ひとつだけ違う朝〜誘拐犯の娘として虐げられた私が、本物の家族を取り戻すまで〜
 
 蓮見旅館へ戻り、定位置に車を停めた。

「蓮見君……起きて」
 恨めしい気持ちのまま、直樹に呼びかけたが、起きる気配はなかった。
 舞は直樹を車に残し、玄関のチャイムを鳴らした。
 だが誰も出なかった。
 仕方なく縁側へ回り、引き戸に手を掛けた。――開いていた。

「乙葉さん、――いる?」
 呼びかけたが返事がなかった。
 乙葉は病院へ行ったのだろう。ならば、いろはは心配ない。

 少し迷ったが、靴を脱いで中へと入った。
 誰の気配もしなかった。
 静かに、続きの間の障子を開けた。
「……」
 晴樹がすやすやと眠っていた。
 ……え? ひとり?
  
「……」
 舞は、じいっと、晴樹の寝顔を覗き込んだ。
「この子は、蓮見君にそっくりなんだよね」
 独り言つ。

「渚央じゃなくて、この子ならちゃんと可愛がれるのに……」
 舞はそっと晴樹を抱き上げた。
 ……小さくて、可愛い。蓮見君も子供の頃、こんな風だったのかな、
 ……っ、
 しんみりした直後、苦い感情が湧き上がってきた。

 舞は、視界が狭まる感覚の中で現実を直視した。
 直樹と結ばれるはずだった『今日』が、最初で最後のチャンスだったことを。
 直樹の酔いが醒めたらどうなる?
 距離を置かれたら自分がここで生きる意味がない。直樹との未来が永遠にこないのなら――
「ぅぐう、ぷすぅ」
 腕の中、眠ったままの晴樹が口を開けて、また閉じた。
 直樹をそのまま小さくしたような子供が、ふいに舞の支配欲を刺激した。
 
 ……蓮見君が悪いんだからね、
 ……私の希望を、奪ったんだから、
 
「……」
 舞は五感のすべてを静寂の中に集めた。
 "本当にここには自分ひとりなのか"。
 
 じりじりした数秒ののち、舞は素早く行動に移した。

 晴樹にとって必要なものを素早くかき集め、目についたバッグに押し込んだ。それから上掛けごと晴樹を包み――夜に溶けるように『蓮見家』から離れた。
 

 舞が最後に振り返ったそこに、旅館の灯りが揺れていた。





【第一章終わり】
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