恋と喧嘩は支社の華~お局OLはイケメン上司になびかない
コーヒーを飲み終えた好波は、次は紅茶を入れようと、給湯器のある廊下へと出た。
給湯器の横の水道で軽くコップをゆすぎ、湯を注いで一度カップを温めてから、改めてティーバッグを入れる。
透明な湯がじわりと赤みを帯びていくのを眺めながら、小さく息を吐き出した。
的場とは、その後すっかり何事もなく過ごしている。濃密だった一週間のことなどーー海岸でいっときを過ごしたあの夜のことすら、なかったかのように。
当然だ。的場にとっては、ちょっとした労いか、慰めのつもりだったのだろう。好波に欲情したわけでも、好波の身体を求めたわけでもなかった。
ちらり、と自分の身体を見下ろす。
女性には「スタイルがいい」と羨ましがられるすらりとした体型は、華奢と言えば聞こえはいいが、男にとっては柔らかさがもの足りないだろう。
好波はもちろん、あのまま抱かれてもよかったのだが……的場がその気にならなかったのなら、残念だがそういうことだ。
服越しに触れた的場の身体ががっちりと筋肉に覆われていたことを思い出し、貧相な自分の身体にまたため息が込み上げる。
飲み会での男性ウケは悪くないが、本気で口説かれたことはあまりない……と思っている。
どの男もリップサービスで言っているのだろうから、いちいち本気にしていたら笑われてしまうのがオチだ。
それでも、女としての魅力がない、と言われたことはなかったし、まあそこそこ、求められることもある方だろうーーと、今までは思っていたのだが。
「……はぁ」
「元気ないね。やっぱり身体キツいんじゃない?」
3度目のため息に優しい声が返ってきて、好波は驚きながら振り向いた。
そこにはにこにこと爽やかな笑顔を絶やさない冴木が立っている。
的場ほど肩幅はないが、冴木はスマートな優男だ。紳士然とした態度を取りつつ、ときにはユーモラスに笑いを取る。その余裕が一層、彼の魅力を引き立てていた。
「いえ、体調は大丈夫です……三日も寝てたので」
「三日? そりゃ大変だったね。一人暮らし?」
「はい」
冴木は口元に穏やかな笑顔を絶やさず、無理ない会話のキャッチボールを続ける。コミュニケーション能力が高いのだろう。
「確かに病気のときって、心細いよね。呼んでくれたら、看病しに行ってあげたのに。そしたら俺が病気になったとき岩瀬さんに来てもらいたいし」
「またまた、そんなこと言って。冴木さんならいくらでもいるでしょ、看病したいって人」
「いないよー、俺ほら、見ての通り奥手だし」
自分を指し示す冴木は、いたずらっぽく目を輝かせている。好波は思わず噴き出した。
「どの辺が奥手なんですか」
「え、奥手に見えない? グイグイ行けそうにないでしょ? 目とか細いし」
両目に指を添えて切れ長の目をますます細く見せてくる。好波は口元に手を添えて、「それ関係ないですから」と笑った。
冴木も笑って手を降ろし、好波の顔を覗き込む。
いきなり距離が近づいた涼やかな目に、思わずどきりとした。
「よかった。……ちょっと元気になったみたい?」
心配してくれたのか。
そう思うと申し訳なく感じて、好波は苦笑した。
「元気……です。大丈夫です」
好波は言って、すっかり色づいた湯からティーバッグを引き出す。
「別に、なんていうわけじゃないんです。ちょっと先週……三谷くんがいない間、こう……時間が濃厚だったから、ペースが変わって戻りきれないっていうか」
そう、濃厚だった。今までないほどに的場と会話をしたし連絡を取り合った。知らなかった面もたくさん見た。
突き放したようなことを言う不器用な優しさも、すばやく状況を理解して動く判断力も行動力も、上司として尊敬に値する。
上司としてーー
不意に泣きそうになって、好波は顔を上げた。
「……冴木さん、的場さんと同期なんでしたっけ」
「うん、そうだよ。つっても俺の方が二個上だけど」
「仲いいんですね。……さっきのやりとりも」
「そう見えた? だったらいいけど」
冴木は困ったように肩をすくめた。
