滅びの魔女と楽園の神官
 ヴィンセントが追いつくのを待って、ノインは再び歩き始める。
 湧き水があると言うが、ヴィンセントには水の音も聞こえていない。

「ノインは以前も、この森に来たことがあるのですか?」
「わたしじゃないわ。別の人。わたしはその人の記録を読んだの」

 記録を読んだくらいで、森の中の半端な位置から、水の湧く場所までたどり着けるものだろうか。
 ヴィンセントの心配をよそに、ノインが進んだ先で、水は確かに湧いていた。湧き水は人の通る道の方向と反対へ向かって流れ出しており、たどれば川になるようだ。
 普通に森の中を通っても、この湧き水にはたどり着かないし、見つけることさえないだろう。

「ノインの読んだ記録を書いた人は、なぜこのような場所にまで……」
「人の通り道ができる前だったのよ。この森が、まだ人の行き来に使われていなかったころ」

 ヴィンセントは、いつから人がこの森を通るようになったのか知らない。だが、自分たちが歩いていた道の、踏みならされた様子を見れば、昨日今日でないことはわかる。
 ノインの言う人の通り道ができる前とは、いったいいつの話なのか。

 疑問に気を取られてぼうっとしているヴィンセントの前で、ノインは残っていた水を捨て、新しい水で彼女の水筒を満たしていた。水を汲み終えた彼女がヴィンセントを見るので、ヴィンセントも彼女に倣って、水筒の水を入れ替える。
 涼やかな水のにおいに惹かれてひと口、水を含むと、その冷たさが体を清らかにしてゆくように感じられた。

「冷たくて心地が良いでしょう」
「ええ……」

 秋口の今は、日の長さも、暑さ寒さもさほど問題にならない、旅をするにはほどよい時期だ。だが、あとひと月もすれば、冬の厳しさがにじり寄ってくる。
 今年の冬は、おそらく去年よりも厳しい。
 天候を和らげる魔法を使う宮廷魔術師たちが、ほとんど他国へ亡命したからだ。
 国はこのことを隠している。明かして国民が恐慌状態に陥るのを避けるためとはいっても、不十分な冬支度で、どれほどの人々が犠牲になるだろう。
 人々は数年前までの平穏に慣れきっていて、非常時への心構えもない。

「ヴィンセント、やはりどこか、体調が悪いの?」

 顔色の優れないヴィンセントを、ノインが心配そうにうかがってくる。

「いいえ。魔女狩りのことなど、色々と考えてしまうと、どうしても気が塞いで」

 ヴィンセントは、どうにか首を横に振った。
 事情は明かせずとも、国民に注意をうながすべきだ。
 ヴィンセントの主張は、検討の余地もなく撥ねつけられた。
 国王はヴィンセントをどうしようもない無能の愚か者と思っている。だから宮廷から遠ざけられ、神殿に入れられたのだと、前王の正妃であった母親の言を信じたままだ。

(今の僕では、当たらずとも遠からずですね)

 状況を打開する一手がほしい。『滅びの魔女』は、その手になりうるのかもしれない。

(でも、僕の罪はほんとうに、魔女を逃したことなのでしょうか)

 もの思いに沈みそうになったところで、ヴィンセントをじっと観察するかのような、ノインの透明なまなざしに引き留められた。
 魔女。
 このノインが果たして、ほんとうに国を滅ぼそうなどと企んでいるのか。

「ほんの少し前まで、この国は『楽園』だったはずなのです。それなのにいまや、人々は……ノインのような少女を生贄にすることを躊躇わない」

 ヴィンセントの発言に、ノインは何の反応も示さなかった。透き通る薄灰色の瞳は、隠しごとなどひとつも無いようにも、奥底に秘密をしのばせているようにも見える。
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