紅い月
屋敷に戻った翌朝。
「で、どうするの?」
ノアは、客室のベッドに眠る少女を見下ろしながら尋ねた。
少女は昨日と変わらない。
銀色の髪を枕に広げ、静かに眠っている
だが、一向に覚醒する気配はない
「セレナを呼ぶ」
「それがいいね」
セレナはギルド専属の医者だ
彼女は様々な薬学に精通している
少女の体に異常がないか、自分たちが感じる違和感の答えを
導き出せないか
セレナの見立てを待つこととした
ルシアンは少女を見ることなく答えた。
「俺は仕事に戻る」
「はいはい。お忙しいことで」
「無駄口を叩くな、お前も次の任務があるだろう」
ノアが苦笑する。
「分かったよ」
ルシアンは部屋を出ていった。
扉が閉まる。
ノアはしばらくその扉を見つめたあと、ベッドへ視線を戻した。
「……さて」
少女は眠ったままだった。
「君、いったい何者なんだろうね」
*
その日の昼。
セレナは、少女の身体を一通り診察した。
脈。
体温。
呼吸。
瞳孔。
どこを調べても異常はない。
「身体に問題はありません」
ルシアンは納得しない
「でも、起きない」
「ええ……」
セレナは困ったように少女を見る。
「眠っているというより……」
言葉を濁す。
「何?」
ノアが尋ねる。
「深い眠りに入っているような状態です。ただ、通常の睡眠とは少し違うように思います」
「具体的には?」
「私にも分かりません」
セレナは首を横に振った。
「少なくとも、命に関わる状態ではありません」
「食事も水も取ってないけど?」
「それが……」
セレナは少女の顔を見た。
「衰弱していないんです、ただ眠り続けているだけということですね それ以上はもう少し調べてみないと…」
「だよねぇ」
ノアは苦笑した。
セレナが帰ったあとも、ルシアンはしばらく少女のそばにいた。
そして、ふと気づく。
窓辺に置いていた小さな花が――
少女の方を向いている。
「……」
ルシアンは花を見た。
窓から風は入っていない。
それなのに、花の茎だけがゆっくりと少女へ傾いていた。
「気のせい、か
お前は一体何者なんだ…」
ルシアンはそのまま少女の部屋を後にした
*
二日目。
「まだ起きないのか」
ルシアンが尋ねる。
「うん」
執務室。
山積みになった書類を前に、ノアが答える。
「今日も原因は分からないって」
流石のセレナも1日、2日では答えに辿り着けないようであった
「そうか」
「ただ、身体に異常はないらしい」
「分かった」
ルシアンは書類に目を戻す。
「他には」
ノアが瞬きをする。
「……他?」
「何か変化は」
「ああ」
ノアは口元を緩めた。
「特にないよ」
「そうか」
それだけ。
ルシアンは再び仕事に戻った。
「……」
ノアは少しだけ笑った。
「気になるなら自分で見に行けばいいのに」
「何か言ったか」
「別に?」
*
三日目。
少女はまだ眠っていた。
セレナは一度研究所に戻るといい、今はいない
ノアは少女の手首に触れる。
「脈、正常」
次に額へ手を当てる。
「熱もなし」
眠っている。
ただ、それだけ。
なのに――
どこかがおかしい。
「……マナも変だし」
ノアは少女の周囲を探る。
マナが存在している。
けれど、流れが読めない。
人間とも、魔族とも違う。
まるで――
そこにいるのに、世界から少しだけ切り離されている。
「君、本当に何者?」
もちろん返事はない。
*
四日目。
その日の夕方。
ノアが少女の部屋へ入ると、
「……いや」
小さな声が聞こえた。
「……?」
足を止める。
少女の眉間に皺が寄っている。
「……逃げて」
ノアの表情から笑みが消えた。
「……誰から?」
少女は答えない。
「ねえ」
もう一度声をかける。
「誰から逃げるの?」
「……」
少女の指がシーツを掴む。
「……お願い……」
それだけ言って、再び静かになった。
ノアはしばらく少女を見つめた。
そして部屋を出る。
*
「ルシアン」
執務室。
ノアはいつものように軽い調子で入ってきた。
「何だ」
「今日、あの子が喋ったよ」
ルシアンの手が止まる。
「何と言った」
「『逃げて』」
「……誰に向けて」
「分からない」
ノアは椅子に腰を下ろした。
「寝言みたいだった」
「他には」
「『お願い』って」
ルシアンは黙った。
「何か思い出してるのかもしれないね」
「……そうか」
それ以上、ルシアンは何も言わなかった。
*
五日目。
ノアは森で拾った花を一輪、少女の枕元へ置いた。
「覚えてる?」
当然、返事はない。
「君がいた森に咲いてたやつ」
ノアは花を見つめる。
「何か思い出すかな」
