愛想のない教育係が、私にだけ甘い理由
小さな間があった。京介さんの瞼が、わずかに動く。ちゃんと呼べた。それだけで、足の力が戻ってきた。

ワインを注ぐ間は、手元に集中する。注ぎ終えた時、紗英さんが言った。

「水無瀬さん。研修は年内だそうね。そのあとは、どうなさるの?」

「……まだ、決まっておりません」

「決まっていない方が、伊集院の隣に?」

グラスに触れていた京介さんの指が、止まった。部屋の空気が、薄くなる。

「四宮さん」

「あら、ただの世間話ですわ」

紗英さんは笑って、それから私だけを見た。

「私には、四宮の名前を背負う覚悟があるの。あなたは、あの方の名前を、背負えて?」

答えれば、仕事を壊す。黙れば、負ける。また言葉を飲み込めば、あの日の廊下に戻ってしまう。

ボトルを置いて、背筋を伸ばす。

「お客様のお言葉として、お答えしてもよろしいでしょうか」

紗英さんが、わずかに目を上げた。
< 35 / 50 >

この作品をシェア

pagetop