恋と喧嘩は支社の華~お局OLはイケメン上司になびかない
 翌日の朝、いつも通り始業5分前に出社した秀一は、廊下で顔を寄せ合って話す三谷と小山内を見つけた。

「おはよう。どうかしたのか?」

 首を傾げつつ問うと、「なんでもありません!」と二人が同時に首を振る。

「どうぞどうぞ! 的場さん、中へ!」

 ぐいぐいとドアの中へ押し込まれるなり、拳を握った三谷が息を吸う気配がした。

「――ということで、出陣式をしましょう!」

 ーーいったい、何のこっちゃ。
 あまりに唐突な発言に、心中でツッコミをいれる。
 秀一は、宇津木や岩瀬がぽかんとしているのを見、合意でないらしいことを確認してから、三谷に半眼を向けた。

「……ということって、どういうことだ?」
「出陣式ですか!? 大学時代、飲食店でバイトしてたんですけど、繁忙期前には必ずやってたんです! 飲み会開いて『がんばりましょー!』って気合い入れるんですよ!」

 秀一が求めた答えとはややズレていたが、三谷はもう決定事項とでもいうような確信に満ちた目をしている。
 その意欲の半分でも、仕事――イベントそのものはともかく、書類作成等の雑用が彼はものすごく遅い――に向けて欲しいところだ。
 そんなことを思う秀一の肩を、三谷がガシリと掴んだ。

「ねっ、やりましょうよ! 俺幹事やりますから!」
「いいですね、やりましょう!」

 次いで三谷の後ろから手を叩いたのは小山内だ。
 ーーさっき二人で話していたのは、このことか。
 思いつつ、秀一は怪訝な目を向けたが、小山内の笑顔は崩れない。

「だってほら、私の歓迎会以降、みんなで飲み会ってしてないじゃないですか。仕事入ったり具合悪くなったりで。ね、ね、やりましょ!」

 うんうんと頷く姿は珍しいほどの無邪気さを感じさせる。
 いったい、どういう魂胆だーーそう思いはするが、せっかく若手の部下が職場の交流を深めようというのに、上司が無碍にするのもいかがなものか。
 そう思いながら見た先の宇津木は、口を挟まずニコニコしながら動向を見守っている。

「ねっ、岩瀬さんも! もう少ししたらしばらくバタつくし、飲みましょーよー!!」

 小山内が腕に絡みつくと、岩瀬は戸惑った顔で「う、うん……」と頷き、判断を仰ぐように秀一と宇津木に視線を寄こした。
 いつもはキリリとしていて隙のない岩瀬の困惑した表情は珍しい。わずかに、秀一の胸中に庇護欲めいたものが疼いたが、目を逸らしてやり過ごす。
 宇津木がふふ、と笑ったのが聞こえた。

「そこまで言うなら、やるか。予定はどうだ、岩瀬、的場」

 宇津木の言葉に、岩瀬が困惑しながらスケジュールを確認した。秀一もスマホのスケジュール帳を繰る。

「えーと……来週の木曜か金曜なら……」
「俺も木曜なら」
「やった! じゃあ木曜に!」
「長島さんはー!?」
「うん、家族に確認してみるね」

 三谷と小山内が嬉しそうに騒ぐ姿はまるで学生のノリと変わらない。
 秀一は「若いなぁ」と胸中で呟く一方、自分はもう若くないと認めたような気分になる。
 感じた苦い想いを意地悪に変えて、三谷の肩を叩いた。

「じゃあ、会場は任せるぞ。ちなみに俺禁煙室希望」
「私、お刺身はちょっと」
「から揚げもおじさんにはしんどいなー」

 秀一の言葉に、岩瀬と宇津木が便乗した。それを聞いた三谷は慌てる。

「え、待って待って。煙草と刺身とから揚げNGの店ってことっすか? 要求水準高いっすよね!? 幹事の難易度上げないでくださいよ!」
「がんば、三谷くん! お酒の種類豊富でおいしいとこお願いね!」
「そこで更にハードル上げる!? ちょっと、小山内さんも店探し手伝ってくれますよねぇ!?」
「そういうのも、練習練習♪」