しばらくして――
少女の指先が動いた。
「……」
ノアは目を細めた。
花へ触れようとするように、ほんの少しだけ指が伸びる。
だが、届く前に止まった。
「……やっぱり」
ノアは呟いた。
「森と何か関係があるんだ」
*
六日目。
変化はなかった。
少女は眠ったまま。
けれど、ノアは確信していた。
この少女の眠りは、ただの眠りではない。
何かを閉じ込めている。
記憶なのか。
力なのか。
それとも――
もっと別の何かなのか。
「……分からないなぁ」
ノアは苦笑した。
自分は勘が鋭い方だ。
人間の嘘も、敵意も、殺気も。
大抵のものは分かる。
なのに、この少女だけは分からない。
それが妙に気に入らなかった。
*
七日目。
「ルシアン」
「何だ」
「一週間だよ」
執務室でノアが言った。
「まだ起きてない」
「そうか」
「でも、昨日から少しマナの流れが変わってる」
ルシアンが顔を上げる。
「どう変わった」
「強くなってる」
「……」
「ほんの僅かだけどね」
ノアは窓の外を見る。
「何かが目を覚まそうとしてるみたいだ」
その瞬間。
――ガタン。
遠くから物音がした。
二人が同時に振り向く。
「……今の」
「少女の部屋だ」
ルシアンが立ち上がった。
ノアも続く。
二人が部屋へ入る。
ベッドの上。
少女は眠っている。
だが――
部屋中の花が、風もないのに揺れていた。
そして少女の胸元に、淡い光が浮かんでいる。
「……これは」
ノアが息を呑む。
光は一瞬で消えた。
少女の身体からも、何事もなかったかのように力が抜ける。
再び静寂。
「……今の、見た?」
ノアが尋ねる。
「ああ」
ルシアンは少女を見つめていた。
初めてだった。
自分から、この少女のそばへ歩み寄る。
ベッドの横に立つ。
少女の閉じた瞼を見る。
そして――
「この子を調べる」
ルシアンが言った。
ノアが横目で見る。
「やっと本気になった?」
「……最初から本気だ」
「はいはい」
ノアは笑った。
けれど。
その視線は少女へ向けられていた。
――この少女は何者なのか。
なぜ森にいたのか。
なぜ眠っているのか。
そして。
あの光はいったい何だったのか。
二人はまだ知らない。
少女が目を覚ましたその瞬間から――
この世界そのものが、少しずつ変わり始めることを。
「で、どうするの?」
ノアは、客室のベッドに眠る少女を見下ろしながら尋ねた。
少女は昨日と変わらない。
銀色の髪を枕に広げ、静かに眠っている
だが、一向に覚醒する気配はない
「セレナを呼ぶ」
「それがいいね」
セレナはギルド専属の医者だ
彼女は様々な薬学に精通している
少女の体に異常がないか、自分たちが感じる違和感の答えを
導き出せないか
セレナの見立てを待つこととした
ルシアンは少女を見ることなく答えた。
「俺は仕事に戻る」
「はいはい。お忙しいことで」
「無駄口を叩くな、お前も次の任務があるだろう」
ノアが苦笑する。
「分かったよ」
ルシアンは部屋を出ていった。
扉が閉まる。
ノアはしばらくその扉を見つめたあと、ベッドへ視線を戻した。
「……さて」
少女は眠ったままだった。
「君、いったい何者なんだろうね」
*
その日の昼。
セレナは、少女の身体を一通り診察した。
脈。
体温。
呼吸。
瞳孔。
どこを調べても異常はない。
「身体に問題はありません」
ルシアンは納得しない
「でも、起きない」
「ええ……」
セレナは困ったように少女を見る。
「眠っているというより……」
言葉を濁す。
「何?」
ノアが尋ねる。
「深い眠りに入っているような状態です。ただ、通常の睡眠とは少し違うように思います」
「具体的には?」
「私にも分かりません」
セレナは首を横に振った。
「少なくとも、命に関わる状態ではありません」
「食事も水も取ってないけど?」
「それが……」
セレナは少女の顔を見た。
「衰弱していないんです、ただ眠り続けているだけということですね それ以上はもう少し調べてみないと…」
「だよねぇ」
ノアは苦笑した。
セレナが帰ったあとも、ルシアンはしばらく少女のそばにいた。
そして、ふと気づく。
窓辺に置いていた小さな花が――
少女の方を向いている。
「……」
ルシアンは花を見た。
窓から風は入っていない。
それなのに、花の茎だけがゆっくりと少女へ傾いていた。
「気のせい、か
お前は一体何者なんだ…」
ルシアンはそのまま少女の部屋を後にした
*
二日目。
「まだ起きないのか」
ルシアンが尋ねる。
「うん」
執務室。
山積みになった書類を前に、ノアが答える。
