モテ男とデキ女の奥手な恋
「そういや、仕事、しにくくない?」
「何のこと?」
橘は首を傾げた。その髪が剥き出しの肩にさらりと落ちる。
それをゆっくりと掬い上げ、肩を撫でる。
「俺とのこと、広まってるって聞いたけど」
橘は俺の顔を見たまま一瞬固まり、
「っ、えっ?」
うろたえた。
ーーなんだ、こいつ知らなかったのか。
「……ごめん、聞かなかったことにして」
「えっ?えっ?うそ、皆知ってるの?何で?」
顔を真っ赤にしてわたわたと慌てる様は、財務でバシバシ他部署の予算を切り捨てる冷静さの欠片も感じられない。
「何で、だろうなぁ」
俺は気のない相槌を打ちながら、その髪をゆるゆると撫でつづけていた。
「……ごめん」
力無い声に視線をやると、今にも泣きそうな橘の顔が目に入る。
「何だよ。どうした?」
困惑した俺に、橘は俯いて告げた。
「私のせいよね、きっと……浮かれちゃったりしてたから」
橘は自責の念が篭ったため息をつき、顔を覆った。
「年甲斐もなくはしゃいで……恥ずかしい」
俺は思わず目を反らす。
「お前は悪くないよ」
橘はちらりと目を上げた。
「……俺も他人のこと言えないから」
江原さんに阿久津。二人もバレれば十分すぎるってもんだ。
「橘が、仕事、やりにくくないならいいんだ。俺みたいなのと噂になると、変な目で見られたりするかもなーと思ってさ」
今までの人付き合いがかなり適当だった自覚は十分ある。一応、社内の女とは二人になる機会を避けるようにしていたので、手は出していないのだがーー橘を除き。
ーー結局、二人で飲みに行った時点で、こいつはまた別のくくりだったのかもしれない。
いまさらながら気づく。
「俺みたいのって、何?」
橘はきょとんとして首を傾げた。その表情が、なんともいとけない。
「神崎こそ、私みたいのと噂立って、肩身が狭くない?ーー尻に敷かれてとか、女の趣味が悪いとか、そういうこと言われたり……」
「しねぇよ。被害妄想強すぎ」
俺は鼻で笑うと、橘の肩に口づけた。
「な、何」
「いや、寒そうだから」
「だ、大丈夫よ」
言ってふとんを被る。
「こうすればいいだけじゃない」
「……うん、そうだけど」
するり、と腕を回した。わずかに触れる柔らかな膨らみ。ふくよかとは言えない身体。
「俺は、どうでもいいよ。お前がどこの大学出てても、俺より昇進しても、給料よくても、気にしない」
橘がくすりと笑った。ーーその声に、晴々しさを感じる。
「それ、全部有り得る話よね。ーー少なくても今の給料は私の方がもらってるわ」
「残業代で上回ってたって、うらやましくねぇよ」
俺が唇を尖らせると、橘は確かにとまた笑う。
「神崎」
橘が呼んだ。
「いつまでその呼び方なの?」
俺が問うと、腕の中の橘がぴくりと震える。
「マーシー」
「うわ、仕事思い出すからやめて」
「……政人」
俺は満足して、髪の上から橘の額に口づけた。
「……あのね」
橘はゆっくりと俺にしがみつきながら囁く。
「私、怖いの」
俺が首を傾げると、橘は俺の裸の胸に顔を埋めた。
「……あんまり好きになりすぎちゃうと、神崎がいなくなったら、腑抜けになっちゃいそうで」
「何で、いなくなること前提なの」
「だって、神崎、モテるもん。老若男女問わずみんなが憧れて……そうでしょ?」
俺が否定も肯定もせずいると、橘はふぅ、とため息をついた。
「……何で、私の隣にいてくれるの?」
「何で、って……」
橘のさらりとした髪を掬い撫でながら、俺は考えた。
「最初は勘弁しろよと思ったけど」
さらさらと、髪は指先を滑り落ちていく。
「……お前って、仕事できるくせに、時々変に不完全というか」
少女のように戸惑い、照れ、笑う顔。
「……放っておけねぇなと思って」
面倒くさい。今までならそれで一蹴していたようなものなのに。
橘は俺の背中に手を回した。冷えた指先と熱い胸に挟まれて、自分の中の男が騒ぐ。
「放っておかないで」
ーーおけるかよ。
俺は苦笑すると、橘の唇に乱暴に吸い付いた。