 後輩二人の様子を見ながら、岩瀬が苦笑している。秀一はその横顔に視線をやってから、コーヒーを淹れるべく椅子から立ち上がった。

 ***

 給湯室は廊下に出たところにある。手洗い同様、他のオフィスと共用だ。
 ドリップ式のコーヒーパックをカップに乗せ、湯を注いでしばし蒸らす。ふわりと香るコーヒーの匂いを嗅ぎながら、秀一は三谷の狙いに思いを馳せていた。
 小山内との予定調和なやりとりを見る限り、事前で二人に打合せ済みだったのだろう。ニコニコしながら見ていた長島も、もしかしたら知っていたのかもしれない。

 ――もしかして、岩瀬とくっつけようとでも思ってんのか?

 あまりに若者らしい発想に、呆れと同時に羨ましさも感じる。人の恋愛沙汰に首を突っ込んで楽しいと思えたのも数年前までの話。三十半ばに差し掛かろうとしている今や、自分の毎日を楽しむだけで充分だ。

 秀一が本社から異動してきたのは一年半前。その理由について、影でいろいろ噂されているのは知っているが、実際のところは、自分で希望して異動させてもらった。
 理由はといえば、趣味のサーフィンだ――ということは、支社では宇津木しか知らないはずだ。実は希望してもなかなか異動させてくれないので、こうなったら最終手段とばかりに、支社寄りの家に引っ越したのが二年前のこと。
 半年間、下手したら片道三時間かかる通勤に耐え、ようやく異動が認められたのだ。
 秀一の自宅から海は自転車で約十分。日が出る前に海に行き、日の出を見ながら帰宅してシャワーを浴びる。
 支社に来てからというもの、暇なときは毎日、少なくとも隔日でそういう日々を送っている。
 この充実した日々に、女の入り込む余地などない。

 コーヒーを蒸らしているそばから、ふわりと甘めの柑橘系の香りがした。見やると、紅茶のティーバッグとコップを持った岩瀬が立っている。
 湯を注ぐ場所を譲ってやると、ぺこりと頭を下げて秀一の前を通り、一度コップを温めてから紅茶を淹れている。
 意外と細やかなところのある女なのだとは、秀一も分かっている。

 ――岩瀬好波。

 最初にその名前を見たのは、メールか何かだった。
 そして直感的に、いい名前だな、と思った。
 好波。自分と同じように、海が好きな人間がつけたんだろうか。そんな人の娘なら、仲良くなれるんじゃないだろうか。
 なんとなく、そう期待していて、支社に彼女を見つけたとき――当初は、秀一なりに喜んだのだ。が。

「……的場さん、髪、濡れてません?」

 岩瀬が不思議そうに秀一を見上げてきた。一七〇センチ近い背に七センチヒールをはいているが、一八〇センチを超えた秀一よりは目線が低い。
 その目はまっすぐ見据えると、黒というよりも、青が煮詰まり、深くなったように見える――秀一と目が合うことなど滅多にないが。

「あ、濡れてた? 朝、シャワー浴びたからかな」

 今朝も波に乗ってから出社したのだ。もう少しすると繁忙期なので、今のうちに思い切り楽しんでおこうと思っている節がある。

「――今朝はギリギリまで楽しんじゃったからな……」

 その呟きは無意識に口から出ていた。
 いきなり、岩瀬の顔がぱっと赤くなる。
 見たこともない反応に、秀一は目を丸くした。

「え?」
「いえっ。なんでもありませんっ。失礼しましたっ」

 岩瀬は慌てた様子でティーバッグを流しに捨て、きびすを返す。一つにくくった長髪が揺れ、秀一の鼻先に再び、柑橘系の香りを振りまいていく。
 秀一は半ば無意識に、その匂いを吸い込んだ。
 岩瀬がオフィスのドアに消えたのを確認して、秀一はふっと笑う。

「……そういう表情(かお)もするのか」

 もうその頃には、岩瀬が何を勘違いしたか分かっている。しのび笑いをしながら注いだコーヒーは、蒸らし過ぎて苦くなってしまったが、一日の始まりとしては悪くない。
 その日、秀一と口を利きたがらない岩瀬を、そうと分かりながらいつもの数割り増しで茶化し倒したのだった。
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