「今日も原因は分からないって」
流石のセレナも1日、2日では答えに辿り着けないようであった
「そうか」
「ただ、身体に異常はないらしい」
「分かった」
ルシアンは書類に目を戻す。
「他には」
ノアが瞬きをする。
「……他?」
「何か変化は」
「ああ」
ノアは口元を緩めた。
「特にないよ」
「そうか」
それだけ。
ルシアンは再び仕事に戻った。
「……」
ノアは少しだけ笑った。
「気になるなら自分で見に行けばいいのに」
「何か言ったか」
「別に?」
*
三日目。
少女はまだ眠っていた。
セレナは一度研究所に戻るといい、今はいない
ノアは少女の手首に触れる。
「脈、正常」
次に額へ手を当てる。
「熱もなし」
眠っている。
ただ、それだけ。
なのに――
どこかがおかしい。
「……マナも変だし」
ノアは少女の周囲を探る。
マナが存在している。
けれど、流れが読めない。
人間とも、魔族とも違う。
まるで――
そこにいるのに、世界から少しだけ切り離されている。
「君、本当に何者?」
もちろん返事はない。
*
四日目。
その日の夕方。
ノアが少女の部屋へ入ると、
「……いや」
小さな声が聞こえた。
「……?」
足を止める。
少女の眉間に皺が寄っている。
「……逃げて」
ノアの表情から笑みが消えた。
「……誰から?」
少女は答えない。
「ねえ」
もう一度声をかける。
「誰から逃げるの?」
「……」
少女の指がシーツを掴む。
「……お願い……」
それだけ言って、再び静かになった。
ノアはしばらく少女を見つめた。
そして部屋を出る。
*
「ルシアン」
執務室。
ノアはいつものように軽い調子で入ってきた。
「何だ」
「今日、あの子が喋ったよ」
ルシアンの手が止まる。
「何と言った」
「『逃げて』」
「……誰に向けて」
「分からない」
ノアは椅子に腰を下ろした。
「寝言みたいだった」
「他には」
「『お願い』って」
ルシアンは黙った。
「何か思い出してるのかもしれないね」
「……そうか」
それ以上、ルシアンは何も言わなかった。
*
五日目。
ノアは森で拾った花を一輪、少女の枕元へ置いた。
「覚えてる?」
当然、返事はない。
「君がいた森に咲いてたやつ」
ノアは花を見つめる。
「何か思い出すかな」
しばらくして――
少女の指先が動いた。
「……」
ノアは目を細めた。
花へ触れようとするように、ほんの少しだけ指が伸びる。
だが、届く前に止まった。
「……やっぱり」
ノアは呟いた。
「森と何か関係があるんだ」
*
六日目。
変化はなかった。
少女は眠ったまま。
けれど、ノアは確信していた。
この少女の眠りは、ただの眠りではない。
何かを閉じ込めている。
記憶なのか。
力なのか。
それとも――
もっと別の何かなのか。
「……分からないなぁ」
ノアは苦笑した。
自分は勘が鋭い方だ。
人間の嘘も、敵意も、殺気も。
大抵のものは分かる。
なのに、この少女だけは分からない。
それが妙に気に入らなかった。
*
七日目。
「ルシアン」
「何だ」
「一週間だよ」
執務室でノアが言った。
「まだ起きてない」
「そうか」
「でも、昨日から少しマナの流れが変わってる」
ルシアンが顔を上げる。
「どう変わった」
「強くなってる」
「……」
「ほんの僅かだけどね」
ノアは窓の外を見る。
「何かが目を覚まそうとしてるみたいだ」
その瞬間。
――ガタン。
遠くから物音がした。
二人が同時に振り向く。
「……今の」
「少女の部屋だ」
ルシアンが立ち上がった。
ノアも続く。
二人が部屋へ入る。
ベッドの上。
少女は眠っている。
だが――
部屋中の花が、風もないのに揺れていた。
そして少女の胸元に、淡い光が浮かんでいる。
「……これは」
ノアが息を呑む。
光は一瞬で消えた。
少女の身体からも、何事もなかったかのように力が抜ける。
再び静寂。
「……今の、見た?」
ノアが尋ねる。
「ああ」
ルシアンは少女を見つめていた。
初めてだった。
自分から、この少女のそばへ歩み寄る。
ベッドの横に立つ。
少女の閉じた瞼を見る。
そして――
「この子を調べる」
ルシアンが言った。
ノアが横目で見る。
「やっと本気になった?」
「……最初から本気だ」
「はいはい」
ノアは笑った。
けれど。
その視線は少女へ向けられていた。
――この少女は何者なのか。
なぜ森にいたのか。
なぜ眠っているのか。
そして。
あの光はいったい何だったのか。
二人はまだ知らない。
少女が目を覚ましたその瞬間から――
この世界そのものが、少しずつ変わり始めることを。