恋と喧嘩は支社の華~お局OLはイケメン上司になびかない
終業後、有無を言わせず冴木に連行された秀一は大変不機嫌だった。
駅近くのビルの地下階に並ぶ居酒屋の一軒。週の半ばというのに、店内はまあまあ賑わっている。
「……的場さん、何飲みます? 私、おごりますよ」
岩瀬はその不機嫌をどう勘違いしているものか、困惑したように秀一に言った。
こんな飲み会で部下におごらせる男がいるか。
そう心中で返しつつ、口を開く。
「おごらなくていいけどおごんねぇぞ」
「でも……田之倉くんのご祝儀、結局私出してないですし」
「だからあれは俺が勝手にやったんだから気にすんなってーー」
言いかけて、ニヤニヤしている冴木に気づき言葉を止めた。ちゃっかり岩瀬の隣に陣取った冴木は、秀一を見ながら「へぇー」とわざとらしい声を出す。
「田之倉くんの二次会、会場と時間教えろって何でだろうと思ったら、そんな気を回してあげてたわけね。さっすが、的場くん。やっさしーい」
てっめェ。絶対ェ後でシメる。
心中で腹の底から毒づきつつ、目を逸らして黙り込む。本当に、要らないことばかり言う奴だ。
視界の端で、岩瀬がうつむくのが見えた。
「……すみません、今日もお疲れのところ……つき合わせてしまって」
心底反省していそうなその表情と声の神妙さにぎくりとして、慌てて顔を前へ戻す。
「いや、別にお前は悪くないだろ。冴木が無理矢理……」
「でも……的場さんもお誘いするよう言ったのは私ですし……」
「俺と二人じゃキンチョーしちゃうんだってー」
へらへらと笑う冴木には心の中で一発殴りつけておいて、岩瀬の方に向き直る。
「俺は冴木と飲むのが嫌なだけだ」
「ああ、なるほどね。岩瀬さんと二人で飲みたいと」
冴木の返しに思わず頭を抱えたくなる。
岩瀬が「そんなこと言ってないじゃないですか」と冴木の肩を叩くが、その頬がわずかに赤い。
いつもだったらそんなことで照れないはずだ。冴木の前だと素が出るのかーーそう思うとますます腹が立つ。
「……冴木」
「なに?」
「お前のこと嫌い」
「えー、ひどーい」
冴木は言葉の割に全然気にしてない口調で笑い、「ね、ほら。本気で嫌いなんだよ俺のこと」と岩瀬の肩を叩く。岩瀬は「冴木さんが変にちゃかすからですよ」と困ったように笑った。
その表情は、三谷発案の飲み会のときと同じようにリラックスしている。
隣にいるのは秀一が知る限り社内いち腹の底の知れない男だというのに、だ。
ーーなんでだよ。
内心、秀一はふてくされつつつっこみを入れた。
「とりあえず、なんか頼もうよ。岩瀬さん、食べられないものある?」
「刺身はちょっと。それ以外なら」
「へぇ。好波、っていう名前なのに、海の幸は駄目?」
「うーん、関東では食べられないです。母の実家が高知なので、そっちで慣れちゃって」
「へぇ。贅沢ー」
岩瀬の母の実家が高知だとは初めて聞いた話だ。
あっさりと公私の垣根を超えていく冴木の話術に嫉妬する。
そもそも、隣同士とはいえ距離が近すぎやしないか。
「これうまそう」「じゃあ頼みましょうか」とメニューを指し示す二人はずいぶんお似合いのカップルに見えた。
冴木はわざと岩瀬側の料理ばかり指し示している気もするが。
「的場ちゃんも食べられないものなかったよね」
「冴木以外は」
「えっ、なにそれ。食えない男ってこと? うまいこと言い過ぎじゃね?」
冴木が笑い、岩瀬も噴き出す。秀一は舌打ちして、店員を呼ぶボタンを押した。
「食えない男の的場ちゃんに食えないって言われるの結構ビビるなぁ」
