モテ男とデキ女の奥手な恋

「じゃ、私、先帰ってるんで、終わったら呼んでください。迎えに来ますから」
「え、マジで帰っちゃうの?」
 車に乗り込みながら言う江原さんに、俺は慌てた。
「だって、ただぼんやりしてるんじゃ会社に悪いですもん。せいぜい満足するまでつき合ってあげてくださいね」
 にこやかに言うが、何となく言葉に棘がある。俺がそれを指摘すると、江原さんは呆れたように嘆息した。
「神崎さんって、無自覚に人を引き付けるんですね」
 それもまた、誰かに言われた台詞だ。
「まあ、少しは大変な思いをしてみるのもいいと思います」
 江原さんは言い捨てて、じゃあ、と車に乗った。
「えー」
 肩を落とす俺に、軽い足音が近づいてくる。
「お兄さん。約束。1on1、やろう」
 楽しげなその声に視線を向けると、寒さで赤らんだ頬の上で、年相応に輝く目が見えた。
 俺は嘆息しながら、手に持っていた鞄とコートを掲げて見せる。
「これ、どっか置かせてよ。乗ってきた車、帰っちゃうらしいから」
「何、お兄さんお仕事サボり?」
「誰のせいだよ」
 ヒカルはずいぶん楽しそうに、軽やかな笑い声を上げた。

「お疲れさまでした。……砂だらけですね」
 迎えに来た江原さんは、目を丸くして笑った。
「お兄さん、またやろうねー!」
「はいはい」
「今度はフェイク、教えてよ」
 満足げに手を振るヒカルに、俺は苦笑を返した。
「さすがに仕事中は無理だな。有給取って来なきゃ」
「いいね。そしたら丸一日できる」
 ヒカルが楽しそうに笑い、車内の江原にぺこりと頭を下げて会社の中へと走って行った。
 既に日は傾きかけ、空が赤紫色に染まっている。冬至を過ぎ、多少日が長くなったとはいえ、もうしっかり夕方と感じさせる肌寒い風が、運動でほてった頬を撫でて行った。
 車に乗り込んだ俺に、江原さんは社内での様子を知らせる。
「一通り、説明しておきましたよ。阿久津さんたちにも」
「そうか」
「だいたいみんなホッとしてました」
「だいたい、ね」
 俺は苦笑して呟く。江原さんはありのままを報告しているのだろう。
 身動きが取れないまま数ヶ月を過ごした男たちは、運がよかったとはいえ来て数日で壁を突破してしまった俺を見てどう思うだろう。
 ーーまあ、嫌わせておけばいいか。
 弟には八方美人と言われたが、俺とて媚びを売っているわけじゃない。ただ無難にーー悪く言えば適当に人付き合いをしているだけだ。
 それにしても、と嘆息しながら俺は助手席に全身を預ける。
「どうしよう。営業に配属とかなったら」
「あは。その時には腹くくるしかないんじゃないんですか」
 江原さんは鼻で笑う。
「江原さん、冷たいな。他人ごとだと思って」
「他人ごとですもん」
 江原さんはさらりと答えて、
「ていうか、ウブな女の子を無自覚に手玉に取る神崎さんは、場合によっては女の敵かもしれない」
 俺の顔がとたんに歪む。つい橘の顔が思い浮かんだが、女の子という歳でもないように思う。
「ーーはぁ?何でそんな話になるの」
「ほら、無自覚。ーー知ーらない、っと」
 江原さんはそれ以上の会話を受け付けない、というように、いつもより少し強めにアクセルを踏んだ。
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