恋と喧嘩は支社の華~お局OLはイケメン上司になびかない
そして一時間半後。
二軒目に入った三谷は、案の定グラスを一杯空けた後、机の上に突っ伏した。
好波は苦笑を浮かべながら、ちょいちょいと肩をたたく。
「三谷くん、大丈夫……?」
「ぅうーん、岩瀬さぁぁん」
「な、なに……?」
好波の声で意識を取り戻した三谷が顔を上げたので、こわごわとその隣に近寄った。
そのとき、
「あぁっ、岩瀬さん、いいにおいするぅ!」
「きゃ」
「ぉいこらっ」
抱き着こうとした三谷を止めるべく、的場の腕が伸びる。
的場は片手で三谷を止め、片手で好波を制した。
こういうときにどさくさ紛れに触れてこない辺り、小山内の話は確かなのかもしれないーーそう思いつつ、一瞬触れたスーツの肩の下に、自分にはないがっしりした筋肉を感じてどきりとしてしまった。
ーー少し、調子にのって飲みすぎたかな……。
好波が胸を押さえているうち、的場と三谷が話している。
「馬鹿、警察に連行されるぞ」
「ぅうー、そんなこと言ってー。的場さんこそ、岩瀬さんお持ち帰りするつもりでしょぉー」
「お前が二軒目につき合わせたんだろうが」
苛立たし気な的場とグダグダの三谷の軽口の向こうに、そわそわと落ち着かない小山内が見えた。
好波は腕時計を見て、顔を上げた。
「舞ちゃん、終電?」
「そ、そうなんです。そろそろ行かないと間に合わない」
それを聞いて的場が顔を上げた。
「ああ、じゃあ先行ってろ。こいつは俺がどうにかするから。――岩瀬も一緒に帰れ」
「え、でも」
好波は戸惑った。
「いいから行けよ。終電逃したら大変だろ」
的場は好波の方を振り返ることもなく、淡々と言って手をひらりと振る。「お前自力で帰れるのか?」と三谷にお茶を勧める的場を見ながら、同期に聞いた評判が脳裏をよぎった。
「面倒見のいい先輩」。
好波は小山内の顔と的場の後ろ姿、そして時計を見て首を振った。
「……いえ、私はまだ、大丈夫なんで」
「そうか?」
的場は意外そうな顔で振り返った。いつものように茶化す様子のないその表情は、確かに頼りがいのある先輩に見える。
ーーいつもこうなら。
思いかけて、自分でぎくりとする。
いつもこうなら、どうだというのか。
とにかく、今は三谷の介抱が先だ。好波がこくりと頷くと、小山内が鞄を手にして立ち上がった。
「じゃあ、すみません。私はお先に」
「うん、気を付けてね」
「はい、お疲れさまです」
にこりと笑って挨拶をした小山内が、店から出て走っていくのが見える。
そちらに気を取られたとき、三谷が「うっ……」とうめいて的場が慌てた。
「やべ、吐くか? トイレまで我慢できるか、三谷?」
「無理です……」
「岩瀬、ビニールか何か持ってるか」
「えぇ!? えーと、こ、これなら……!」
慌てて鞄の中をまさぐると、いつだか何かのキャンペーンでもらったエコバッグが目についた。
わたわたとそれを広げると、的場が「駄目にしてもいいのか!?」と確認する。が、三谷がまた身をよじったので慌てて口に持っていった。
嘔吐する三谷を見ていられず、好波は立ち上がる。
「み、水もらってきます……」
「悪いな、頼む」
的場は呆れ顔で、吐き戻す三谷の背をさすった。
好波が店員に声をかけようと席を離れる後ろで、
「お前なー、新社会人じゃねーんだから、加減して飲めるようになれよ」
という的場の声が聞こえる。
見やると、呆れた顔をしてはいるが、突き放しているわけではない。
――ああ、ほんとに……いい先輩、なんだ。
好波は的場の意外な一面を見たような気がしていた。
***
三谷を手近なビジネスホテルに突っ込むと、的場と好波は顔を見合わせてため息をついた。
「やれやれだな。お前、終電大丈夫なのか?」
「あ、はい。ギリギリ……」
言いながら腕時計を確認して、眉を寄せる。
もう走らなければ間に合わない時間だ。
「……走ればどうにか」
「はぁ!? だったら走れよ!」
慌てた的場が、呆れた様子で言うなり好波の手を引いて走り出した。ぐいぐいと手を引かれながら、好波は「ああこの人足も速いんだなぁ」などと呑気なことを思う。