「……俺はそんなこと言われたことねぇぞ」
「えっ、そうですか?」
秀一の言葉に意外そうに反応したのは岩瀬だった。秀一は眉を寄せる。
「的場さん、食えない人だなぁって思ってましたよ。ずっと」
「ほーらね」
冴木がしたり顔で笑う。秀一はまた舌打ちすると、注文を聞きに来た店員に烏龍茶を頼んだ。
「えっ、飲まないの?」
「車置いていく気はない」
「あー、そっか。岩瀬さんは? なに飲む?」
「えっと……」
岩瀬は戸惑うように秀一を見た。秀一はため息をつく。
「気にしないで飲めよ。冴木は飲むんだろ」
「もち。俺、ビール」
冴木は岩瀬に「つき合ってよ」と微笑んだ。岩瀬は戸惑いながら頷き、「じゃあ……私もビールを」と店員に頼む。
その後も、冴木は如才なく注文を済ませ、岩瀬との会話を楽しんでいた。
ときどきうまく秀一を巻き込んだり、おどけながら話すので、岩瀬も始終くすくすと笑っている。
その頬がアルコールで赤らんできた。
楽しげに細められたその目が冴木へ向けられているのを、秀一は見ていることしかできない。
冴木にあれこれ話を引き出されて、岩瀬は今まで見たことがないほど、饒舌になっていた。
岩瀬がこんな風に打ち解けて秀一と話したことがあっただろうか。
いや、ない。
いつでも、岩瀬はどこか遠慮して、線を引いて接していた。
上司と部下。職場の仲間。それ以上には決して踏み込ませないとでもいうようにーー
「なに言ってるんですか、もー」
「え、違った?」
「違いますよぉ」
冴木の冗談に、岩瀬は笑ってその肩を叩く。笑いすぎて曲がった上体が冴木へ寄る。冴木が「笑いすぎだよ」とその背に手を添える。
そのいちいちを、とてもではないが見ていられず、秀一は目を逸らした。既に二杯目の烏龍茶を飲みきって、水っ腹になっている。
もうこの際、アルコールを頼んでしまおうか。その方が時間がもつし気も楽だろう。車は明日運転して帰ればいい。
そう脳裏をよぎるが、それでは冴木に負けたことになる気がする。それだけは嫌だ、と頑なに思うのは、たぶん岩瀬が絡んでいるからだ。
そう、薄々自覚している。岩瀬に対して秀一が抱いているこの感情は、もう上司と部下に留まるものではないーー
「すみません、私ちょっとお手洗いに」
岩瀬が不意に立ち上がり、席を立った。
「行ってらっしゃーい」
冴木が笑顔で手を振る。
岩瀬が見えなくなると、冴木はうっすらと笑みを浮かべて秀一を見た。
「どう思う?」
「なんの話だ」
「結構、いい感じかなーって思うんだけど」
頬杖をついて言われ、秀一は目を逸らす。言われずとも、そう見えたーー岩瀬は冴木に気を許し始めている。
「で、いつまでいるつもり?」
「……は?」
「無粋だなぁ」
冴木は細い目を一層細めて、秀一をじっと見据えた。口元の笑みは絶やさずとも、その目は笑っていない。
「的場ちゃんは急用ができた」
「……」
「てことにして、帰ったら?」
冴木は少し前傾して、秀一の顔をのぞきこむ。
「おつき合い、ありがと。岩瀬さんと仲良くなれたお礼に、会計は俺が持つよ」
「……ああ、そうかよ」
秀一は吐き捨てるように言って立ち上がる。岩瀬が座っていた空席をちらりと見て、顔を背けた。
「……じゃあな」
「うん、お疲れー」
冴木は相変わらず食えない顔で、秀一に手を振った。
秀一は極力その顔を見ないようにして、足早に店を出る。
途中で岩瀬に会えば、席を外せなくなるだろう、と思ったからだ。
ーーくだらねぇ。
