ひとつだけ違う朝〜誘拐犯の娘として虐げられた私が、本物の家族を取り戻すまで〜
私は学校にも行かず、ずっと家にいた。
専務はしばらくして再び家に来て、母宛ての郵便物をかき集めて行った。
そして私を連れて、蓮見旅館へ戻った。
理由はなんだっただろう……、子供をひとり残しておけない――だったか、“人質”の意味合い――だったか、
とにかく私は部屋の隅で存在を消すかのようにじっとして、“大人たち”の言い争うような声を聞いていた。
専務は、母が自分を困らせるために隠れていると思い込んでいて、いろはに付き添って病院にいった若女将は、帰宅した専務が子供たちと交代して晴樹を看てくれていると思い込んでいた。
晴樹がいなくなったことを警察に通報したのはその夕方だった。
状況は『犯人が母』であると示していた。
けれど何かの事件に巻き込まれた可能性も捨てきれず、警察の捜査は難航した。
母は“被害者かもしれない悲劇の女性”と、“誘拐犯かもしれない加害者”として捜索対象者になった。
『舞ちゃんが言い寄ったって言ってるけど、専務からに決まってるよ』
『ここで働くようになったのだって、専務が“どうしても”って粘ったって聞いてるよ』
従業員しかいない場所で、時々母の話題になった。
『いない人のせいにしたら丸く収まるもんねえ』
『うちら雇われ側は立場が弱いから』
世間のほとんどの人たちは、母を『巻き込まれた被害者』と考えている。
学校の友達も、「自分の子供を置いて、他人の子供を誘拐して逃げるなんて意味不明でしょ」と言う。
母のことを『誘拐犯』と決めつけているのは蓮見家だけだった。
“他人”には話さない、家族だけが共有している事実があるからだ。
*
「渚央ちゃん、おかえり」
「彩さん! ただいま」
一番若い仲居の彩さんは噂話に加わらない。
へ~、そうなんですね~、と言うだけだから、年配の仲居たちから「若い子はドライよねえ」と嫌味を言われている。けれどそれすらも受け流して、かっこいい。
身近な大人の中で彩さんが一番好きだった。
……そうそう、いつも誕生日プレゼントをくれるし。
今年の誕生日には"上履き"をくれた。
足のサイズが大きくなり、痛かったけれど我慢して履いていたから、嬉しかった。
「今日暇だったらお掃除になるんじゃないかな」
彩さんが耳打ちしてきた。
「渚央ちゃん、買い物行ってきて。またいいようにこき使われちゃうから」
「……私、大丈夫だよ!」
「いいから。あの人たちは給料もらってる身なの。その分働かないと」
以前、彩さんから聞いたことがある。
母も仲居さんたちに頼まれるまま、たくさんの仕事をこなしていたと。
――「親子だからそういうところ似ちゃうのかなあ」
彩さんの同情的な呟きに、私はおかしくないのに「あはは」と笑った。
私の知っている母は、みんなが語る母とは別人だった。
ずっと昔は、抱きしめてくれたし夜も一緒に寝てくれた。でもいつの頃からか……母は私を傷つけることを楽しむようになった。
『誰に似てこんなに図々しいの』
『その目っ、こっちに向けるな』
それでも私は、幼い頃に与えられたぬくもりを求めて『ママ』『ママ』と縋っていた。
真実を知ったら、可愛がられなくて当たり前だったんだけど……。
そういえば、「私はあんたのママじゃないから甘えないで」と言葉にされたこともあった。
心から傷ついて、哀しくて泣いた。
だけど――
母は"嘘を言ってなかった"。