改札口を走り抜け、「この電車か!?」とホームで口を開けている電車を示されて頷き、二人して車内に駆け込んでーー
「……なんで的場さんまで乗ってるんですか?」
「聞くな……俺も今同じことを思ってた……」
ガタンゴトンと揺れる電車に、困惑顔をした一組の男女。
二人ともしっかりして見えるが、思考が曖昧になる程度には酔っているのだろう。
そう思うと好波は可笑しく感じて笑いそうになった。
秀一は額を押さえてため息をついた。
「まー、どうせ終電逃してたし、どこ行ったところで変わんねぇよ。この際だから、家まで送る」
「へっ……?」
思わぬ言葉に、好波の声が裏返る。腕組みをして手すりにもたれかかった的場は、呆れた顔で好波を見た。
「一応言っておくが、これはセクハラじゃないぞ。明日になって、三谷もお前も来ない、なんて話になったら俺の管理不行届きだと思われるだろ」
不貞腐れたような顔で言われれば、好波もそれ以上文句を言えない。
最寄りまでの数駅、二人は会話を交わさず電車に揺られていた。
***
駅を抜けて、二人で夜道を歩いていく。
好波の自宅近辺は住宅地で、ホテルはない。その上、店はほとんど閉じていた。
「あの……的場さん」
「なんだよ」
答える声が不機嫌そうで、好波の気分が低下していく。
「すみません……考えてみたら、この駅の周辺、何にもなくて……」
「そうみたいだな」
いつものチャラついた様子もなく、的場は淡々と答える。
好波は罪悪感にうつむいた。もう少し早くーー電車を降りる前に気づけば、ホテルのある駅まで乗っていけただろうに。
「まあ、男一人だし、どーとでもなるだろ」
的場が言いながらスマホをタップする。
ブルーライトが暗闇に的場の顔を浮き上がらせた。
伸びた鼻筋に甘いマスク。長い指先。
確かに、女が魅了されるのも頷けるーー
……いやいや、私ってば、いったい何を……。
飲みすぎたのだ。酔ってちょっと思考が怪しくなっているだけだ。
好波はそう自分に言い聞かせた。
「向こう口にカラオケあるのか」
「あー……あった、かも」
「じゃあ、そこだな」
好波は自分の記憶を辿り、一度同期と訪れたカラオケの部屋を思い出す。古くて、煙草の臭いの染み付いた店だった。
ーー煙草、嫌なんだよね。
飲み会の店決めで禁煙席をリクエストしていたのは的場だと思い出して眉を寄せる。
ーー他には……この近辺に……ホテル……
車があればゼロではないのだが、あいにく近辺はほとんどタクシーが通らない。少し歩いて大きな通りに出れば走っているだろうが、もう客を乗せたタクシーも多いので望みは薄い。
あれこれと考えても選択肢は増えない。好波は半ば諦めつつ、隣を歩く上司を見上げた。
「なんだ?」
色素の薄い的場の目が、街灯を受けて金色に光る。目が合って困惑した好波が視線を泳がせると、的場は笑った。
「もしかして、俺のこと心配してくれてんの?」
的場は言って、思わせ振りな動作で好波の背に手を添える。
ギリギリ、触れてはいない距離に置かれた男の手。
その熱の気配に、好波の背筋が伸びる。
はやまる動悸を悟られまいと、目を逸らした。
「それとも」
顔を覗き込まれ、好波はうろたえて目をさまよわせた。
的場が密やかに笑う。
その笑いは、夜の空気のせいかアルコールのせいか、ひどく艶めいて好波の耳に届いた。
「俺を、自分の家に誘う理由を考えてる?」
好波ははっと顔を上げ、的場を睨み付けた。
「馬鹿言わないでくださいっ」
とん、と軽く、的場の肩を押す。的場は笑いながら、押されるままに後ろに下がった。
少し近づきすぎた距離感は、あっさりとまたいつも通りに開く。
好波はほっとしながら、この程度で動揺している自分に苛立った。
ーーこういう、思わせぶりなところがーー
思いつつ、意識的に目尻を引き上げて的場を見上げた。
「家まで送ってもらっといて、上司に風邪でも引かれたら困るなと思ってただけです!」