はやく朝になってほしい、と祈る。
波に身を任せて、すべて流してほしかった。
駅近くのビルの地下階に並ぶ居酒屋の一軒。週の半ばというのに、店内はまあまあ賑わっている。
「……的場さん、何飲みます? 私、おごりますよ」
岩瀬はその不機嫌をどう勘違いしているものか、困惑したように秀一に言った。
こんな飲み会で部下におごらせる男がいるか。
そう心中で返しつつ、口を開く。
「おごらなくていいけどおごんねぇぞ」
「でも……田之倉くんのご祝儀、結局私出してないですし」
「だからあれは俺が勝手にやったんだから気にすんなってーー」
言いかけて、ニヤニヤしている冴木に気づき言葉を止めた。ちゃっかり岩瀬の隣に陣取った冴木は、秀一を見ながら「へぇー」とわざとらしい声を出す。
「田之倉くんの二次会、会場と時間教えろって何でだろうと思ったら、そんな気を回してあげてたわけね。さっすが、的場くん。やっさしーい」
てっめェ。絶対ェ後でシメる。
心中で腹の底から毒づきつつ、目を逸らして黙り込む。本当に、要らないことばかり言う奴だ。
視界の端で、岩瀬がうつむくのが見えた。
「……すみません、今日もお疲れのところ……つき合わせてしまって」
心底反省していそうなその表情と声の神妙さにぎくりとして、慌てて顔を前へ戻す。
「いや、別にお前は悪くないだろ。冴木が無理矢理……」
「でも……的場さんもお誘いするよう言ったのは私ですし……」
「俺と二人じゃキンチョーしちゃうんだってー」
へらへらと笑う冴木には心の中で一発殴りつけておいて、岩瀬の方に向き直る。
「俺は冴木と飲むのが嫌なだけだ」
「ああ、なるほどね。岩瀬さんと二人で飲みたいと」
冴木の返しに思わず頭を抱えたくなる。
岩瀬が「そんなこと言ってないじゃないですか」と冴木の肩を叩くが、その頬がわずかに赤い。
いつもだったらそんなことで照れないはずだ。冴木の前だと素が出るのかーーそう思うとますます腹が立つ。
「……冴木」
「なに?」
「お前のこと嫌い」
「えー、ひどーい」
冴木は言葉の割に全然気にしてない口調で笑い、「ね、ほら。本気で嫌いなんだよ俺のこと」と岩瀬の肩を叩く。岩瀬は「冴木さんが変にちゃかすからですよ」と困ったように笑った。
その表情は、三谷発案の飲み会のときと同じようにリラックスしている。
隣にいるのは秀一が知る限り社内いち腹の底の知れない男だというのに、だ。
ーーなんでだよ。
内心、秀一はふてくされつつつっこみを入れた。
「とりあえず、なんか頼もうよ。岩瀬さん、食べられないものある?」
「刺身はちょっと。それ以外なら」
「へぇ。好波、っていう名前なのに、海の幸は駄目?」
「うーん、関東では食べられないです。母の実家が高知なので、そっちで慣れちゃって」
「へぇ。贅沢ー」
岩瀬の母の実家が高知だとは初めて聞いた話だ。
あっさりと公私の垣根を超えていく冴木の話術に嫉妬する。
そもそも、隣同士とはいえ距離が近すぎやしないか。
「これうまそう」「じゃあ頼みましょうか」とメニューを指し示す二人はずいぶんお似合いのカップルに見えた。
冴木はわざと岩瀬側の料理ばかり指し示している気もするが。
「的場ちゃんも食べられないものなかったよね」
「冴木以外は」
「えっ、なにそれ。食えない男ってこと? うまいこと言い過ぎじゃね?」
冴木が笑い、岩瀬も噴き出す。秀一は舌打ちして、店員を呼ぶボタンを押した。
「食えない男の的場ちゃんに食えないって言われるの結構ビビるなぁ」
「……俺はそんなこと言われたことねぇぞ」
