が額を寄せた胸の鼓動がいつもより数割増で速まっているのは取り繕いようがない。岩瀬が気づいていないことを祈りつつ、長いような短いようなその時間を不動で耐えた。
しばらくすると、岩瀬は少し落ち着いたように、秀一の胸をそっと押して離れた。
「……すみません。ありがとうございました」
そう言って、秀一の手から皿とスプーンを手にし、流しに置く。
「洗って行こうか?」
「あとで自分でやります。大丈夫です」
「……でも」
秀一が食い下がろうとしたとき、岩瀬が目を上げた。
「大丈夫です。ありがとうございました」
その声は今日聞いた中で一番ハッキリしていて、秀一はそれ以上言うことができなかった。
岩瀬を置いて家を出、打ち上げに向かった。
***
宴会が始まっても、秀一は落ち着かなかった。見たこともないほど弱った岩瀬の姿が脳裏にちらつく。
「どうかしたのか?」
女性たちをほどよくあしらい、ほどよく構ってやる冴木はすっかり場に溶け込んでいたが、タイミングを見て秀一に声をかけてきた。
何か勘づいたらしい。
「別になんでもない」
「岩瀬さんのこと? 来れなくて残念だったね」
冴木がビールを傾ける。秀一は半眼で冴木を見やった。
「残念だったのはお前だろ」
「うん、まあね。そうだけど」
冴木は軽やかに笑った。涼やかな顔立ちは、笑うと爽やかな愛嬌がある。
こういう顔が好きなんだな、岩瀬は。
そう思うと腹立たしくなって、秀一は目を逸らしながら酒をあおった。
「岩瀬さんといえば、田之倉くんと同期だったね。明日挙式するって話、聞いた?」
「ああ、岩瀬から聞いた」
冴木は「そう」と言ってくつくつ笑った。
「田之倉くん、最初岩瀬さん狙ってたらしくてさ。俺も結構相談聞いてやってたんだけど、全然隙も脈もなくて手が出せないって諦めたら、あっさり結婚相手見つけちゃうんだもんなぁ。……ま、そういうもんなんだろうね」
冴木の言葉に、秀一は一度目を上げ、考えるようにうつむく。
「……挙式、お前は呼ばれてんの?」
「いや、二次会だけ。式は身内だけって言ってたよ。二次会で友達とかを呼ぶって」
「……じゃ、会場とか時間、知ってんだな?」
冴木はきょとんとした後、「知ってるけど」と頷いた。秀一は「よし」と言ってジョッキを煽る。
「会場と時間教えろ。ちょっと俺も、用があるから」
冴木は驚いたようにまばたきして、「まさかウェディングクラッシャーになるとかじゃないよね?」と笑いながらスマホを取り出した。