「俺には、的場ちゃんが本気で嫌がってるように見えたよ」
「そんなことないんじゃないですか。ただ猫をかぶってないだけで」
「そうかなぁー」
「そうですよ。……いいですね、そういう気のおけない仲間って」
好波のフォローに、冴木はふわりと目を細める。
「……岩瀬さんさ」
「はい?」
「体調、もう大丈夫なら……今日、ちょっとつき合ってくれないかな」
好波は困惑して、首を傾げた。
「つき合うって……」
「今夜、用事ある?」
問われて目を泳がせる。
用事は特にない。が、
「それって……」
「食事、行こうよ。先週の打ち上げ、岩瀬さんが来るって聞いてたから楽しみにしてたのに……いなかったから、がっかりしちゃった」
戸惑う好波の気配を察してか、冴木は剽軽な動作で肩をすくめた。好波はその本心を探ろうと、冴木を見上げる。
「こっちにはちょいちょい顔出してたけど、なかなか飲みに行く機会もなかったしさ。君の同期の田之倉くんから、岩瀬さんの話はよく聞いてたから、ゆっくり話してみたいなってずっと思ってたんだよ」
冴木は苦笑して、好波の肩に手を置いた。
「もちろん無理にとは言わないし、取って食ったりしないから。そんな緊張しないで……ね、もしよければ」
ぽんぽんと肩を叩かれて、好波は戸惑いつつうつむく。給湯器の横に置いたカップから、湯気が白く泳いでいるのが見えた。
確かに、冴木に悪い感情は持っていない。
けれど、今すぐに距離を縮める気にもなれなかった。
ーーいくら、的場との関係はあくまでただの上司と部下なのだと、分かっているつもりでも。
「分かりました」
好波は紅茶の赤い水面を見つめながら頷くと、顔を上げる。
「……的場さんも一緒なら、行きます」
冴木は奥二重の目を一度丸く見開いて、ぷ、と噴き出した。
「了解。的場ちゃんも声かけてみる」
じゃあお先に、と戻る冴木の背を見送りつつ、好波は息を吐き出した。
手にしたカップは少しぬるくなっていて、その場で一口だけすすってみる。
あたたかいお茶が口中から喉に落ちていって、少し動揺を鎮めてくれた。
給湯器の横の水道で軽くコップをゆすぎ、湯を注いで一度カップを温めてから、改めてティーバッグを入れる。
透明な湯がじわりと赤みを帯びていくのを眺めながら、小さく息を吐き出した。
的場とは、その後すっかり何事もなく過ごしている。濃密だった一週間のことなどーー海岸でいっときを過ごしたあの夜のことすら、なかったかのように。
当然だ。的場にとっては、ちょっとした労いか、慰めのつもりだったのだろう。好波に欲情したわけでも、好波の身体を求めたわけでもなかった。
ちらり、と自分の身体を見下ろす。
女性には「スタイルがいい」と羨ましがられるすらりとした体型は、華奢と言えば聞こえはいいが、男にとっては柔らかさがもの足りないだろう。
好波はもちろん、あのまま抱かれてもよかったのだが……的場がその気にならなかったのなら、残念だがそういうことだ。
服越しに触れた的場の身体ががっちりと筋肉に覆われていたことを思い出し、貧相な自分の身体にまたため息が込み上げる。
飲み会での男性ウケは悪くないが、本気で口説かれたことはあまりない……と思っている。
どの男もリップサービスで言っているのだろうから、いちいち本気にしていたら笑われてしまうのがオチだ。
それでも、女としての魅力がない、と言われたことはなかったし、まあそこそこ、求められることもある方だろうーーと、今までは思っていたのだが。
「……はぁ」
「元気ないね。やっぱり身体キツいんじゃない?」
3度目のため息に優しい声が返ってきて、好波は驚きながら振り向いた。
そこにはにこにこと爽やかな笑顔を絶やさない冴木が立っている。
的場ほど肩幅はないが、冴木はスマートな優男だ。紳士然とした態度を取りつつ、ときにはユーモラスに笑いを取る。その余裕が一層、彼の魅力を引き立てていた。
「いえ、体調は大丈夫です……三日も寝てたので」
「三日? そりゃ大変だったね。一人暮らし?」