「えっ、そうですか?」
秀一の言葉に意外そうに反応したのは岩瀬だった。秀一は眉を寄せる。
「的場さん、食えない人だなぁって思ってましたよ。ずっと」
「ほーらね」
冴木がしたり顔で笑う。秀一はまた舌打ちすると、注文を聞きに来た店員に烏龍茶を頼んだ。
「えっ、飲まないの?」
「車置いていく気はない」
「あー、そっか。岩瀬さんは? なに飲む?」
「えっと……」
岩瀬は戸惑うように秀一を見た。秀一はため息をつく。
「気にしないで飲めよ。冴木は飲むんだろ」
「もち。俺、ビール」
冴木は岩瀬に「つき合ってよ」と微笑んだ。岩瀬は戸惑いながら頷き、「じゃあ……私もビールを」と店員に頼む。
その後も、冴木は如才なく注文を済ませ、岩瀬との会話を楽しんでいた。
ときどきうまく秀一を巻き込んだり、おどけながら話すので、岩瀬も始終くすくすと笑っている。
その頬がアルコールで赤らんできた。
楽しげに細められたその目が冴木へ向けられているのを、秀一は見ていることしかできない。
冴木にあれこれ話を引き出されて、岩瀬は今まで見たことがないほど、饒舌になっていた。
岩瀬がこんな風に打ち解けて秀一と話したことがあっただろうか。
いや、ない。
いつでも、岩瀬はどこか遠慮して、線を引いて接していた。
上司と部下。職場の仲間。それ以上には決して踏み込ませないとでもいうようにーー
「なに言ってるんですか、もー」
「え、違った?」
「違いますよぉ」
冴木の冗談に、岩瀬は笑ってその肩を叩く。笑いすぎて曲がった上体が冴木へ寄る。冴木が「笑いすぎだよ」とその背に手を添える。
そのいちいちを、とてもではないが見ていられず、秀一は目を逸らした。既に二杯目の烏龍茶を飲みきって、水っ腹になっている。
もうこの際、アルコールを頼んでしまおうか。その方が時間がもつし気も楽だろう。車は明日運転して帰ればいい。
そう脳裏をよぎるが、それでは冴木に負けたことになる気がする。それだけは嫌だ、と頑なに思うのは、たぶん岩瀬が絡んでいるからだ。
そう、薄々自覚している。岩瀬に対して秀一が抱いているこの感情は、もう上司と部下に留まるものではないーー
「すみません、私ちょっとお手洗いに」
岩瀬が不意に立ち上がり、席を立った。
「行ってらっしゃーい」
冴木が笑顔で手を振る。
岩瀬が見えなくなると、冴木はうっすらと笑みを浮かべて秀一を見た。
「どう思う?」
「なんの話だ」
「結構、いい感じかなーって思うんだけど」
頬杖をついて言われ、秀一は目を逸らす。言われずとも、そう見えたーー岩瀬は冴木に気を許し始めている。
「で、いつまでいるつもり?」
「……は?」
「無粋だなぁ」
冴木は細い目を一層細めて、秀一をじっと見据えた。口元の笑みは絶やさずとも、その目は笑っていない。
「的場ちゃんは急用ができた」
「……」
「てことにして、帰ったら?」
冴木は少し前傾して、秀一の顔をのぞきこむ。
「おつき合い、ありがと。岩瀬さんと仲良くなれたお礼に、会計は俺が持つよ」
「……ああ、そうかよ」
秀一は吐き捨てるように言って立ち上がる。岩瀬が座っていた空席をちらりと見て、顔を背けた。
「……じゃあな」
「うん、お疲れー」
冴木は相変わらず食えない顔で、秀一に手を振った。
秀一は極力その顔を見ないようにして、足早に店を出る。
途中で岩瀬に会えば、席を外せなくなるだろう、と思ったからだ。
ーーくだらねぇ。
はやく朝になってほしい、と祈る。
波に身を任せて、すべて流してほしかった。