睨みつけるような視線の先で、的場は軽やかな笑い声をあげた。
二軒目に入った三谷は、案の定グラスを一杯空けた後、机の上に突っ伏した。
好波は苦笑を浮かべながら、ちょいちょいと肩をたたく。
「三谷くん、大丈夫……?」
「ぅうーん、岩瀬さぁぁん」
「な、なに……?」
好波の声で意識を取り戻した三谷が顔を上げたので、こわごわとその隣に近寄った。
そのとき、
「あぁっ、岩瀬さん、いいにおいするぅ!」
「きゃ」
「ぉいこらっ」
抱き着こうとした三谷を止めるべく、的場の腕が伸びる。
的場は片手で三谷を止め、片手で好波を制した。
こういうときにどさくさ紛れに触れてこない辺り、小山内の話は確かなのかもしれないーーそう思いつつ、一瞬触れたスーツの肩の下に、自分にはないがっしりした筋肉を感じてどきりとしてしまった。
ーー少し、調子にのって飲みすぎたかな……。
好波が胸を押さえているうち、的場と三谷が話している。
「馬鹿、警察に連行されるぞ」
「ぅうー、そんなこと言ってー。的場さんこそ、岩瀬さんお持ち帰りするつもりでしょぉー」
「お前が二軒目につき合わせたんだろうが」
苛立たし気な的場とグダグダの三谷の軽口の向こうに、そわそわと落ち着かない小山内が見えた。
好波は腕時計を見て、顔を上げた。
「舞ちゃん、終電?」
「そ、そうなんです。そろそろ行かないと間に合わない」
それを聞いて的場が顔を上げた。
「ああ、じゃあ先行ってろ。こいつは俺がどうにかするから。――岩瀬も一緒に帰れ」
「え、でも」
好波は戸惑った。
「いいから行けよ。終電逃したら大変だろ」
的場は好波の方を振り返ることもなく、淡々と言って手をひらりと振る。「お前自力で帰れるのか?」と三谷にお茶を勧める的場を見ながら、同期に聞いた評判が脳裏をよぎった。
「面倒見のいい先輩」。
好波は小山内の顔と的場の後ろ姿、そして時計を見て首を振った。
「……いえ、私はまだ、大丈夫なんで」
「そうか?」
的場は意外そうな顔で振り返った。いつものように茶化す様子のないその表情は、確かに頼りがいのある先輩に見える。
ーーいつもこうなら。
思いかけて、自分でぎくりとする。
いつもこうなら、どうだというのか。
とにかく、今は三谷の介抱が先だ。好波がこくりと頷くと、小山内が鞄を手にして立ち上がった。
「じゃあ、すみません。私はお先に」
「うん、気を付けてね」
「はい、お疲れさまです」
にこりと笑って挨拶をした小山内が、店から出て走っていくのが見える。
そちらに気を取られたとき、三谷が「うっ……」とうめいて的場が慌てた。
「やべ、吐くか? トイレまで我慢できるか、三谷?」
「無理です……」
「岩瀬、ビニールか何か持ってるか」
「えぇ!? えーと、こ、これなら……!」
慌てて鞄の中をまさぐると、いつだか何かのキャンペーンでもらったエコバッグが目についた。
わたわたとそれを広げると、的場が「駄目にしてもいいのか!?」と確認する。が、三谷がまた身をよじったので慌てて口に持っていった。
嘔吐する三谷を見ていられず、好波は立ち上がる。
「み、水もらってきます……」
「悪いな、頼む」
的場は呆れ顔で、吐き戻す三谷の背をさすった。
好波が店員に声をかけようと席を離れる後ろで、
「お前なー、新社会人じゃねーんだから、加減して飲めるようになれよ」
という的場の声が聞こえる。
見やると、呆れた顔をしてはいるが、突き放しているわけではない。
――ああ、ほんとに……いい先輩、なんだ。
好波は的場の意外な一面を見たような気がしていた。
***
三谷を手近なビジネスホテルに突っ込むと、的場と好波は顔を見合わせてため息をついた。
「やれやれだな。お前、終電大丈夫なのか?」
「あ、はい。ギリギリ……」
言いながら腕時計を確認して、眉を寄せる。
もう走らなければ間に合わない時間だ。
「……走ればどうにか」
「はぁ!? だったら走れよ!」
慌てた的場が、呆れた様子で言うなり好波の手を引いて走り出した。ぐいぐいと手を引かれながら、好波は「ああこの人足も速いんだなぁ」などと呑気なことを思う。
