滅びの魔女と楽園の神官
「そんな国では、なかったのに……」
醜悪な人間のさがを目の当たりにして、ヴィンセントは、『魔女』ひとりを討っても、人々の心が変わるわけではないと感じている。この国はきっと、二度と元通りにはならない。
「もともと、人間ってきっとそんなものよ。みんな、生きるのに必死なのよ」
ノインからは、先ほど彼女を引き留めようとした人々への嫌悪を感じられなかった。ノインを犠牲にしようとしたのも当たり前のように言い、平然としている。
「すでに、犠牲は多く出ています。今の滅びの予兆を回避できても、犠牲は無かったことにはなりません」
「家族や友人を失った人々は、国を恨むでしょうね」
「この国は、どうなってしまうのでしょうか。いったいどうしたらいいというのでしょう……」
自分が情けない顔をしているのがわかる。胸を搔きむしりたくなるような焦燥を抱え、ヴィンセントは救いを求めるかのようにノインを見つめてしまった。
彼女こそ、起死回生の一手を持っているのではないか。
「そうね」
ノインは短くうなずいた。その平静な横顔に、ヴィンセントは気を取られる。
ヴィンセントのことは気遣ってくれるのに、この国のこととなると、ノインは少しも動じない。まるで、この国がどうなってもかまわないというような態度だ。
彼女が『滅びの魔女』だからなのか。国が滅びることを何とも思わないで、だから滅ぼすというのだろうか。
一方で、その姿勢は、彼女を害そうとした者を許すものでもある。
「でも、いくら考えても、人ひとりやふたりでたやすく国を救えるわけがないわ」
ノインはまた、彼女の胸元を手のひらでおさえた。服の上からではわからないが、そこに何かがあるようだ。はっきりと何かを探り当てる手つきだった。
「滅びるときは滅びる。だからこそわたしは、この国があったこと、そして滅びたことを、記録するの。わたしがこの目で見た物事を……」
ヴィンセントに言い聞かせるというよりも、ノインは祈りのようにつぶやいた。それから視線を上げ、ヴィンセントの瞳を、その薄灰色の双眸でとらえる。
「あなたは、あなたにできることをやるしかないと思うの。さっきわたしにしてくれたように、誰かを助けるなり、身を守るために逃げ出すなりをね」
「言うほど簡単ではありませんよ」
ヴィンセントは、手のひらに食い込んだ爪の痛みで、自分が手を握りしめてしまったのを知った。それを解いたのは、無力感が脱力させたからだ。
けれど、ノインはヴィンセントに微笑みかけた。
「そうね。その難しいことを、あなたはわたしにしてくれたのよ」
はっとして、それから、わずかだが救われた気がした。
この国を滅ぼすかもしれない少女に覚える感情としては、間違っている。それでもやはりヴィンセントは、彼女を星のようだと思った。
淡く小さな輝き。けれど、この国を導く光。
彼女が導く先にあるのは、果たして本当に滅亡だろうか。
滅びの魔女を討たなければならないのに、ようやく見つけた彼女を前にして、ヴィンセントは、己が彼女に希望を見出そうとしていたのだと気づかざるをえなかった。
彼女には、きっと何かがあると思いたい。それが国を滅ぼすものだとしても、違う使い方をすれば、今のこの国を救えるかもしれない。
ヴィンセントの無力感を、言葉ひとつで打ち消したノイン。
彼女は、これまでヴィンセントが見聞きしてきた何よりも、ヴィンセントの求めるものに近い気がした。