放課後、秘密の特別教室。〜イケメンな精霊たちは、私をあきらめない〜
第16章:嵐の予感と、深夜のコール
あの旧館の古びた理科室で、おどろおどろしい黒い霧を退けてから、早いもので二週間が過ぎていた。

私の日常は、表向きは何も変わっていないように見えた。相変わらずクラスでは目立たない「空気」のような存在だし、地味な制服に身を包んで、真面目に授業を受ける毎日。けれど、その内実は天と地ほどのひっくり返り方をしていた。

なぜなら、私のポケットの奥深く、制服の生地越しにいつもほんのりと熱を帯びているあの真鍮の鍵が、すっかり私の肌に馴染んでしまったからだ。そして何より、あの事件をきっかけに目覚めた四人の美しい精霊たち――蓮くん、響くん、司くん、千歳くん――が、私の世界を完全に変えてしまった。

「おい、マスター。今日の放課後は理科室で新しい薬品の調合実験を行う。当然、君が助手だ」
「ダメだよ蓮! 紬ちゃんはボクの音楽室で、ボクの新曲を一番に聴く特等席の権利があるんだから!」
「二人とも騒がしいな。図書室には君の好きそうな特製のアールグレイを淹れて待っているよ、紬ちゃん」
「はは、みんな若いねぇ。でも、ちょっとお疲れ気味のマスターを優しく癒やしてあげられるのは、保健室の僕のベッドだけだよ?」

毎日のように放課後になると、彼らは私をそれぞれの特別教室へと連れ去ろうと、凄まじい視線の火花を散らし、激しい争奪戦(バトル)を繰り広げていた。超絶イケメンな四人に囲まれてあちこちから腕を引っ張られるなんて、少女漫画なら命がいくつあっても足りないようなシチュエーションだ。

そんな、心臓がいくつあっても足りないような、騒がしくも甘い日々に少しずつ慣れ始めていた、ある日の午前零時。

夜の静寂が部屋を満たす中、私はベッドの中でうとうとと心地よい眠りに落ちかけていた。頭がふわふわとした微睡みに包まれていた、その時――。
枕元に置いていたスマートフォンが、突然、短い電子音を鳴らして震えた。ビクッとして薄目を開け、画面を覗き込むと、そこには「通知不可能」あるいは「登録のない番号」からの着信が表示されている。

(こんな夜中に、一体誰だろう……? 悪質なイタズラ電話かな……)

深夜の静まり返った部屋に響く着信音が妙に不気味で、私は少し身構えながらも、おそるおそる通話ボタンを押して耳に当てた。

「もしもし、僕の可愛いマスター。ふふ、起きてた?」

受話口のすぐ向こう、耳の奥に直接滑り込んできたのは、低くて少し掠れた、あの甘いハッカのアロマを連想させる極上の低音ボイス――保健室の千歳くんの声だった。

「ち、千歳くん!? どうして私の番号を知ってるの!?」

私は驚きのあまり、眠気が一瞬で吹き飛んでベッドの上に跳ね起きた。スマートフォンを握る手がわずかに震える。

「はは、秘密だよ。保健室の問診票をこっそり見たとか、そんな野暮なことは言わないでおこうかな。それより……今から君の部屋に行ってもいい? なんだか急に、君の顔が見たくなっちゃってさ」

「ええっ!? ダメだよ、もう夜中だし、それに私の家だし……っ!」

受話口から聞こえる彼の吐息が妙に近くに感じられて、顔が火を噴いたように熱くなる。もし本当に今から来られたら、私の心臓が文字通り爆発してしまう。慌てて断りの言葉を並べ立てたその瞬間、スマートフォンの画面が不自然に激しく明滅した。

チカチカとブルーライトが明滅したかと思うと、画面に表示されていた千歳くんのアイコンの横に、次々と見覚えのある別のアイコンが強制的に割り込んできた。通話画面が、私の意志とは無関係に「グループ通話」へと切り替わっていく。

