ひとつだけ違う朝〜誘拐犯の娘として虐げられた私が、本物の家族を取り戻すまで〜
1-3 贖罪という名の毒
――五年後。
自分を呼ぶ声に、舞は愛想良く返事をし駆けつけた。
仲居として『蓮見旅館』で働き始めてすぐ、古株の仲居たちを味方につけた。
「朝起きたら膝が痛くて。大広間の配膳、悪いんだけど変わってもらえない?」
両手で拝まれ、舞はにこやかに答える。「いいですよ」
「いつも悪いわね。このお菓子、渚央ちゃんと食べてね」
「わあ、ありがとうございます!」
小さな理由をつけては肉体労働を避けようとする仲居の頼みも断らない。なぜなら従業員の働きぶりを直樹が見ているからだ。
「舞さん、大丈夫? 嫌なら嫌って言っていいんだよ」
直樹は常に舞を気に掛けてくれた。しかも仲居たちにつられて下の名で呼ぶようになった。
本音では再会の時の『舞ちゃん』という響きが忘れられない。また呼んでもらうにはどうしたらいいのだろうかと日々考えている。
「無理してるわけじゃないから平気よ! 年を取ったらあちこち痛くなるの。亡くなったうちの父も同じだったもの」
「舞さんは優しすぎる。みんなも甘えちゃって、ったく……」
「そんなこと言ってくれるの蓮見君だけだよ、でもありがとう」
こういう話は互いに近寄ってこそこそと話す。
そのたびに直樹の体温が感じられて舞は興奮した。
……いつか蓮見君が『優しい私』に振り向いてくれるんじゃないかな、こんな毎日を繰り返していたら。
「直樹」
背後から女将が近づいてきていた。
直樹の母だ。
いつも背筋をすっと伸ばし流れるような所作で動く。
「……それじゃ、私は失礼します」
無言の威圧感に気圧され、舞はお辞儀をしその場を離れた。
背後では女将が直樹を叱っていた。
「ひとりの仲居とだけ親密にしてたらあらぬ誤解を招く。いつも言ってるだろう」
「誤解って……俺ら同級生ですよ。乙葉が頼んで舞さんがここで働いてるんだし」
直樹は親にも敬語を使う。その育ちの良さも素敵だと、舞は胸を押さえる。
「もうすぐ乙葉が出産するっていう自覚はあるのか」
「それとこれと関係あ――――」
会話が聞こえなくなる手前で歩幅を小さくした。そっと見ると女将が冷えた視線を向けてきた。舞はすぐさま歩き続けた。どういうわけか、女将とだけは距離を詰められなかった。
休憩室の暖簾をくぐると、去年入社した同僚の彩が休んでいた。
「お疲れ様」
彩がいるなら入らなかったのに……と歪みそうになる表情を隠し、にこやかに挨拶した。
「渚央ちゃん元気ですか? ずっと姿を見ていないような」
彩から子供の名前が出るたびに憎々しい気分にさせられた。
「保育園の方が楽しいみたい。『ママ』にべったりの時期は過ぎたのかな」
舞は"普通の母親"のような口振りで苦笑いをしてみせた。
「残念。目がキラキラしてて可愛かったなあ、また会いたいなあ」
「顔は私に似なくてよかったわ」
父親似だと強調する。
「確かに舞さんには似てないですよね」