「はい」
冴木は口元に穏やかな笑顔を絶やさず、無理ない会話のキャッチボールを続ける。コミュニケーション能力が高いのだろう。
「確かに病気のときって、心細いよね。呼んでくれたら、看病しに行ってあげたのに。そしたら俺が病気になったとき岩瀬さんに来てもらいたいし」
「またまた、そんなこと言って。冴木さんならいくらでもいるでしょ、看病したいって人」
「いないよー、俺ほら、見ての通り奥手だし」
自分を指し示す冴木は、いたずらっぽく目を輝かせている。好波は思わず噴き出した。
「どの辺が奥手なんですか」
「え、奥手に見えない? グイグイ行けそうにないでしょ? 目とか細いし」
両目に指を添えて切れ長の目をますます細く見せてくる。好波は口元に手を添えて、「それ関係ないですから」と笑った。
冴木も笑って手を降ろし、好波の顔を覗き込む。
いきなり距離が近づいた涼やかな目に、思わずどきりとした。
「よかった。……ちょっと元気になったみたい?」
心配してくれたのか。
そう思うと申し訳なく感じて、好波は苦笑した。
「元気……です。大丈夫です」
好波は言って、すっかり色づいた湯からティーバッグを引き出す。
「別に、なんていうわけじゃないんです。ちょっと先週……三谷くんがいない間、こう……時間が濃厚だったから、ペースが変わって戻りきれないっていうか」
そう、濃厚だった。今までないほどに的場と会話をしたし連絡を取り合った。知らなかった面もたくさん見た。
突き放したようなことを言う不器用な優しさも、すばやく状況を理解して動く判断力も行動力も、上司として尊敬に値する。
上司としてーー
不意に泣きそうになって、好波は顔を上げた。
「……冴木さん、的場さんと同期なんでしたっけ」
「うん、そうだよ。つっても俺の方が二個上だけど」
「仲いいんですね。……さっきのやりとりも」
「そう見えた? だったらいいけど」
冴木は困ったように肩をすくめた。
「俺には、的場ちゃんが本気で嫌がってるように見えたよ」
「そんなことないんじゃないですか。ただ猫をかぶってないだけで」
「そうかなぁー」
「そうですよ。……いいですね、そういう気のおけない仲間って」
好波のフォローに、冴木はふわりと目を細める。
「……岩瀬さんさ」
「はい?」
「体調、もう大丈夫なら……今日、ちょっとつき合ってくれないかな」
好波は困惑して、首を傾げた。
「つき合うって……」
「今夜、用事ある?」
問われて目を泳がせる。
用事は特にない。が、
「それって……」
「食事、行こうよ。先週の打ち上げ、岩瀬さんが来るって聞いてたから楽しみにしてたのに……いなかったから、がっかりしちゃった」
戸惑う好波の気配を察してか、冴木は剽軽な動作で肩をすくめた。好波はその本心を探ろうと、冴木を見上げる。
「こっちにはちょいちょい顔出してたけど、なかなか飲みに行く機会もなかったしさ。君の同期の田之倉くんから、岩瀬さんの話はよく聞いてたから、ゆっくり話してみたいなってずっと思ってたんだよ」
冴木は苦笑して、好波の肩に手を置いた。
「もちろん無理にとは言わないし、取って食ったりしないから。そんな緊張しないで……ね、もしよければ」
ぽんぽんと肩を叩かれて、好波は戸惑いつつうつむく。給湯器の横に置いたカップから、湯気が白く泳いでいるのが見えた。
確かに、冴木に悪い感情は持っていない。
けれど、今すぐに距離を縮める気にもなれなかった。
ーーいくら、的場との関係はあくまでただの上司と部下なのだと、分かっているつもりでも。
「分かりました」
好波は紅茶の赤い水面を見つめながら頷くと、顔を上げる。
「……的場さんも一緒なら、行きます」
冴木は奥二重の目を一度丸く見開いて、ぷ、と噴き出した。
「了解。的場ちゃんも声かけてみる」
じゃあお先に、と戻る冴木の背を見送りつつ、好波は息を吐き出した。
手にしたカップは少しぬるくなっていて、その場で一口だけすすってみる。
あたたかいお茶が口中から喉に落ちていって、少し動揺を鎮めてくれた。