「おい、千歳。夜中にマスターの睡眠を妨害するな。彼女の成長ホルモンの分泌サイクルが狂い、明日の学業に支障が出るだろう」

スピーカーモードに切り替わったスマホから聞こえてきたのは、冷徹で容赦のない、理科室の蓮くんの声だった。理路整然とした、けれど明らかに怒りを含んだ声だ。

「えっ、蓮くんまで!? どうして繋がってるの!?」

「僕の自作した学内ネットワーク監視プログラムを舐めるな。千歳が不審な暗号通信を行っているのを検知したから、回線を強制的に分岐(ハッキング)したまでだ。マスター、君も君だ。こんな夜中に男からの着信に簡単にワンタップで応じるな。警戒心が皆無すぎる」

「あーっ! 蓮も千歳もずるい!! ボクも紬ちゃんの可愛い夜の声、聞きたかったのに!」

今度は音楽室の響くんの、元気いっぱいの声がスピーカーから弾けた。夜中だというのに彼のトーンはきらきらと輝いていて、まるですぐ目の前で彼が頬を膨らませて怒っている姿が目に浮かぶようだった。

「響くんまで……! みんな、一体何をしてるの……?」

「夜は静かに目を閉じる時間だよ。みんな、僕の可愛いお嬢さんを困らせてはいけないな」

最後に、サラリと本の頁(ページ)をめくるような微かな音とともに、図書室の司くんの声が静かに響いた。低く落ち着いたその声は、深夜の寝室の空気にしっとりと溶け込んでいく。

「司くん……。みんな、どうして私のスマホに簡単にアクセスできるの……?」

私が頭を抱えながら尋ねると、司くんはフッと優しく、けれどどこか妖しく微笑むような気配を漂わせて答えた。

「君の持っているその鍵は、僕たちの本体と繋がっているからね。君がスマートフォンを握ることで、僕たちの魔力を無意識に伝導しているんだよ。だから、僕たちが君の電気通信に介入するのは、科学的にも魔術的にも容易なことさ」

司くんの淡々とした、けれど恐ろしい解説を聴きながら、私は完全にベッドの中で頭を抱えた。

(私のプライバシーは一体どこへ行っちゃったの……!? スマホの画面を見てるだけで、私のプライベートが筒抜けなんて、これからどうすればいいの……!?)

「とにかく、マスター。明日、登校したら真っ先に理科室へ来い。お前のスマートフォンのセキュリティを僕の特殊なプログラミングで完全に書き換えてやる」

「ダメだよ、蓮! 明日の朝は、ボクが校門で紬ちゃんを待ち伏せして、そのままお姫様抱っこで音楽室に連れていくんだから!」

「二人とも、僕の図書室を忘れてもらっては困るな。明日は新しいお菓子の本が入荷するんだ、紬ちゃん。君のために、とびきり甘いタルトを焼く準備もできているよ」

「はは、みんな相変わらず元気だねぇ。でも、紬ちゃんが一番甘えたいのは、僕のいる保健室だよね? 明日は朝から、ちょっと保健室に寄ってサボっちゃおうか?」

四人の声がスマートフォンの向こうで重なり合い、まるでにぎやかで贅沢な、けれど少し危険な協奏曲(コンチェルト)のようになっていく。スピーカーから溢れる彼らの声があまりにも熱を帯びていて、私は呆れつつも、冷え切っていたはずの胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

「みんな、もう遅いから切るね! また明日、学校でね!」

私はこれ以上彼らの甘い言葉を聴いていたら心臓が持たないと思い、叫ぶように言って通話終了ボタンを力一杯タップした。

プツン、と通信が切れ、部屋に静寂が戻る。私は熱くなったスマートフォンを放り投げるようにベッドへ置いた。
両手で頬を押さえると、耳の裏までカッと熱くなっているのが分かった。

明日からの学校生活が、また一段と嵐のようになることをひしひしと予感しながら、私は枕に深く顔を埋め、長い長い溜息を吐き出したのだった。
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