愛想のない教育係が、私にだけ甘い理由
「熱はないな。医者には?」
「行っていません。寝不足と、立ちくらみだと思います」
「明日、必ず行け」
「……はい」
安堵したように息をついて、彼は手を離した。そこでふと、自分の両手に目を落とす。
「……何も、持ってきていない」
「え?」
「出る時に、財布もコートも忘れた。見舞いに来て、手ぶらとは」
眉間に皺を寄せて、本気で悔しそうにしている。その顔があまりに真剣で、堪えきれずに笑ってしまった。何週間ぶりだろう。
京介さんは目を見張り、それから口元を緩めた。
「笑えるなら、いい。三十分だけ抜けてきたから、戻る。帰りも走る」
往復で二十五分。玄関先にいられるのは、五分もない。それを分かっていて、彼は走ってきたのだ。
「あの──付箋、読みました。ありがとう、ございます」
やっと言えたのは、それだけだった。京介さんは「ああ」と短く答えて、踵を返す。
遠ざかる靴音が階段の向こうに消えるまで、私はドアに額を預けていた。額には、ひやりとした感触がまだ残っている。同じ場所に、自分の掌をそっと重ねてみた。
私が「聞ける時」は、いつ来るのだろう。待っていたら、年が明けてしまう。
十二月三十一日を過ぎれば、彼はここにいない。
「行っていません。寝不足と、立ちくらみだと思います」
「明日、必ず行け」
「……はい」
安堵したように息をついて、彼は手を離した。そこでふと、自分の両手に目を落とす。
「……何も、持ってきていない」
「え?」
「出る時に、財布もコートも忘れた。見舞いに来て、手ぶらとは」
眉間に皺を寄せて、本気で悔しそうにしている。その顔があまりに真剣で、堪えきれずに笑ってしまった。何週間ぶりだろう。
京介さんは目を見張り、それから口元を緩めた。
「笑えるなら、いい。三十分だけ抜けてきたから、戻る。帰りも走る」
往復で二十五分。玄関先にいられるのは、五分もない。それを分かっていて、彼は走ってきたのだ。
「あの──付箋、読みました。ありがとう、ございます」
やっと言えたのは、それだけだった。京介さんは「ああ」と短く答えて、踵を返す。
遠ざかる靴音が階段の向こうに消えるまで、私はドアに額を預けていた。額には、ひやりとした感触がまだ残っている。同じ場所に、自分の掌をそっと重ねてみた。
私が「聞ける時」は、いつ来るのだろう。待っていたら、年が明けてしまう。
十二月三十一日を過ぎれば、彼はここにいない。