改札口を走り抜け、「この電車か!?」とホームで口を開けている電車を示されて頷き、二人して車内に駆け込んでーー
「……なんで的場さんまで乗ってるんですか?」
「聞くな……俺も今同じことを思ってた……」
ガタンゴトンと揺れる電車に、困惑顔をした一組の男女。
二人ともしっかりして見えるが、思考が曖昧になる程度には酔っているのだろう。
そう思うと好波は可笑しく感じて笑いそうになった。
秀一は額を押さえてため息をついた。
「まー、どうせ終電逃してたし、どこ行ったところで変わんねぇよ。この際だから、家まで送る」
「へっ……?」
思わぬ言葉に、好波の声が裏返る。腕組みをして手すりにもたれかかった的場は、呆れた顔で好波を見た。
「一応言っておくが、これはセクハラじゃないぞ。明日になって、三谷もお前も来ない、なんて話になったら俺の管理不行届きだと思われるだろ」
不貞腐れたような顔で言われれば、好波もそれ以上文句を言えない。
最寄りまでの数駅、二人は会話を交わさず電車に揺られていた。
***
駅を抜けて、二人で夜道を歩いていく。
好波の自宅近辺は住宅地で、ホテルはない。その上、店はほとんど閉じていた。
「あの……的場さん」
「なんだよ」
答える声が不機嫌そうで、好波の気分が低下していく。
「すみません……考えてみたら、この駅の周辺、何にもなくて……」
「そうみたいだな」
いつものチャラついた様子もなく、的場は淡々と答える。
好波は罪悪感にうつむいた。もう少し早くーー電車を降りる前に気づけば、ホテルのある駅まで乗っていけただろうに。
「まあ、男一人だし、どーとでもなるだろ」
的場が言いながらスマホをタップする。
ブルーライトが暗闇に的場の顔を浮き上がらせた。
伸びた鼻筋に甘いマスク。長い指先。
確かに、女が魅了されるのも頷けるーー
……いやいや、私ってば、いったい何を……。
飲みすぎたのだ。酔ってちょっと思考が怪しくなっているだけだ。
好波はそう自分に言い聞かせた。
「向こう口にカラオケあるのか」
「あー……あった、かも」
「じゃあ、そこだな」
好波は自分の記憶を辿り、一度同期と訪れたカラオケの部屋を思い出す。古くて、煙草の臭いの染み付いた店だった。
ーー煙草、嫌なんだよね。
飲み会の店決めで禁煙席をリクエストしていたのは的場だと思い出して眉を寄せる。
ーー他には……この近辺に……ホテル……
車があればゼロではないのだが、あいにく近辺はほとんどタクシーが通らない。少し歩いて大きな通りに出れば走っているだろうが、もう客を乗せたタクシーも多いので望みは薄い。
あれこれと考えても選択肢は増えない。好波は半ば諦めつつ、隣を歩く上司を見上げた。
「なんだ?」
色素の薄い的場の目が、街灯を受けて金色に光る。目が合って困惑した好波が視線を泳がせると、的場は笑った。
「もしかして、俺のこと心配してくれてんの?」
的場は言って、思わせ振りな動作で好波の背に手を添える。
ギリギリ、触れてはいない距離に置かれた男の手。
その熱の気配に、好波の背筋が伸びる。
はやまる動悸を悟られまいと、目を逸らした。
「それとも」
顔を覗き込まれ、好波はうろたえて目をさまよわせた。
的場が密やかに笑う。
その笑いは、夜の空気のせいかアルコールのせいか、ひどく艶めいて好波の耳に届いた。
「俺を、自分の家に誘う理由を考えてる?」
好波ははっと顔を上げ、的場を睨み付けた。
「馬鹿言わないでくださいっ」
とん、と軽く、的場の肩を押す。的場は笑いながら、押されるままに後ろに下がった。
少し近づきすぎた距離感は、あっさりとまたいつも通りに開く。
好波はほっとしながら、この程度で動揺している自分に苛立った。
ーーこういう、思わせぶりなところがーー
思いつつ、意識的に目尻を引き上げて的場を見上げた。
「家まで送ってもらっといて、上司に風邪でも引かれたら困るなと思ってただけです!」
睨みつけるような視線の先で、的場は軽やかな笑い声をあげた。