恋と喧嘩は支社の華~お局OLはイケメン上司になびかない
 はー、と好波は電車の中でため息をつく。車窓から見える日は傾き、空は赤く染まっていた。
 仕事からの帰路ーーではない。今日はこれから、例の飲み会ーー三谷は出陣式といったかーーがあるのだ。
 会社のメンバーと飲むこと自体は、別に嫌いではない。上司の宇津木は紳士だし、長島はフォロー上手。三谷は騒がしくて酔うと面倒だが、小山内がいるのでまあ大丈夫だろう。
 問題はサブマネージャーの的場秀一だ。飲み会が決まったあの日から、それとなく毎晩毎朝の「お楽しみ」の様子について報告してくるようになった上司兼先輩。
 的場がどんな異性交遊をしようと勝手だ。好波には関係ないのに、二人のときを狙って話してくるものだから逃げることもできない。
 表現のエグさも問題だ。「いつもならすぐいい感じになるんだけど、今日はなかなかタイミングが合わなくて」「楽しくなっちゃうと終わらせがたくなるよね」ーー比喩だか隠喩だか分からない微妙な表現で、好波の表情をうかがいながら話してくるのだ。好波としてはたまったものではない。

 とりあえず一週間耐えたものの、飲み会でもどう絡まれるか分からない。そもそも、極力一緒にいたくない。
 ーーいずれ、彼の空気に呑まれてしまいそうで。

 はぁあ、とまた、好波はため息をつく。今日は本社に出張だったので、飲み会も少し本社寄りの会場だ。
 それも、好波はむしろラッキーだと「遅れていくよ」と言ったのだが、「それじゃ意味がな……じゃなくて、せっかくなんで!」と三谷が必死で言い返してきた。

 ーー意味がないって、どういうことよ。
 後輩たちが、ミョーな気を回しているように思えて気が気ではない。

 ーーとにかく、心を強く持ちなくちゃ。的場さんに流されたらおしまいだわ。
 好波は心中でそう強く誓うのだった。

 ***

 三谷が予約していたのは、エスニック系の料理屋だった。通されたのは個室で、料理に多少揚げ物があるものの、煙草と刺身、アルコールの種類はクリアしたらしい。 

「いい感じのお店じゃない。よく見つけたね」
「へへっ、あざっす」

 普段誉めない好波に誉められて、三谷がでれっとはにかむ。
 アルコールに強くない彼は一杯目ですでに顔を赤くしているが、まだ酒量が分かっておらず、よく飲み過ぎて失敗する。

「今日は無礼講だそうだから。岩瀬も遠慮せず飲めよ」

 的場が口の端を引き上げながら言う。
 他の女子なら見とれる笑顔だろうが、好波は適当に相づちを打ちながらドリンクメニューを眺めた。
 すると、隣にいた小山内が嬉しそうに身体を寄せて来る。

「カクテルいろいろありますねっ」
「舞ちゃん、次、何飲む?」
「スクリュードライバー」
「じゃ、私モスコミュール」

 二人の様子を見ていたのだろう、的場が呼び鈴を押して店員を呼んだ。
 嫌味なほどそつのない動きだ。
 注文を終えると、好波は軽く頭を下げた。

「ありがとうございます」
「どういたしまして」

 一応お礼を言うと、意外に素直な返事があった。

「ま、岩瀬にはいつも世話になってるからな」

 予想外の台詞に、好波は一瞬、言葉を失った。

「なんだ? そんなに驚くようなこと言ったか?」
「あ、いえ……はぁ、まあ」

 問われてつい、素直に頷く。的場は笑った。
 その笑顔はいつもの意地の悪いものではない。

「ひどいな。俺が感謝するのはそんなに珍しいことか?」
「確かに、あんまり聞かないかもな」

 的場の言葉に宇津木が笑い、ふてくされた的場の表情を見て好波も笑った。

 ーーよかった、今夜は変なこと言われなそう。……みんなもいるし。
 好波はほっとして、酒と肴に舌鼓を打った。

 *** 

 酒が入ってしばらくすると、三谷が例によってグダグダになってきた。

「はぁー。岩瀬さんほんと美人だなぁー。なんで彼氏いないんすかー。俺、立候補させてくださいよー」
「なに言ってんのよ、また」

 酔うといつもこうなので、好波ももはや気にしていない。三谷だけでなく大概の男は酔うと好波を口説いてくる。

「そろそろお茶にしたら? 舞ちゃん、頼んでくれる?」
「はいはーい」

 軽い返事と共に、小山内が呼び鈴を押した。

「でも、確かに気になりますよねー」

 と楽しげに言うのは小山内だ。

「岩瀬さんって、本社でも美人さんって評判でしたよ。難攻不落な高嶺の華、とか、本社に戻ってきた独身男性はみんな岩瀬さんにフラれてるとか」
「なによそれ……」

 ずいぶんあれこれと二つ名がついているものだ。
 好波は苦笑した。

「渚のクールビューティ、じゃなかったの? もしくは、支社の口うるさいお局」
「またまた、そんなこと言ってー」

 小山内が笑いながら好波を肘でつついた。

「実際のとこ、岩瀬さんのタイプってどんな感じなんです? ここにも有望株がいるじゃないですか」

 それとなく的場を示すが、隣で三谷が「俺のことっすか!?」と定番のボケをかまし、小山内が「そんなわけないでしょ!」と即答した。
 好波は後輩たちの意図を薄々察しつつ苦笑する。

「的場さんは……確かにモテそうですけど、私は塩顔系の方が好みなんで……的場さんの顔はちょっと派手すぎというか」
「塩顔ぉ?」

 無礼講、と聞いたからには遠慮ないコメントをしよう。
 そう開き直った好波の言葉に、的場が不満げに眉を寄せる。

「なんだよ塩顔って」

 むっとしたその顔は、日頃より幼く見えた。わずかに頬が赤いのは、酔っているのか暑いせいか。

「うーん、そうだなぁ。本社の冴木さんとか」
「冴木ィ? 冴木って、冴木涼介か?」

 好波の言葉に、的場が思い切り嫌そうな顔をする。
 いつも余裕綽々の上司の顔が歪んだのが愉快に思えて、好波は何度も頷いた。

「そうですそうです。名前も見た目にピッタリ。素敵ですよねー」

 冴木はときどき、打ち合わせなどで支社に顔を出す。経理関係にも詳しいので、あれこれアドバイスをくれるのだ。
 ここぞとばかりに誉める好波に、的場はますます渋面になった。

「あいつこそ、片っ端から女食ってるセクハラ野郎じゃねぇか」
「そうなんですか?」
「確かに、経験豊富ではありそうですよね」

 隣で好波にこっそり耳打ちしたのは小山内だ。彼女も本社勤務だったときに見知っているのだろう。

「でも、経験がなさすぎるよりはマシよねぇ」

 好波が呟きながらグラスをあおる。的場が「ちっ……」と忌々しそうに舌打ちするのが聞こえた。
 今日は珍しく、ずいぶん的場の表情も崩れている。段見ない姿が、好波にはとても面白く思えた。
 ついつい笑ううちに、すっかりリラックスしていた。
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