モテ男とデキ女の奥手な恋

 隼人が一升瓶を買って帰ったところから、おおかた予想はしていたが、香子ちゃんの飲みっぷりは気持ちいいくらいだった。
 しかも顔色が変わらない。
 酒を酌み交わしながら、父はご機嫌に笑っている。
「こっちにも大吟醸があるんだ。どうかな」
「わぁい、いただきます!」
 反応だけ見れば、まるでおもちゃを貰った少女のようだ。しかし、それが日本酒なだけに、俺はこみあげる笑いを堪えるのに必死だった。
「やっぱり奈良のお酒、持ってくればよかった!香子ちゃん、隼人と奈良においで。一緒に利き酒行こう」
「いいですね!奈良、行きたいです」
 姉ともすっかり打ち解け、初対面とはとても思えない。栄太郎が先に懐いていたのも大きかっただろう。
「お昼からおいしいお酒が飲めるだなんて、幸せですねぇ」
 おちょこを片手に、しみじみと香子ちゃんが言う。
 隼人は笑った。
「おいしいものを口にしてるとき、ほんといい顔するよね」
「みんなそうじゃないの?」
 香子ちゃんは自分の頬に手を添えた。隼人は笑いながらその頭に手を当てる。
「そうかもしれないけど、香子ちゃんは特別いい顔に見える」
「それは惚れた弱みってやつでしょ」
 にやりと言うのは姉。つまみ代わりのおせちをつまみ上げながら、懐かしむように続けた。
「いいわねぇ。私も新婚のときはこんな感じだったのかしら」
「うーん、ちょっと違うかな」
 首を傾げたのは、両親と俺だった。姉が唇を尖らせる。
「何が違うのよ。政人、言ってごらんなさいよ」
「いやぁ、俺にはうまく表現できないから、母さん頼んだ」
「えー、私も無理よぅ。お父さんに言って」
「ははは、まあそんなことはいいじゃないか。人それぞれ、夫婦それぞれだ」
 父が笑ってごまかす横で、姉がむくれている。
 なんというか、力関係が違うんだよな。隼人たちと、姉夫婦とでは。
 言葉は心中にとどめ、忘れたふりでおせちをつまむ。
 日本酒が苦手な俺は、一杯付き合っただけで洋酒に切り替えていた。
 実は黒豆とブランデーの組み合わせが好きで、一人地味に楽しんでいる。
「そういえば、母さん。さっき、兄さんの知り合いに二人会ったよ」
「あら。誰?」
「一人は同級生の子。昔うちに来たじゃない、遠藤佐知さん」
「ああ!そういえば、今里帰りしてるんだって、遠藤さんが言ってたわ。お腹大きかったでしょう」
「うん。子供、三人目なんだね。家族でお参りしてたよ」
 隼人と母が話している。姉さんの耳がダンボになっているのが分かる。
 おい、隼人。どうしていきなりその話題なんだ。
「もう一人は?」
 姉が美しい笑顔を隼人に向けた。
 いやその顔、まずいって。絶対まずいって。
「--母さん、黒豆ってまだある?」
 話を変えようと声をかけるが、母は鍋にあるわよと言ったきり、隼人の言葉を待っている。
 香子ちゃんも笑いを堪えているような顔だった。
「同期だって。すごくきれいな人だったよ」
 ね、と香子ちゃんに振ると香子ちゃんも頷き返した。
「ふぅん」
 姉のスイッチが入ったのがわかり、俺は早々に退散しようと腰を浮かした。
「兄さんも見とれてて」
「誰があんな奴に!」
 思わぬ弟の言葉に、俺が思わず噛み付く。
 言ってから、しまった、と思ったが、時すでに遅し。
「政人。お姉ちゃんはねぇ、心配していたのよ」
 ふぅ、と吐息する姉は無駄にキラキラと目を輝かせる。
「あなたが素敵な女性に会えないと嘆く度にね。私のような立派な女を基準にしているのではないかしらってーー」
 暴力女の間違いだろう。
 口にすれば殺されそうなことを思いながら、いち早くこの場から逃れる方法を脳内で検索する。
 しかし、いつもならそれを手助けしてくれる隼人が、今日は敵に回っている。四面楚歌とはこのことか。
「まあ、それはそれとして」
 サラっと流したのは隼人だった。何という怖いもの知らず。
 ーーいや、姉はさすがに9つ離れた隼人のことは、我が子のように可愛がっていたから、手を出したりしなかった。
 改めて考えてみたら、我が家のヒエラルキーは隼人がトップなのか?
「兄さんがあんなに動揺してるの初めて見たから面白かったよ」
 くすくすと隼人が笑う。俺は無表情を保つのに必死だ。
 下手なことを言えばこの優秀な弟と凶悪な姉に袋だたきに合うのが目に見えている。いいか君たち、言葉も暴力なんだぞ。分かってるか。
 母が目を丸くした。
「あら。もしかして、初恋かしら」
 母さん、勘弁してくれよ。30男をつかまえて初恋だなんて。痛すぎる。
 思いながらも何も言わない。俺は貝だ。貝になるんだ。
「兄さんでも、何話していいか分からない感じになるんだね。緊張で変なこと口走ったりもするのかな」
「それは隼人くんでしょ」
 香子ちゃんの言葉に、俺は次の王者を悟った。
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